雪花の蛇

「  昼と夜の逆しまで目覚めるもの、微睡まどろみのうちより世界の始まりを告げよ 」


 空間を渡って声が響く。


「〈形なき幻に我は名を与えん〉」


 新たな呪文が完成を見る。


「 その名は《雪花の蛇クーシェル》 」


 術者の魔法円の外、日に照らされた地面から白い影が、ずるうりと垂直に立ち上がりみるみる大きくなっていく。表面を覆っていた薄氷をこぼしながら、体積を増やし白い影を破って、真っ白な蛇の姿をした生き物が現れた。

 一度マクシミリアンの身の丈の倍まで伸ばした首(?)を低くもたげ、残りの体は術者の周囲に波打つ。


 純白の大蛇は細い舌先を一、二度出して術者以外の気配を察知すると、首を傾げながらバールの方へと頭を伸ばす。


「ゔ。あの、ちょっと、ししょー」


 眠そうにわずかに見開いた蛇の目は鮮血のように赤く、動きも形も完全に蛇でありながら、頭の付け根にたてがみを持ち、そこから全身の鱗の隙間に流れるような白い体毛を生やしていた。


 手足のない生き物の動きは、見ていて気持ちのいいものではないが、小さい頃はそれでもよく獲ったりして遊んだこともあり、苦手というほどでもない。


(噛まれたら痛いじゃ済まないぞ……)


 でも、この大きさはただ事ではないし、しっかりと自分を捉えている細い瞳孔に、さすがに勝手の違うどうにもならなさを感じて、バールは仰け反った。


 師匠は何をしているかといえば、


「〈形なき幻に我は名を与えん〉」


 再び足元に青白い魔法円が浮かび上がっていた。

 まさかの、

(これ以上、増やす気かっっ!!)

 三連続召喚を行なっていた。

(なぁああに考えてるんだよ、あの人ぉぉ!!!!)


「 その名は《夜行時間フォルモーサ》 」

 



「オレは説明を求めます。なんなんすか、これは!」

 弟子はもう一度繰り返した。

「これはなんなんですか! 動物園つくりたいんですか!?」

 声を大にして固まるバールの目の前を、ひらひらと手のひら大の蝶々が通り過ぎていく。

 それは光の中で影法師のように黒くなり、影に入ると桃色の仄かな光を放つ、幻想的な生き物だった。

「おかしいわね、妖精がきゃっきゃうふふしてるの好きって言ってなかったっけ?」

 鴉の翼を背負った獅子の巨像を背後に従え、体毛のある大白蛇のとぐろの中心に立つレオン・マクシミリアンは数頭の夜行時間フォルモーサを周辺に舞わせたままのんびりと言った。

「想像とぜんぜん違います!!!」

「他に何か気づいたことないわけ?」

「っ……」

 問われて、バールは言葉に詰まる。

 疑問はたくさんあった。昼からずっと見てきた、呼び方も呼ぶ先も違ういくつもの召喚魔法は、マクシミリアンの講釈によって分類、体系化されてバールの中に積み上がっていた。おぼろげな召喚術の輪郭がつかめそうなくらいに。


 慎重に言葉を選ぶ。

「えと、鍵穴の固定の後の詠唱が、違ってました。古代語じゃなかった、だから、あの部分は魔力がこもってない?」

「他には?」

「連続した召喚は初めて見ました。召喚円を消してから、次の召喚に入るのは納得がいきます。でも、召喚円が消えても召喚されたものがとどまっていることが、正しいのかどうかがよくわかりません」

 雪花の蛇クーシェルの体に腰掛けながら、マクシミリアンが口を開く。

「異界の住人が長く留まることはいいことじゃないわ。でも今、疑問にしてるのはそこじゃなく、今まで見てきた召喚においてそれが可能かどうか、よね。〈幻獣召喚〉では見ての通り可能よ。なぜなら幻獣の特性として、妖精界の住人である彼らは自分の意志で現世と精霊界を行き来する能力を持っているからよ」

「え……じゃ、わざわざ呼び出さなくていいってことですか?」

 バールは首をかしげた。

「異界の住人が長く留まるのはいいことじゃない。だから逆よ、わざわざ呼ばなければ来ようとはしないの。〈幻獣召喚〉以外の召喚でとどまれるのは、物体の移動である〈空間転移〉、精霊界の現象が解除後に物質として形になる〈事象召喚〉、〈古き契約〉については一つ一つ条件が異なるから、いちいち覚えるしかないわ。隕石落下メテオストライクは現世の延長線にある星界からやって来るから残るけど、溢れる星形フレッグ・ビスタはどの異界から来るのか判明していない物質で、消えてしまうわ。残るものは召喚円を解除しないうちは、帰還させることが可能よ」

「さっき還せなかったですけど?」

「帰還処置って、召喚円が見えないとできないのよね」

 ふーんとバールは頷いた。

「キノコマンは、消えましたよね? あの時、召喚円は?」

「共鳴と違って、真名を使う強制の場合、召喚した後の魔力維持は『使役ライド』に使われるわ。存在させ続けることは難しく、必ず制限時間が発生する。あの時は、召喚円を解除して『使役ライド』を解いた、それで私を術者と認識しなくなったのよ」

