第4話 砂がすべて落ちるのに七年もかかる砂時計

 村が破滅する兆しが目に見える形で見え始めたのは、成長したドラクロワが何の断りもなく、村を離れた頃だった。十九歳のドラクロワが占い族から離脱し、馬車に乗ってこの大陸を去ったとき、ドラクロワの笑い声だけが、草原に三十日間、風にもかき消されずに残され続けたのだという。その声に暴風や林の葉の擦れる音や、盗賊の雄叫びや襲われる者の悲鳴や、絶えず都から響いてくる爆弾の破裂音や、遠くの海岸まで届く石女の嘆声が混じり、果てしない音叉の呪いの嵐を作り上げた。行商人は不安に駆られ、市場に帰ることなく崖から身を投げた。

 消えた族長ドラクロワの代わりに、占い族の族長代理を務めることになった砂時計占い師ブンボローゾヴィッチは、ドラクロワが十九歳で姿を消すこともすでに占っていた。

「六・六六年の罪数周期を三回、砂時計を逆さにして計測された期間。十九・八年だな。二十年に近いが、人類が永遠に辿り着くことのできない二十年だ。だから十九年と言わざるを得ない」

 ブンボローゾヴィッチは砂がすべて落ちるのに約七年もかかる砂時計を住居に隠し持っていた。他にも高位砂時計として、六百六十六年、計測し続けるという、目には見えない砂時計も世界の外部に所有していた。三度、手を返すと、千九百九十八年分の流砂の罪の重みだ。人類が選び損ねた二千年紀。

 壷割り占い師などは、何故、ドラクロワを止めなかった、とブンボローゾヴィッチを責めたが、

「あれはプーを追ったのだよ。誰にも止められない」と族長代理は村人たちを諭した。

 プーはブザーとその妻エリーの間にできた息子で、ドラクロワより遅く産まれ、幼い頃からドラクロワと共に学び遊んだ、実の兄弟のような間柄であった。

 雲占い師は空に浮く雲にドラクロワの行方を尋ねてみたが、大地のどこにもいないのを知った。大地から舟に乗って海に出たのかも知れぬ、魚占い師なら、ドラクロワがどこへ行ったか、海中の魚に訊いて占えるかも知れぬ、と誰かが呟いた。誰かの手によって、魚占い師の住居の扉が勢いよく開かれた。魚占い師は急病の悪魔熱で三日前に死んでいた。


 ブンボローゾヴィッチは、机の上に横向きにして置いた砂時計の中で、槍を持ったドラクロワが人を殺していくのを見て、恐ろしいものを人目から隠すように布で隠した。人間の運命ではない、と密かにブンボローゾヴィッチはドラクロワを憂えた。

 ドラクロワは十二歳のとき、「北の岩場に住む片目のジャッカルは命を落とすだろう」と重々しく予言した。村の者が誰も見ていないのを良いことに、ドラクロワは岩の上から狙いを定めて愛用の槍を投げ、ジャッカルの息の根を止めた。

「見ろ、予言どおり、ジャッカルは死んだ。俺の占いが正しいことが証明されただろう」

 広場の真ん中の大岩の上でドラクロワは満足げに笑った。その隣には、ジャッカルの首を抱えた弟分のプーが立っていた。

 占い族の者たちは、族長の予言に感心した。それは当然予言と呼べるものではなかった。ただの予告だった。ドラクロワは占いの効力(本当に効力があったらの話だが)が動くよりも速く動いて、占いの刃が空中を飛んで獲物を仕留める前に、占われたジャッカルを自分で殺しただけだった。自分の意志の力で運命の歯車を力ずくで動かしただけだった。

 ただ、それとは無関係に、振り回す槍の巻き起こす風で、災いの凶事を罪の無い人たちへ振りまいた。ドラクロワが旅の芸人からもらった愛用の槍を頭の上で回転させたとき、必ず何者かが死んだ。予言がドラクロワの名において行使されていなかったとしても、槍は無差別に人の死を欲した。予言というよりは呪いの槍というべきだったかもしれない。ジャッカルが死んだ同じ日、同じ時刻、大公の都の酒場で酒の飲みすぎで死んだ者がいた。

 ジャッカルは抉れた傷から血を流して苦しんでいた。片目で、燃えるような目でドラクロワを見ていた。肉食の動物の目には地獄の風景が映っていた。怨嗟する獣の眼球に自分の姿が映っているのを、ドラクロワは確認した。

「そんな恨めしい目で俺を見るな。殺し屋に生まれ変わって俺に復讐するなよ。それとも裁きの神になって俺が地獄に落ちたときに審判するつもりか?」

 真実は逆で、殺し屋の生まれ変わりが片目のジャッカルだった。

 初めてジャッカルがドラクロワを襲ったのは、ドラクロワが九歳の頃だった。岩壁を背にジャッカルに追い込まれたとき、ドラクロワは何故自分が命を狙われるのか分からなかった。右腕の手首を牙で噛み付かれたが、体が石でできているドラクロワは痛みを感じなかった。石の体は人間と同じように成長した。ドラクロワの父と母はいない。出生は謎だ。初めから一人でこの草原で生を受けた。父か母が呪われていたのか、ドラクロワ自身が呪われていたのかは分からない。占い師の多くは石から生まれてきたと信じた。ドラクロワの出生を占える占い師は誰もいなかったのだ。ただ、何もない場所に、命のある石の赤子が人知れず誕生していることを、多くの占い師が、それぞれの占いによって、知り得ただけなのだ。


 占い族の村の西に、太陽の寝台と呼ばれる山脈の方向に、硝子の塔と呼ばれる美しく煌く娼婦の館があった。王族の子を産むための侍女としての役目も請け負うストーカー家の住処である塔は、澄んだ大気の日なら占い族の村からもおぼろげながら見ることができた。

 ドラクロワは十八歳のとき、親友の流血占い師のプーと一緒に、硝子の塔の女を買いに出かけた。ドラクロワの相手は青い瞳のマリアレス・ストーカーだった。

「あんたの石でできた体。滑々していて好きよ。美術品を抱いているみたい。髪の毛は頭に張り付いているみたいね。これ以上は伸びないの?」

 そんなわけで十九歳のドラクロワに息子ができた。目の前の女の腹に自分の子がいると知らされたドラクロワは動揺し、マリアレスにこの硝子女と罵り、硝子の壁に体当たりして穴を開けて、草原のどんな日の風よりも速く駆けていった。

 ドラクロワがマリアレスを捨てた後、子どもは母の憎しみを込められて父の天敵のジャッカルからカル・ストーカーと名付けられたが、マリアレスはこの子に罪は無い、憎しみをこの子に満たしてはならない、と涙を流し、その涙が我が子カルの頭を濡らし、硝子の塔の外壁は、雨も降ってもいないのに濡れていた。マリアレスの涙が赤子の頭から滴り落ち、子どもが涙を流しているように見えた。そのためなのか、カル・ストーカーは決して泣かない赤子となった。聖母がいない、という意味なのに、マリアレスは良き母親になり娼婦の館を出ようと思った。止まない雨の早朝、傘を差し、店の金を懐に入れて、硝子の塔を後にした。

 子どもは改名され、ラヴディーン・ストーカーと名付けられた。子どもは愛されるために生まれてきた。ラヴディーンは美しく育ち、硝子の塔など比べ物にならない、この世で最も高く美しい塔で暮らすようになった。ラヴディーンは父親のドラクロワと初めて会った。

「決闘の約束を守ってくれたんだね。父さん」


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