後編

(……目神さん)

「……」

(……ねぇ、目神さん)


 目神さんは社にもたれかかって、ただ座ったまま、隅っこの方で小さくなっていました。少年が帰ってから、ずっとこんな調子です。

 目神さんのすぐ近くに、『目神社』の名前をプリントされた布が吊られています。これを見れば、ここがなんという神社かわかるはずです。

 けれど、きっと興味のない人には視界にすら入らないのです。


「……どういう……」


 目神さんが声を出しました。唇を噛みしめます。


「だいったい名前も知らないとはどういうことだ! 普段は心にも留めないくせに、困ったときの神頼みとばかりに自分勝手に我儘な願い事しやがって!」


 立ち上がって、


(いやぁ、実際そうじゃないですか。神頼みじゃないですか)

「もののたとえだったとえ!!」


 思いっきり地団駄を踏みました。悔しさをありありと表現されておりました。


(でも目神さん、なにが不満なんですか?)

「ああぁ?!」


 私は、これを言っては目神さんを傷つけるとわかっていました。

 それでも『神様』に、この質問をしないわけにはいきませんでした。


(名前を知られていない。それがなんだというのです。参拝に来てくれた、そのことに対する喜びはないのですか?)


「……それは……」


 卑怯だ、と目神さんは零しました。その姿は、私の心を痛ませました。けれどもっと大きな痛みを、目神さんは感じているでしょう。


(なんであれ、来てくださった人間を、関わってくださった人間を良く想わなければ、今の時代は神様としてやっていけませんよ)


 私が心を鬼にして厳しく言う理由はこれでした。今の時代、小さな神様はどんどん姿を消していっています。必要とされなくなると、神様は消えてしまうのです。正確に言えば、必要とされなくなった神様自身が、「人間なんてどうでもいい、己はもうここにいなくてもいい」と思うと、消えてしまうという説が、神の使いのなかでは最も有力でした。

 ここで働くことになったとき、私は目神社のことを調べました。結果、「なぜ目神社にはまだ神様がいるのだろう」という疑問がつきまといました。目神社に来る人間はとっくにいなくなっていて、それでも、神様は、目神さんは存在している。

 私は、目神さんがまだ存在を保っているのは、人間をどうでも思っているわけじゃないから、人間が好きだから、人間が嫌いではないから、と考えました。

 だから、人間に絶望したり、人間を嫌いになったりしてほしくありませんでした。そんなきっかけを作る考えは、目神さんの心から排除しなくてはなりませんでした。

 そう、私は目神さんにいつまでも存在してほしかったのです。

 しかし。


「そうじゃないだろ……」


 目神さんの怒りは、鎮められなかったようでした。


(でも、そもそも相手はまだ子供で――)

「そうじゃないだろ!」


 目神さんは叫びました。

 今にも泣きだしそうな顔。ああ、やめてほしい。そんな顔は、あなたには似合わないのに。震える肩、握りしめた拳。怒りではありませんでした。目神さんを襲ったのは、悲しみだったのです。

 はやくその肩に手を置いて慰めたい。私は今すぐにでもそうしたかったのですが、気づけば私はテレパシーでどんどん言葉を投げつけていました。


(あの子は、ここまで足を運んで神様のあなたに会いに来たのですよ。それで十分じゃないですか)


 私は何のために口論を始めたのでしょうか。目神さんのため? そう、そのはずでした。それなのに。


「だって神様なら何でもいいじゃないか。私じゃなくてもいいじゃないか!」


 そしておおよそ神様らしくない妄言を、目神さんは吐きました。


「神様なんて抽象的なものじゃない、私に会いに来ておくれよ」


 固まった私の前で、神様は嘆きます。


「そうじゃなきゃ――私がいる意味なんてない」




 それから、三日たちました。

 相変わらず、目神社に参拝客は訪れません。私と目神さんは一向に仲直りできていません。

 私は意地を張るのをそうそうに諦めて、目神さんの後ろ姿に何度かテレパシーを送りました。

(おはようございます)(おやすみなさい)それぐらいしか言葉を送れませんでしたが。目神さんは一言も応えず、ただ私に背を向けて縮こまっておりました。

 私は言い過ぎた自分をひたすら嫌悪し、目神さんの心境をひたすら考えて三日を過ごしました。

 目神さんは神様です。しかし必要とされていない神様です。邪魔になれば簡単に人間に移動させられるようなそんな存在です。目神さんはそのことすら思い出せない。記憶がないということは、一度殺されたようなものだと、私は思い当りました。