 なぜ制限時間があるのか、についてマクシミリアンは噛み砕く。

「真名を使ったの場合、〈空間〉の移動と結果が同じになることがあるのだけど、移動の仕組みは全く異なるわ。空間を横移動する転移と違い、転位は階層をまたぐから、世界の法則に従って元に戻ろうとするものなの。だから留めておける時間に限りがある」

 難しそうに顔をしかめるバールに、師匠は付け足す。

「まぁ、ここから先は、実際にやってみなければわからないでしょうね」

「共鳴召喚は、使役しない代わりに、存在の維持がしやすいんですか?」

 しかめ面のまま、バールは自分でも何を質問しているのか把握し切れない顔で聞いていた。

「だから、このヒトたちはずっとここにいるんですか? でも師匠、今、召喚円解除してますよね?」

 あれ、そもそも召喚円見たっけ?とさらに首を傾げる。


「だいぶ混乱してるわね」

板書メモできないからですよ」

 マクシミリアンは薄く笑った。


「あんたの最初の質問に戻るわね。古代魔法帝国が席巻した時代の遺物である古代語は、文字自体にも言葉自体にも力があるわ。これとは別に人の声や意思も力を含んでいる。幻獣を召喚する際に古代語を使うのは、鍵穴を維持するため。彼らに自分が呼ばれていることを気づかせるには、術者の声と意思の力だけを頼りにしたの」

「その力は魔力ではないんですか?」

「人によるわね、声と願いだけで夢が叶えられる人は少ないでしょう。それを実行しようとした果てに魔法は発展したのだけど。私の声は確かにあんたより力を持っているけど、彼らを使役せず、自由意志で力を貸してもらうため、魔力でいないようにしているの」

「うぅーん」

手がかりヒント。この子たちは変化に敏感で、臆病だけど、好奇心を持つ傾向にある。現世とは違う不文律の生物だけど、形態を見る限り夜行時間フォルモーサにも雪花の蛇クーシェルにも耳は存在しないわね。声というより感情や意思を聞き取っているようね。幻獣召喚が他の召喚術と違い有利メリットがある点は何かしら?」

 それは見たままのこの光景のことだろう、とバールはようやく合点がいく。

「召喚円も魔力の継続の必要もなく、現世にとどまり続けることが可能で、それに言うことを聞いてくれること?」

「そ。加えて、召喚の際に魔力を最小限に抑えられることよ。共鳴ができていれば、その呼びかけは声である必要もないわ。共鳴召喚というのはそういうものよ」

 あらためてバールは3体の異形のものたちを眺めた。

 見た目ほど、怖くないのかもしれない。


雪花の蛇クーシェル

 マクシミリアンの穏やかな声に反応して、その言葉と体毛を撫でられたのが合図であったかのように、ザアッと音を立てて純白の大蛇がバールの背後を回って正面に顔をもたげる。

「ひぃ」

 やっぱ無理そうだった。

「手加減してやってね」

「んなっ」

 白蛇の眠たそうな真紅の視線がバールに当てられ、瞳がほんのわずかに広がる。その途端、バールはぐっと体が重くなった。息が長く浅くなっていく、時間の感覚が鈍くなって何も感知できなくなっていく、これは、これは、眠気だと悟った時、通常の蛇にはない雪花の蛇クーシェルの瞼が再びすがめられた。

「んはぁっ!」

 同時に冴え渡る爽快な目覚め。落ちかけていた膝に力が漲り、体が伸びる。

 ぴしと姿勢を正したバールは驚きと不思議さに、怖さも忘れて目の前の白い大蛇をまじまじと見つめた。

「すごいですね」

 何かが、すごかったが、何をされたのかはよくわからない。

 思わずクーシェルに話しかけていた。相手はちるちると細い舌を出し入れするだけで、反応してくれているかは怪しい。


「幻獣って不思議ですね」

 楽しそうなバールの声に、マクシミリアンはひとまず胸を撫で下ろした。生き物が苦手ではこの先召喚術の幅は広がらない。

「その子は寒がりでね、活動するために生き物の代謝速度を奪うの。奪い切ることはないわ。幻獣はモンスターに似て、衝動をうちに秘めてるものよ、違うのは根源的に破壊を持つことはなく、存在を目的とした命だということかしら」

「人と同じ?」

「……人はもっと複雑なものよ」

 曖昧に口を歪め、幻獣の召喚者は言葉を切った。


「明日からしばらく、召喚の講義はなし」

「えぇええっ」

「次は、魔術の基礎課程で指定した回数が終わったものから試させてもらうわ。あんたが実践する番よ」

「そんな」

「だいたい、魔法使えなきゃ教えられないでしょ! 講義ばかりで理屈っぽくなられても困るわよ」

 ぐうの音も出なかった。

「わかりました……」

「これで一通りは見せたはず」

「ありがとうございます!!」

「はいはい、疲れてるのによく付き合ったわ。時間をあげるから、せいぜい復習しておきなさい」

 それから、と続ける。

 マクシミリアンは弟子をひたと見据えた。

「今日見聞きした召喚魔法を誰にも自慢するんじゃないわよ、いいわね」

「え…… あ、はい」

 やけに厳しい口調に、よくわからないままバールは頷いた。

 講義をこなし魔法を披露する準備ができたら、塔にある師匠の準備室を訪ねることになった。師匠の魔法を見た後ではとても気が重い提案だった。

 クーシェルとフォルモーサとレイヴンハートがそれぞれ、しょげてるバールを興味深そうに気にしていたが、本人はそれに気づかなかった。


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