第2話 彼らの夢の中ではすでに村は完成されていた
石。始めに石があった。激しい雷雨の夜、ブンボローゾヴィッチは石に躓いて転び、水溜りの中に勢いよく飛沫を上げて倒れた。全身の痛みと服に流れ込む水の冷たさのために、しばらく感覚が麻痺していたが、憎憎しげに後ろを振り返ると、打ち付ける雨の中で何かが白く光っているのが見えた。空を白く塗り替える雷光によって数秒前には気付かなかったが、今にも消え入りそうな光だった。光のある方向に向かって手を伸ばすと、石のように硬い胎児の形をしたものに触れた。水溜りから持ち上げた石は、一瞬赤子の死体かと思われたが、両手の中でそれはしきりに足や腕を動かし、もがいていた。
ブンボローゾヴィッチは自分の占いの正しさを認めつつも、自分の占いに恐れを抱いた。偉大なる占いの流れに自分が巻き込まれ、すべての占いを納めた水瓶の中に混じってしまったような感慨を覚えた。雷鳴が空と大地に響いた。世界の殻が割れるような音だった。禍々しい天上に亀裂が走って、巨大で獰猛な鳥の雛が空から落ちてきそうだった。
赤子の胸に耳を当てると、激しく降る雨の音より大きく、心臓の鼓動が聴こえた。石は占い師に拾われるのを待っていた。
「何ということだ。占いの通りだ。本当に石でできた子どもだ。不憫な。これでも健気に生きておる」
ブンボローゾヴィッチは口の中に入った雨の滴と一緒に唾を飲み込んだ。
「ドラクロワだ……」
「東の方角に旅をして、体が石によってできた赤子を拾ったら、その土地に村を作り、赤子にドラクロワという名をつけて一族の長となるように育てよ」
という自らの占いを信じ、占い師ブンボローゾヴィッチは旅をしていた。オーゾレムの都から伸びる南太陽街道から草原を一人で歩いていると、どこからか焼き魚の臭いが漂ってきた。妖異のように、にわかに視界に現れた宿に、吸い寄せられるようにして入った。食卓に出された焼き魚を食べながら、宿の女将に、占いを信じて旅をしていることを告げると、オゾン大公も恐れる呪われた土地がこの近くにある、と中年の女は言った。
どのような呪いだろうと疑問に思ったブンボローゾヴィッチは、足にまとわりついた猫に、魚の骨をやり、食事の勘定を済ませて、骨を一本口に銜えたまま宿を出た。
「泊まらないのかい?」
いつの間にか外は雨になっていた。
ブンボローゾヴィッチはその道中で石に躓いたのだった。
『傷だらけの悪魔が宿に泊まっていた。悪魔は夜、部屋を抜け出し、神のいる部屋の前で跪いた。窓から見える月は何故か、山脈のこちら側に浮かんでいた。恐ろしい夜だった。瀕死の悪魔が扉に体を預けて、鍵穴に言葉を吹き込むと、扉は開錠した。その悪魔の後ろ姿を、客の子か女将の息子かは知らないが、瞳の中に三日月が入った一人の少年が見ていた。少年に小遣いをやってはならない。この少年はわずかの金で殺人をも犯すだろう。悪魔は少年に銅貨を渡し、扉を開けたことは誰にも言わないでおきなさいと囁いた。少年は銅貨を受け取ったのにもかかわらず、悪魔との約束を守らなかった』
あらかじめ名前が決まっていた石を、ドラクロワを両手で包み込むようにして持った。空に白い稲妻が走り、怒れる雷鳴が世界に轟いた。太鼓を乱暴に叩く音のようだった。
この音は……。
二年前から音沙汰ない知己に太鼓占い師という者がいたが、彼の太鼓と同じような音の雷鳴が、ブンボローゾヴィッチを占いの世界に引き寄せた。
二年前、太鼓と同じ大きさの顔の太鼓占い師は、樫の木の桴で太鼓を叩き鳴らし、ブンボローゾヴィッチをこう占った。
「この音をもう一度聴いたとき、お前はとんでもないものを見つけるよ。すっかり頭が禿げ上がって太鼓を打ち鳴らす俺と、何の因果か再び巡り合い、愛と抱擁を交わす、という冗談じゃないよ。真面目に話すよ。それが何かは分からないけれど、とんでもないものだ。どのように凄いものなのかは分からない。見つけたお前でも、それの本当の意味を一生知ることはないだろう。いつか現れる占いの天才なら、とんでもないものの正体を知ることができるだろう。俺みたいな占い師では歯が立たないだろうがね。でも俺もけっこうな占い師じゃないか? 何も分からないが、誰かが分かるだろう、と断定できるのだからな。もう一つ予言しよう。今度、俺の太鼓の音と、同じ音を聴いたとき、お前は俺の言ったことを一字一句思い出すだろう」
ブンボローゾヴィッチは両手の中の「それ」を凝視した。太鼓のような雷の低い轟きが聴こえてくる。
思い出しただろう、ブンボローゾヴィッチ。
過去の樹蔭に身を潜めた太鼓占い師が、そう言ったような気がした。太鼓占い師は体を半分だけ見せて、太鼓の胴を桴で優しく叩いた。
お前は見つけたんだよ。俺の声が聴こえているなら、お前は見つけたんだよ。そして、見つけた意味を永遠に知らないまま、お前は死んでいくんだ。そう残念がることないじゃないか、俺も知らないんだ。誰も知らない。
ブンボローゾヴィッチは慌てて顔を激しく横に振り、正気に戻った。忘れられた雨が意識の内側へと再び降り注いだ。いまだ世界は雨に打たれていた。
これは一体何だ?