 これで『当たり前に人間が好き』なはずがありません。自身を殺した一集団を、わだかまりもなく好きでいられるはずがありません。そのような都合のいい存在は、神様ではなくてただの妄想です。

 私はただの化狸ではなく、子狸でもなく、名前をもらって一匹の立派な化狸になりたいと思っております。目神さんも同じではないでしょうか。ちゃんと人間と向き合いたいのです。自身を把握した人間と相対したいのです。一柱の神様ではなく、たったひとりの目神さんとして。

 私はかつて、それを妄言だと感じた己を恥じました。妄言なんてとんでもない。すごく単純で、ひどく簡単な願いでした。神様らしくはちっともないけれども、目神さんは確かに存在し、存在を主張しているのです。


『神様なんて抽象的なものじゃない、私に会いに来ておくれよ』

『そうじゃなきゃ――私がいる意味なんてない』


 では、どうすれば目神さんは、目神社にずっと居てくれるのでしょうか。

 このままだと、消えてしまうのではないのでしょうか。

 人間に絶望して、私に絶望して、いなくなってしまうのではないのでしょうか。

 考えは、一向に纏まりませんでした。

 

 

 

 四日目の朝のこと。

 先に気づいたのは目神さんでした。


「子狸」


 久しぶりに目神さんの声を聞いて、私は驚いて箒を取り落としました。数秒の間に私のことを呼んだのだとようやく理解して、慌てて社の奥にいた目神さんの元まで走りました。


(ど、どうされましたか、目神さん)


 目神さんの足元で、私は目神さんの表情を伺います。瞳はどこを見ているのかわからず、口は半開きで魂が抜けているかのようでした。


「客が来た」


 のっぺらな声でそう言った目神さんは、右腕を伸ばして境内の入り口の方を指さしました。

 私が視線を向けた先では、いつかの少年がこちらに向かってきていました。

 少年は賽銭箱まで近づくと、またポケットからお金を取り出し、投げ入れます。ちゃりんちゃりん、と小気味の良い音。

 次に、手を叩いて願います。目神さんではなく、神様に。


「礼を言いに来たそうだ」


 私ははっとして男の子から目を離し、目神さんを見ました。顔に力が入らず無表情の目神さんに、少年のお願いごとが届いたのでした。


「母親の怪我が予定より早く治った、とな」


 目神さんは淡々としていました。


(それは……まさか、目神さんが?)

「は、そんなわけないだろう。私にそのような力はないよ」


 力なく目神さんは否定しました。


「私にだって良心はある。私の為だけの嘘なんてつけないさ」


 少年が手を離し、満足そうに背中を向け、歩き出そうとしました。


「何もやっていない。私は何もやっていないさ。私が何もやらなくても、人間は生きる」

(目神さん、それは) 

「おそらくお母様がリハビリを頑張ったのだろう。その他、色々な理由は思いつくさ。まあ、あの子の思っているようなものじゃあ、ないな」


 目神さんは笑いました。その微笑には諦めの感情が混じっていました。

 じゃり、じゃり、と土の上を歩いて境内の出口を目指す男の子の背を見ながら、目神さんはふと思いついたように言いました。


「子狸。おまえ、私のおかげじゃないと、ここの神様なんて関係ないとでも伝えておくれ」


 私は目神さんを下から見上げました。目神さんは私を見ていませんでした。


「私は人とは喋れない。おまえなら人間に化けてあの子と会話できるだろう。このまま妄想を信じるのもあんまりだ。なにより私が居心地悪い。そら」


 じゃり、じゃり、と男の子は歩きます。

 ここで断っても、年月がたてば、いつか男の子は妄想を妄想だと片づけるでしょう。わざわざ私が駆け寄って真実を話す理由もありませんでした。目神さんは私が断っても受け入れても、どちらでも良かったのでしょう。


(――わかりました)


