『目神社と化狸の話をご存知でしょうか?』

日隈一角

前編

 あなたは『目神社』をご存知でしょうか?

 

 聞いたことがない。ふむ。まあ、仕方のないことかもしれません。はっきり言って、有名ではありませんから。

 目神社がある場所は某S市。工業が盛んなとある田舎です。太い煙突から煙がもくもくと昇っていくのが、毎日確認できます。慣れている人ならば煙の向きで今日の風量や風向きを把握できるでしょう。嘘じゃないですよ。

 さて、S市の隅っこの方、山に近く家は少ない地域に、ぽつりと目神社は存在します。そこには鳥居もなく、ただ中途半端に広い境内と小さな古ぼけた社がございます。ここが目神社。そして、『目神さん』がおわすお家です。そう、目神社とはとある神社の名前だったのです。

 ああ、説明が遅れました。『目神社』は『めじんじゃ』ではなく『めがみさん』と読むのです。そう、社に布が吊るされているでしょう。目神社という名前と『めがみさん』という振り仮名を人間がプリントアウトしてくれています。わかりやすいでしょう。

 神社の名前にちなんで、社に住んでいる神様のことを私は『目神めがみさん』と呼んでいます。

 目神社に住んでいるもうひとり――いえ、もう一匹は、この私です。私は名も無い化狸。目神さんからは『子狸』と呼ばれています。立派な化狸になるため目下修行中でして、目神さんのお手伝いをさせて頂いております。なにとぞ、よろしくお願いいたします。

 さて、その日も目神社は平和でした。平和すぎるくらい平和でした。だから、目神さんはあんなことを言いだしたのだと思います。

 それは日差しが眩しい夏の日のことでした。



「客が来ない」

 

 目神さんはふてくされていました。


(目神さん、お客さんなんて呼んでいたのですか。おもてなしの準備とかしていませんよ)

 

 私はいつも通り境内を箒で掃除しておりました。


「そうじゃない。そういうことじゃないんだ、子狸よ」

 

目神さんは神様なので化狸同士が使うテレパシーも読み取れます。


「人間が来ないと言ったんだ。だれも参りに来ない」

 

 それはいつものことですが、目神さんは大分参っておられました。参られる側ですけど。

 目神さんの外見は人間の若い女にそっくりです。足首まで届く黒く長い髪は腰辺りで結んでおります。衣服は改造した巫女服です。上半身を纏う白衣は胸元の微妙な凹凸に引っかけて、そこから下はご開帳。下半身は普通の緋袴です。胸元と普通の人間の両目の位置に包帯を巻いております。ではどこでものを見ているのかと言うと、目神さんには目が二つ以上あるのです。私から確認できるだけでも、額、お腹、手の甲で目玉がぎょろりと動いております。ちょっと気持ち悪いですね。

 あ、ちなみに私の外見は狸です。茶色のもふもふを想像していただければ。

 目神さん曰く、近頃の人間にも受け入られやすいようにあえてファンシーな外見にしたとのことです。その目論見は成功しているのでしょうか。私と目神さんの情報源は近場のゴミ箱に捨てられた雑誌や新聞しかありません。ちなみにとってくるのは私です。目神さんは目神社の土地から出ようとはしません。


(昨日も誰も来ませんでしたし、今日も誰も来ないんじゃないですか)


「それが問題なのだ、子狸よ」


 目神さんは胡坐をかきながらふよふよ浮かんでおります。


「人が来ないのを問題視していなかった。これは由々しき事態だ」


 目神さんはふよふよしながらシリアス顔を作りました。


「ともに考え、何とかしよう、子狸よ」



 かくして目神さんプロジェクトは発足しました。

 早速難航しました。目神さんに特に考えがあるわけではなかったからです。


(まず、今を改善しなければなりませんね)

 

 私は当たり前のことを言ってみました。目神さんは眉を顰めます。


「私に欠点があるというのか」

(欠点といいますか、少し需要とずれている部分があるかもしれません。矯正できる範囲でなんとかしましょう)

「需要……神様なのに需要……」


 目神さんは釈然としない様子でした。この件言い始めたの目神さんなんですけど……?