ドラクロワを麻で織った布で包み、叩きつける雨から庇うようにして緩やかな動作で座り込んだ。占いを行うために、震える手で服の隠しから砂時計を取り出したが、瓶の中の砂は片一方の瓶底にへばりついたまま、石のように凝集してしまっていた。
これは一体何だ?
という問いに答えはないのか、赤子を占うことはできなかった。
「おのれ一人でどう子どもを育て、村を作ればよいのだ?」
「もし。その腕に抱えているものは、石でできた子どもではないですか?」
不意に男の声がした。ブンボローゾヴィッチは顔を上げた。目の前に二人の男女がいた。二人は横笛占い師の夫婦だった。女のほうは、横笛を吹いていた。この夫妻も自分たちの占いに導かれてこの地にドラクロワを探しにやってきたのだという。ブンボローゾヴィッチだけが石の赤子を占ったのではなかった。ドラクロワという名前まで一致していた。
横笛占い師夫妻の夫のほうは名前をブザーといった。少々、小太りの愛想よく笑うことができ、好感の持てる、誰とも一生の友達になることができ、あるいはそうすることを神から許されたような、毛むくじゃらの男だった。
ブザーは「占いを信じ、ここに村を作りましょう」と三人は抱き合った。
稲光が彼らの肌を白く照らし、お互いの苦難に満ちた顔を引き合わせた。
ありがとう、ありがとう、と呟きブンボローゾヴィッチは泣いたが、絶え間なく雨が降っているため、必要以上に涙を流しているように見えた。
「私がドラクロワを育てます」ブザーの妻は申し出た。石の赤子は女占い師の腕の中に抱かれた。
ブザーの妻、エリーは、石の赤子の本当の母のように、愛情深かった。地上のどんな子も分け隔てなく愛することのできる、髪の長く純朴で顔立ちの良い女性だった。
その後、壷割り占い師、蟻の巣占い師、嘘つき占い師、次々と占い師がやってきた。これがドラクロワですか、奇遇ですな、実は私も占いで、と幾度も似たような挨拶が交わされ、三十人もの占い師が何もない雨に濡れた草原の大地に集まった。その間も雨は降り続け、彼らの足の踝まで水位が上がっていた。灯も燈せない夜の雨の中、皆が不安がり、水の冷たさで体温が奪われたが、ここから逃げ出したいと思う者は、一人もいなかった。
最後に棹で舵を取って、悠然と筏に乗ってやってきた道草占い師は、
「俺の占いによれば、この辺りは湖になるようだから、筏を用意してきた」と筏に乗ってきたわけを言った。
「本当はもう一人、友達の魚占い師もここに来るはずだったが、何かの病で三日前に死んでいた。友達を埋葬してたから、来るのが遅くなった」と遅れてきたわけを言った。
ブンボローゾヴィッチやブザー夫妻を含めた占い師の集団は、遅れてやってきた道草占い師を無言で温かく迎えた。運悪く会うことのできなかった魚占い師のことも忘れないように、村ができたら魚占い師の墓を作ろう。
「みんなで村を作ろう」
道草占い師が拳を突き上げると雨は止んだ。
道草占い師の占いは早速一つ外れた。いまだ完成していない村が、湖になって水没するはずがなかった。
占い師の一団は、近くに水に浸かっていない丘を見つけて、ドラクロワを中心に寝かせ、濡れた大地の斜面を背にして円を描いて眠り、彼らの夢の中ではすでに村は完成されていた。
誰が言い出したかは分からなかったが、彼らは占い族、または占い一族と名乗るようになった。
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