 私は小さな人間の女の子に化けました。行ってまいります、と言い残して駆けだします。

 目神さんは応えませんでした。




「こんにちは」


 と話しかけると少年はやはり大層驚きました。誰もいないと思っていたのでしょうね。

 とはいえ一度話したことのある同士。すぐに驚きは取り除かれたらしく、少年は笑みを見せ「こんにちは」と返しました。

 にこにこと笑う少年は、ずいぶんご機嫌のようです。お母様の怪我が治られたことを、本当に喜んでいる様子でした。


「ずいぶん、嬉しそうですね。なにか良いことでもあったんですか?」

「うん! あのね、おかあさんの怪我が治ったの!」

「そうですか。それはよかった」


 予想通りの受け答え。私の笑顔は貼りつけた作り物でしたが、少年は気づいていないでしょう。


「ここのかみさまのおかげだよね? 僕のお願い、聞いてくれたんだ」

「それは、」 


 それは。


「それでね、今日はお礼を言いに来たんだ」

「……そうでしたか」

「かみさまって、すごいんだね! 僕、ずっとかみさま信じるよ!」


 目神さんは今どう思っているのでしょうか。少年が神様を信じても、目神さんのことを信じているわけではない。

 それでも少年は、目神社にいる神様にお礼を伝えるためにわざわざここまで来た。それは、目神さんの為にここまで来たことと同じではないでしょうか。


「ええ、その通りですよ」


 だから、私は嘘をつくことにしました。



「ここにいる神様の名前は目神社と言います。聞いたことがない? 無理もないでしょう。目神社は大きな力を持っているからこそ、隠れたのです。悪用されることを恐れて人間の作った昔話からも姿を消したのですよ。実際には目神社に助けられた人々は多い。しかし、助けられた者は目神社のことを大事にしたいからこそ口を閉ざすのです。あなたも目神社を想うのなら、迂闊に誰かに喋ってはいけません」


 私の口からは次から次に嘘が飛び出しました。


「目神社がここS市に居場所を構えているのは、ある理由があります。昔、目神社がS市のとっても偉いひとにとってもおいしいみかんをたくさんお供えしてもらったので、代わりにS市でずっと過ごすと約束したそうです。目神社はずっとここに居ますよ。都会に行ったり、いなくなったりしません。それが人間との約束ですから。目神社は約束をちゃんと守りますし、人間をとても大事に想っているのです」


 そう広くない境内です。目神さんにも聞こえているでしょう。


「本当に心の底からお願いした願いごとは、なんでも叶えてくれます。ただし、一度のお参りに一個だけです。それに、適当なお願いでは目神社は聞いてくれません。あなたのお願いごとが叶ったのは、あなたが真剣にお母様の為を想ったからです。目神社は人の心を読めるのです。その人の大事なものはすべて把握しております。なんでも叶えてしまえば悲しきかな人間は堕落してしまいます。だから、一番大切なお願い事だけ、叶えるのです」


 けれど、目神さんは止めには入りませんでした。



 私は最後に、目神社の使いだと名乗りました。相手に伝わらなかったので手下みたいなものだと説明しました。

 少年は納得して、手を振って帰って行きました。



 少年の後ろ姿を見届けたあと、私はようやく一息つきました。ずいぶん結構な長台詞でした。普段は喋らないのでかなり疲れました。喋っている間は無我夢中だったのですが。

 思い返してみると、幼い少年には難しいかもしれない言葉をいくつか使ってしまっていました。まあなんとかノリで理解したと思います。ノリは大事ですよね。


「なんでだ」


 私は化狸の姿に戻って後方を振り向きました。


「なんで嘘をついたんだ」


 目神さんが茫然として立ち尽くしておりました。


「私は真実を説明しろと頼んだのだ。誰も嘘をべらべら喋れなんて言ってない」

(頼まれてはおりませんが、嘘の方がいいと思ったのです。私が)

「勝手に判断するな子狸。おまえについてならまだしも、私についての話じゃないか」


 次第に、目神さんの表情は怒りを露わにします。


「盛大で素晴らしい神様だな? 目神社という奴は。私はそんな神様、まったく聞いたことがないがな。この社に棲んでいるというのに」


 一瞬で目神さんは私の目の前まで詰め寄りました。


「もう一度問おう。なぜ、嘘をついた」

(知っていますか? 神様って、誰にも必要されなくなってしまったら、存在することを諦めて消えてしまうのだそうですよ)

「それがどうした。だから、嘘でも必要としてくる人間がいた方がいいと言うのか?」


 目神さんのたくさんの瞳が私を睨みます。恐い。でも、引いてはいけない。


(はい。私はそう思います。その方が、あなたは満足するから)

「するわけがない。偽りの栄光に縋って何になる?」

(どうか我慢してください。あなたに、いなくなってほしくないのです。だから私は、)

「いい加減にしろ! そんな卑怯で卑劣な存在になんて私はなりたくない。嘘で固めた神話など願い下げだ!」

(嘘でもいいじゃありませんか!)