(とりあえず問題点を書きだしてみましょうね)


 私は拾った木の枝で地面に文字を書きました。文字は故郷の狸の森で教わりました。お茶の子さいさいです。

 目神さんが幾つかの目玉で私の手元を覗き込みます。そこにはこう書かれてありました。



①神様としてマイナー


「やめろ」


 目神さんは両目を覆いました。あ、人間の両目部分です。常に包帯で覆われているところです。


(覆う意味あるんですか)


「ジェスチャーは大事だ」


 目神さんは両手を離しました。


「いや、マイナー云々は仕方ないじゃないか。神話に出てくる神様たちと私は違う。八百万の神だぞ?」

(それはまあ、そうですね。タイムスリップして神話に脇役で登場するとかしない限り)

「無理難題ふっかけないでくれるかな? あと脇役確定はやめろ」


 目神さんは私を肘で小突きました。


(でも、仕方ないわけでもないと思うんです)

「む?」

(紫様の場合、社の隣に神様になった経緯を記した石碑がありますし、パンフレットにも載っていますし、地域の昔話を集めた本にも)

「ちょ、ちょっと待て」

(はい?)

「紫様って誰だ、紫様って」

(ああ、化狸の女神様ですよ。故郷では有名でした。よくああなりたいと、友と共に語ったものです。懐かしい)

「へ、へえ。でも近頃の人間は本とか読まないんじゃないか。やっぱりぱそこんとかすまほとかそういうものじゃないと」

(専用のWebページもあるとの話です)

「馬鹿なっ!?」


 全ての目玉が見開きます。感情表現便利そうですね。


(何が言いたいかと申しますと、目神さんだって何かしらの努力によってそこそこ有名になることは可能ではないかと)

「そうかなあ」


 そこまで言ったところで、私はふと疑問が浮かびました。


(紫様のお話はほとんど『どうやって神様になったか』を綴られているんです。ところで、目神さんはどうやって神様に?)

「気づいたら神様だったから」

(気づいたら神様……)


 目神さんはごほごほと咳き込んでごまかしました。


「おまえだって気づいたら狸だっただろう! なあそうだろう!?」

(え、あ、はい)

「大体、紫様とやらがなんだ。おまえは私の! 目神社の使いなんだぞ。そんなに化狸がいいのなら化狸の実家に帰ればいいじゃないか!」


 ぷんすかと擬音を口にしながら目神さんはそっぽを向きます。首をあちらへ向ける際に「ぷいっ」も口に出しました。

 私はちょっと「むっ」としました。口には出してません。


(そんなこと言わなくてもいいじゃないですか)

「つーん」

(……わかりました。私にも考えがあります。実家に帰らせていただきます)

「えっ」


 マジで? みたいな顔の目神さん。

 私はできるだけ深々と、できるだけ白々しく頭を下げました。


(私には実家があるので。帰る場所が別にあるので。私には。目神さんと違って。私には)

「傷つく言葉の強調はやめろ!」


 それから嘘ですごめんなさいとか行かないでくださいもう言いませんとか嫉妬してたんです子供の癇癪ですとか、なんやかんやあって話は納まりました。やったね。


(ではこの問題点は改善不可能……と。次ですね)

「次もあるんだ……」


 目神さんはすっかり疲れ果てていました。


(①って書いたじゃないですか)

「あ、うん。そうね」

 目神さんはちょっと肩が落ちていました。



②場所が周囲に隠れ気味


「……ふむ」


 目神さんはぐるりと境内を見渡します。目神社はやはり閑散としております。固い黄土色の地面。木々が生い茂ることもなし。鳥居なし、手水舎その他もろもろ無し。あるのは小さな賽銭箱と小さな社のみ。

 目神社の周りは民家が少なく、田んぼがいくつかあるくらいです。場所が山に近いということもあって、人もあんまり通りません。

 目神さんはややあって言いました。


「……仕方ないんじゃないのかな」


 またそれですか。私の心はばっちり読みとれたみたいで、目神さんは唇を突きだして不服そうな顔をしました。


「だって、場所なんてどうにもならないだろう」

(そこは神様パワーで、動かしたり……神社を)

「無理」

(動かしたり……山を)

「無理!」

(そういえばこの神社って別の場所からお引越ししたんですよね。以前はどこに住んでいたんですか?)

「……え?」

(え?)


 私は目神さんの顔を見ました。目元が包帯で隠れているぜファッションなせいで表情とかはわかりにくいですが、本当に戸惑っておりました。


「私、引越ししたの?」

(……あなたの使いの仕事を引き受ける際、採用担当の化狸からそう説明されたんですけど。たしか、十年ほど前にお引越ししたって。民家の集まりの近くにあって、工事現場の邪魔になって……)


 ちなみに私が仕事をし始めたのはここ数か月前からなんです。つまり十年前以前の目神さんについては詳しく知りません……。

 目神さんは頭を片手で押さえました。


「知らない……」


 手の甲の目玉が、混乱してあっちこっちに動き回ります。


「知らない……私……十年前……?」

(あ、あの、目神さ)

「私……私……? 私っていつから……? 私と言う存在……私を証明する方法……私、私は」

(次いきましょう次!)



③ご利益がいまいち


「さて、次の課題ですけど」

(私……私ってなに……)


 私(名も無き見習い狸の方)は突如垂直ジャンプ。私より下の位置となった目神さんの頭を体重をかけてビンタ。「わたおうふっ」という呻きを後に着地。無事元の位置へ。


「なにするんだ子狸!?」

(あなたこそ何をしていたんですか。次の問題点会議に移ってますよ)

「はっ、あれ? 私はいったい……」

(きっと夢でも見ていたのでしょう。適度な昼寝は健康にいいと聞きますし、まあいいではありませんか)

「あ、うん」


 正気を取り戻した目神さんが頭をさすりつつ、文字が書かれた地面を覗き込みます。


「って、なんだ『ご利益がいまいち』って! 馬鹿にしてんのか!」


 そして憤怒しました。「うがー」と言いながら、私をぶんぶんと振り回します。痛いです。恐いです。


(だあってほんとうのことじゃあないですかああああ)

「どのへんが本当なんだ! そんなことを言うのはこの口か! ちっぽけなこの口か! 根拠を示してみろ根拠を!」

(じゃあいったんとめてくださいいいいい)


 そのあとしばらく目神さんは私を振り回しました。多分途中からサドごころが刺激されたのだと思います。可愛らしくあどけない小動物にこの仕打ち。なんたる卑劣。良い子は真似しちゃだめですよ。


(うえ……)


 開放された後も私の視界はしばらくぐるぐるしておりました。


「さ、早く言ってみろ。あ?」

 目神さんはそうとも知らず(否、知ってか)私を急き立てます。仕方がないので、私は気分が悪いまま渋々と本当のことを言いました。


(ご利益が部分的すぎるんですよ……うえ)

「どういうことだ」

(頭が良くなるとか、仕事が順調に進むとか、健康になるとか、恋が実る……とかのご利益は願い事の範囲が広いイコール客幅も広い、ってことになると思うんですよ。……うえ。一方、目神さんは)

「うっ」


 目神社のご利益。それは『目が良くなる』です。

 簡単に言ってしまえば『視力が回復する』で合ってるみたいです。ただし回復量は微々たるものらしく、『目が全く見えない状態から視力二・〇まで回復しました!』とかいうレベルは難しいそうな。

 なお、回復量は目神社への信仰心によるとかなんとかで、一度神社を訪れただけではなかなか実感できるぐらいまで回復しないそうです。つまり効力がわかりにくいと。

 目神さんはへこみながらもぷりぷり怒りました。


「別にいいじゃないか、ご利益が微妙でも! 部分的でも! わかりにくくっても! 大体神様にお願いしに行っただけで目に余るほどの変化が訪れたらおかしいわ! びっくり人間大会か!」

(お願いしに行った『だけ』って。当の神様がそんなこと言っていいんですか)


 目神さんは私を無視して地面を足の裏でごしごしと擦りました。問題点①も②も③も、すべて消えてしまいます。


(あー……)

「お互いに無駄な時間を過ごしてしまったな」


 何かを悟られた様子でした。


(きっと無駄じゃありませんよ。自身に足りない部分を改めて自覚することで成長することだってできます。ほら、目神さん、軽くレベルアップした気分になりませんか?)

「軽く言わないでくれないかな!? ゲーム脳こわい!」


 悟りには程遠かったようです。

 目神さんは私から距離を取って睨みました。逆恨みですか。私ゲームしませんよ。何でも決めつける現代神こわい。

 とはいえ、目神さんの言うとおり、無意味な時間を過ごしてしまったのかもしれません。明日にはこんな問答をしたことも忘れてしまうでしょう。問題点は所詮問題点のまま、改善することはなく、できない。目神社は目神社のまま、目神さんは目神さんのまま。

 私はやや過敏になっている目神さんを見やりました。借りてきた猫のようです。実際には猫を借りたことはありませんが、言葉を引用するくらい構わないじゃないですか。

 ……このままでいいのかもしれません。この世界を生きていくのに、困ることではないでしょうから。

 今日も目神社は平和です。鳥居はなく古ぼけた社だけ。木々はなく固い地面。境内に存在するのは小さな狸一匹と目神さんと少年一人。まあ、今日も誰も来ずに一日が終わ――少年?