 私は力いっぱいのテレパシーを目神さんにぶつけました。目神さんが少しだけ仰け反ります。


(狸社会にだって嘘はいっぱいあります。人間社会にだってきっといっぱいあるのです。紫様の話だって本当は人間が適当に考えて作っただけです。人間に従うきっかけを示す都合のいい話に仕上げただけです!)


 目神さんが境内から出たところを私は見たことがありません。多分、出ることはとても難しいことなのだと思います。つまり目神さんは箱入り娘ならぬ境内入り神様。その上引越し前のことは覚えていない。私よりも社会に疎くて当然です。


(社会ってそんなものです。世界ってそんなものなんです)


 生きとし生けるものが生きていくにあたって、いつか当たり前に感じるだろうことを、私は子供に諭すかのように放ちました。


「でも……でも、」


 両の拳を握りしめ、顔を真っ赤に皺くちゃにした目神さんが、反論をしようとします。怒りとおそらく悔しさで腹と額と手の甲の瞳が大きく開いています。

 けれどなかなか言葉が出てこないのか、口を開いて閉じて。また開きます。私は目神さんの次の言葉を待っていました。

 数十秒だったのかもしれませんが、数分たっていたのかもしれません。二人の間は緊迫していました。その間、私は頭の隅っこの方で、目神さんとここまで衝突してしまったことを悲しんでいました。今までは、なんだかんだで目神さんとはいいコンビを組めているなんて思っていました。それなりに仲が良いと思っていました。

 全部、私がぐちゃぐちゃにしたものも同然です。

 もう戻れないかもしれない。どこかでそう予感しました。

 やがて、目神さんは私をしっかり見ながら、声を振り絞って、


「おまえの話した嘘の目神社は、目神社《わたし》じゃないだろ」

 

 そう、話しました。


「私は、私を見てほしいのだ」


 必死な目神さんの顔。私と違って偽りなく本当の心からの言葉。

 ――ああ、そうなんだ。そういうことなんだ。

 私はすとんと納得しました。目神さんのこだわり。


(私、勘違いしてました)


 なにを、と目神さんが返します。


(目神さんは人間が好きだから、参拝客がほとんどいなくてもまだ存在しているのだと、そんな風に想っていました)

「……私は」


 言い淀んだ目神さんは、力無くその場に腰を降ろしました。


「……人間が好きかどうかはわからない」


 ぽつりと呟き、項垂れます。


(あなたは人間が大好きなわけではありません)


 目神さんははっとしてこちらを見ました。そんな否定されたみたいな顔しないでください。こちらはそんなつもり、まったくないのですよ?


(人間が大嫌いなわけでもありませんでした)


 私はてちてちと歩き、目神さんの両脚の真ん中くらいに座りました。

 そして、ようやくわかった目神さんの気持ちを、目神さんに伝えました。


(ただ、


 目神さんは数個の眼を一斉にぱちぱちさせました。しばらくぱちぱちの時間は続きました。

 ややあって、「……は?」とだけ口にしました。


(自分のことを嘘八百で見てほしくない。自分をはっきり自分として見てほしい。誰だってそう思うことはきっとあります。恥じることは何一つありません)

「いや、あの」

(恥じることは何一つもありません!)

「なんで二回言った!? っていうか、勝手に私のことを決めつけるな!」


 ばたばたと手を振り回す目神さん。あ、久しぶりに見たなあこの光景。


「それじゃあ、私、自分本位過ぎるというか、すごく……すごく恥ずかしい奴だろーが!」

(恥じることは何一つもありません……)

「まさかの三度目!? おまえそれしか言えないんじゃないだろうなってその目その慈愛の目やめろ!」

(はっきり申しますと、目神さんは非常に自分本位ですよ?)

「え」


 ぴたりと身振り手振りが止まります。


(だって、認められたいのに努力しているわけじゃない……まあ努力できないっていうのもありますけど。それに、自分は相手のことをあまり知らないのに、相手に自分のすべてを知ってほしいと思っている……目神さん、お参りに来た男の子のこと、あなたはどれほど知っているのですか?)