 私は大急ぎで社の後ろに隠れました。目神さんが「なんだなんだ」と言わんばかりについてきます。


「なんだなんだ、子狸よ」

(あなたは本当に想像通りの人ですね)


 なんだとこらと言いかける目神さんの前で、私は口元に立てた人差し指を添えました。『ちょっと静かにして』のポーズ。ついで、その人差し指を境内の入り口付近に向かって指します。『あっち見てみろ』のポーズ。

(待望のお客様ですよ。人間です)

 目神さんは驚いた顔でそちらを見ました。そこには、まだあどけない、十くらいの少年が、戸惑いながらも立っていました。


 

 少年は境内をきょろきょろと見回し、ギクシャクした様子で歩いてきました。緊張しているようです。そのまま社にたどりつくと、ポケットからお賽銭を取り出し、賽銭箱に入れました。

 目神さんの顔がさっきからうざいです。『ぱあぁっ』って擬音が流れてそう。よっぽどお客人が嬉しいんですね。

 少年は手を叩き、手を合わせたまま目を閉じます。願いごとを祈っているのでしょう。

 神様に直接伝える意思のある願いごとは、直接その神様に届きます。目神さんにも少年のお願いごとが聞こえているはずです。

 少年はずいぶん長く手を合わせたままでした。その表情は真剣そのもので、誰だって邪魔しようとは思わないでしょう。これだけ一生懸命祈ったのだから、目神さんだって一生懸命応えるはずです。なんだかんだいって、悪い神様ではありませんから。

 私は、お客様にさぞ感激しているだろう目神さんの顔を覗き込みました。

 

 目神さんは呆然としていました。

 状況を信じられないような、なにかに裏切られたような顔でした。表情は暗く、男の子を見つけたときとは変わってしまっていました。私の方が、深く傷ついてしまいそうでした


(……目神さん?)


 目神さんは黙って俯きました。

 少年がやがて目を開け、満足そうに去ろうとしました。少年が願い事を祈るまで目神さんは喜んでいたはずです。目神さんの表情を曇らせた原因は、きっと少年の願い事にあるはず。

 私はいてもたってもいられなくって、男の子の前に姿を現しました。

 ただし、小さな狸としてではなく、小さな女の子の姿で。

 私だって、見習いでも一応化け狸。数分程度ならまやかしを見せることができます。一番大変なのは声を出すことなのですが、そんなことは今どうでもいいですね。


「ねぇ」


 私は人間の声で、少年に声を掛けました。少年は振り向きます。きょとんとしています。でも、突然姿を現した同年代くらいの女の子に、特別驚くことはありませんでした。子供ってなんでも受け入れますしね。


「随分長い間祈られましたね。何を願ったのです?」


 できるだけ親しみを持ってもらおうとして、にっこり微笑みました。結構可愛くできたつもり。


「あの……かみさまに、お母さんのケガ、治してもらおうと思って」


 少年はおどおどしながらも、ちゃんと答えてくれました。

 母親を想う子の優しい気持ちが伝わってきます。素晴らしいじゃありませんか。目神さんはなにがお気に召さなかったのでしょう?

 もう少し探ってみます。


「お母様、目が悪いんですか。良くなるといいですね」


 すると少年は不思議そうに私を見て、言いました。


「ちがうよ、お母さんが悪いのは、足だよ」

「え?」


 ――足?


「自転車とぶつかって、足をケガしたんだ。今はいつも病院でベッドにいて、だから早く治ってほしくって、」

「ちょ、ちょっと待ってください」


 少年を制します。私の頭はハテナマークでいっぱいでした。足? なぜ? だって、ここは。この神社は。


「貴方はこの神社にお参りに来たのですよね?」

「うん、そうだよ」

「じゃあ、やっぱり目を治してもらいに来たのでは……」

「違うってば。なんでそう思ったの?」


 少年は理解できない顔で私を見ます。ごめんなさい、私も理解できない。


「え、だって。目神社ですし……目神さんですし……」

「えっ?」少年は首を傾げました。「なにそれ?」

「は」


 私の頭は真っ白になりました。わからない。この子は、何を言っているのでしょう。私が言っていることは当たり前で、ここに訪れたのなら知っていることが当たり前で。

 そのはずなのに。そのはず、なのに……。


「目神社……っていうのは、ここの、神社の名前ですよ。あと、ここに住んでいる神様の名前……」

「えっ?」少年は逆の方向に首を傾げました。


 そして、悪びれもせず、ただ正直に、子供らしく、私に問いました。


「かみさまに、名前なんてあるの?」

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