「いやだから、お母様が足を怪我されて、治したいと思っていて……」

(それだけですか? 名前は? どこ住み? ラインやってる?)

「そ、そこまでは……」

(ほらー)

「ちょ、ちょっと来てすぐ帰っただけじゃないか。そんなことまでわかるはずが」

(私は帰りにプロフィール帳渡されましたけどね)

「嘘ぉ!?」


 プロフィール帳とは? おそらく小学校の間で流行っているのでしょう、名前や生年月日や住所、好きなもの嫌いなもの、得意なもの興味のあるものをひとまとめに書いた一枚の紙です。私が入手してきた人間情報の内の一つで、紙の柄が可愛かったりかっこよかったりするのもあって、目神さんと一緒に良いなあうらやましいなあと喋り合っていたこともあるやつです。


「そんな個人情報の塊を……見ず知らずの獣に!」

(獣じゃありません、化狸です。まあ、人間の女の子に化けていましたからね。ふふふ、それなりに可愛らしかったでしょう? あの姿)

「自分で自分のこと可愛いっていう女は信用ならないって人間の雑誌にぶっ!?」


 私はジャンプして素早く横に一回転、目神さんの顔に尻尾を勢いよくぶつけてさしあげました。


(それはともかく。ね? 相手のことをほとんど知らないのに、自分のことだけ全部知っとけーなんて無理な話なんですよ)

「そう言われれば……そうだけどっ」


 目神さんは頭をぐしゃぐしゃとかきむしり、「あー!」と上に向かって叫びました。


「うわ……なんかそんな気がしてきた……」

(なにが? 目神さんは人間なんてどうでもよくって自分大嫌いで自分大好きで自分本位な神様なことですか?)

「あー! あー!」

(恥じることは何一つ)

「四度目はねえよ!」


 今度は目神さんのチョッブが私の頭に。それなりに痛いです。

 目神さんはぜえぜえと息をすると、やがて「あー」とか「うー」とか言いながら体を後ろに倒し、大の字に寝っ転がりました。


「……なあ、子狸」

(はい。なんでしょう?)

「私が超我儘神さんってことはよくわかったよ。でもさ、それすら願ったら駄目なのかな?」

(そんなことはないと思いますよ)

「けど、そんな神さんのところに参拝客が来ると思うか?」

(目神さんの本当の気持ち、知っているのは私ぐらいです。良くも悪くも人間は、目神さんのことを知らないのですよ)

「……じゃあさ、質問を変えるよ。神様ってのは、誰にも必要されなくなってしまったら、消えちゃうんだろう?」


 私はよじよじと移動して、目神さんの顔を覗き込める位置に座りました。思えば、いつも見上げるばかりで、見下げるのは滅多にないことです。


「私は、消えたくない」


 でしょうね。目神さんは。


(正確に言えば説の一つですし、もっと正確に言えば間違っています。必要とされなくなるから消えてしまうのではなく、必要とされなくなることで存在する意味を失うから、消えてしまうのだそうです)


 目神さんが不安そうに私を見上げます。


(だから、目神さんはいなくなりません)

「どうして? どうしてそんなにはっきり言えるんだ?」

(どうしてって、簡単ですよ。目神さんは絶対に、存在することを諦めない)


 私は笑いかけます。


(目神さんのことが大好きで大嫌いな目神さんは、目神さんのことを絶対に諦めないからです。目神さんが存在する意味は、目神さん自身なのです)


 それが、ずっと一緒に傍に居て、今日はっきりとわかった、目神さんという神様なのです。

 目神さんはじっと私を見つめて、大きなため息を吐きました。ゆっくりと体を持ち上げ、座り直します。また「あー」とか「うー」とか唸ったあと。


「私は最低な神様だなあ」

(そうでもないと思いますよ? 私は) 

「慰めはもういいよ。……最低でも、それでもさ。誰も私に会ってくれないのはやっぱり寂しいよ。私、消えちゃうかも」


 唇をとがらせて、冗談めかして言う目神さん。


(ご安心ください。それはさせません)

「なんか今日は偉そうだなあ子狸。やたら自信もって言うけどさあ、おまえのことじゃなくて私のことなんだぞ。私の気持ち次第なんだぞ」

(いいえ、私のことでもあるのです。目神さんは、絶対に寂しくなんかなりません)


 私は目神さんを見上げて――ああ、やっぱりこの視点の方が好きです――自信たっぷりに言いました。

 それは、今日ようやくはっきりとした感情。


「私は目神さんのことが大好きで大嫌いな目神さんのことを、愛しているのです」


 一斉にぱちくりした目神さんの瞳。一拍おいて、真っ赤になる目神さんの顔。

 私は悪戯心いっぱいで、一番の笑顔を作りながら気持ちをお伝えしました。


「だから、私がずっとおそばにおりますよ」




 その後、「やっぱり嘘は駄目だろ」と説教されたので渋々例の少年の住むおうちに謝りに行きました。あれは嘘だったのですごめんなさい、あそこにいるのは私のような喋る狸をパシリにする目の神様なのです、脚じゃなくて目の神様なのです、お母様の怪我の治りの速さはお母様を誉めてください。そう話してきました。狸の姿で。そのときの少年の絶望の顔を見るに初恋奪っちゃってごめんなさいって感じでした。一応プロフィール帳はお返ししました。その後喋る狸だなんだと親を呼ばれそうになったので急いで逃げてきました。

 一部始終を目神さんに説明したらまた怒られてげんこつを喰らいました。嘘は言ってないのに。

 その後少年は何度か目神社に来てくれて、私の良き話し相手になってくれました。彼が目神さんの為に提案した、「字を書いて人間に伝える」という情報伝達方法は目神さんの中でちょっとしたブームになりました。なかなかお披露目する機会はありませんでしたが、少年が遊びに来たときは、私と彼のお喋りに目神さんは文字で割って入ってきました。文字を書きながら時々見せる目神さんの身振り手振りを、私は少年に伝わらないことを惜しみつつも、自分にだけ伝わることを自慢したくなったりしました。

 それから、少年が中学生になってあまり遊びに来なくなったり、目神さんが境内から少しの時間だけ外に出られるようになったり、まさかの紫様が顔を出しに来て目神さんがあからさまに嫉妬したり、目神さんがまたしても社を移動させられたり、それで私のことを忘れてしまったり、でも思い出してくれたり、また「ずっと傍にいる」と約束したり、二人でお賽銭をこっそり頂戴してアイスを食べたり、色々ありました。

 本当に、色々ありました。




 目神さんとのあの衝突から五年後、私は目神社を離れました。

 立派な化狸になる。そんな夢を叶える修行のためでした。

 目神さんはそれはもう泣きに泣きました。ぎゃん泣きでした。「このうそつき狸ずっと傍にいるって言ったくせに!」まったくその通りでございます。

 でも、もう、この子狸がいなくても目神さんは大丈夫。そう思って、私は決意したのです。

 あれからさらに数年。目神さんからの手紙は、最近まで最後の一文が必ず決まっていました。『このうそつき狸』。

 他、様々なことが書かれています。少年の恋の相談に乗った、紫様に喧嘩を売られた、新しい使いの子狸が生意気だ、私はおまえに裏切られてもへっちゃら全然元気だぞ、などなど。

 私は手紙を何度か読み返しては、こっそり笑いました。こっそりのつもりでしたが、後輩に「先輩気持ち悪い」と軽蔑されたこともありました。そんなににやけてましたか、私。

 私が立派な化狸になって、目神さんの使いに戻って、いつか紫様みたいに適度に人間を利用して神様になって、そしたら、目神さんの傍で一緒に神様業をやる。また引越ししても、一緒なら大丈夫。

 それが、私が新しく決意した、温かい、かけがえのない夢。

 勇気を出してこの夢を手紙に書いたとき、目神さんはどう思ったのでしょうか。返ってきた手紙には、『このうそつき狸』の文が無くなっていました。

 手紙を読んで、私は目神さんを感じます。

 目神さんは今日も、目神さんのことが大嫌いで大好きなんだって。

 そして、私のことが大好きなんだって。

 だから――あの神様は大丈夫なのです。

 私は今日も、ふと目神さんのことを思い出し、手紙のネタをしたためるのでした。


 眠る時間、床に入るとき。いつかの日の為に、私は今日も空想します。

 目神さんとの新しい日々を。

 もし、目神さんと私の空間に、来てくださる方がいたら。


『あなたは目神社と化狸の話をご存知でしょうか?』――そんな言葉から、目神さんと私がせいいっぱいおもてなしするのです。






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『目神社と化狸の話をご存知でしょうか?』 日隈一角 @higuma111

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