黒翼の獅子
昔、ある魔法使いが別の世界の存在に気がついた。
現在、人が暮らす物質界(現世)には、すでにいくつかの異界が重なり、互いに干渉していることが明らかにされている。
魔神が眠る魔界、
神々が住まう神界、
精霊王が守る精霊界、
目には見えないこれら異界から力を借りる術を、魔法使いたちは構築してきた。
その中で
それは他のどんな大系の魔法にも匹敵する力を持つと考えられていた。
……しかし、なぜかあまり人気が出なかった。
いまだに。
「なんか、世界が灰色ですー」
光にやられたバールの目には、一時的だと思われる色彩感覚の欠落が起きていた。
「それはお気の毒さま」
そう言いながらも、マクシミリアンは実験場の壁に設置された回転
「あ、もう、始めるんですか? 師匠、少し休まなくていいんですか? ここ来てから、ずっと魔法連発してません?」
バールと境目を隔てて日の当たる地面に戻ったマクシミリアンは、いつも通り杖に体重を預けて気怠げに立った。
「終わらせて、早く帰りたいわよ」
「ですよね。えっと、次は……」
「《
「あー、じゃあ最初の『
「そう。ちゃんと学んでるじゃない。《
「はい、妖精界です」
マクシミリアンは少し目をみはってバールの顔に注目する。
「では、精霊界が様々な元素のある場所だとしたら、妖精界は何を現世にもたらす所だと思う?」
教えていないことを質問した。
「透明な羽の生えた小人みたいな妖精さんが、きゃっきゃ、うふふしてるとこだと思います」
「予習はしてないってことね」
「あう、違うんですか?」
「なに残念そうな顔してんのよ。聞いたことに正しく答えなさい」
「すみません、どう現世と関わってるのか想像もつきません」
「妖精界は現世と精霊界の
へぇとバールは唸った。
「召喚術というのは、例えると『鍵』で異界の門を開け、続く言葉で呼び出す先の世界との鍵穴を合わせるの。ここまでが第一段階ね」
ふんふんとバールは頷く。
始まりの言葉の後に、数字がいくつも出てきたのを思い出す。
「数字が鍵穴の指定ですか?」
「そんなところよ、省略できるようになるまでは、理解する為に、いちいち声に出した方が安全だと思うわ」
それから、と言って第二段階の説明に入る。
「対象物を呼ぶための詠唱に入るわ。『
マクシミリアンは一息ついてバールに目を向けた。
「ゴリ押しは勧めないわ、危険だし、非効率だし。だから召喚名を言う前の段階までに、ちゃんと安定した力場を準備することが大切よ。まだよくわからないと思うけど、確実にこれはやってほしいの、約束してくれる?」
「よくわからないけど、約束します」
バールの思考の片隅に、前にハッとさせられたマクシミリアンの言葉が浮かんだ。
『この世界のこともだけど、異界も守りたいの』
関係があるかはわからない、けれど、
「ちゃんと召喚できる準備が整うまでは、召喚名は叫びません」
(叫ぶ気なのねコイツ……)
「ありがとう」
叫ぼうが叫ぶまいが、約束してくれた心意気が本物であればいい。
「あれ、色が戻ってきたかも」
「ちょうどいいわね、始めましょうか」
その場に立ったままバールは、巨大な照明の中心に移動したマクシミリアンの姿を眺めた。
銀と黒の杖が地面に突き立ち、召喚魔法が発動していく手順を観察する。
見慣れてきたその姿はやはり特別で、何もない所から生まれる魔法の予感に、恐れよりもうずうずと期待が膨んでいく。
始まりの言葉により、青白い魔法円が術者の足元に浮かび上がった。
続く鍵穴の固定。
「消失点0を破棄、9から4、2番目の扉を閉じ、今より3番目の世界に問う」
《
これで、妖精界への道が開いたことになる。
第二段階の、呪文の詠唱に入る。
バールはそこでマクシミリアンの注意力に、いつもの気迫が欠けていると気づく。
意識の焦点はどこか遠くにあるけれど、突き止めるような鋭さがない。
伸びやかな声が響いた。
「 姿なき王者は光にうつらず、影を踏み、万色の響きもて世界を語らん 」
それは詩を朗するような公用語ですんなり聞き取ることができた。
出現する召喚円はどこにあるのかと、バールは術者の周囲に視線を走らせる。
「〈形なき幻に我は名を与えん〉」
古代語の響きに、力が収束するのを感じて、術者に視線を戻す。
呪文が完成した。
「 その名は《
静寂が落ちた。
(……………………ん?)
何も現れない。
(しししし失敗したのかなっ!)
どうしよう、バールの首の後ろが泡立つ。
「し、」
「ちょっと
「暗くてちょっと見えに、く、い?」
周囲を巡る影は天蓋からの明かりで、中心は薄明るく、奥に向かうに従って段々と色は濃くなって行く。壁際にいたら見えないぞ、と注意深く目を凝らして、ふと違和感に気づいた。
何かを透かして視線を投げている自分の行為に。
巨獣の体躯は一軒家ほどの大きさがあった。百獣の王の姿で背中に漆黒の翼を生やし、透ける体躯をもって、術者の背後に佇んでいる。バールは壁のような巨像を仰ぐように見上げた。
「あ……」
獅子の形は幼い頃に見た見世物で知っていたが、こんな規格は初めてだった。うっすら透けているし、黒い翼があるのも不自然で、得体の知れない生態を持つ
彫像のように静かで動かぬ巨影には、金色の瞳があった。見上げた視線がかち合い、そこに知性を見て取ったバールは、固まって動けなくなってしまう。
「見えたのなら、なんかおっしゃい」
「あ……あいさつくらいした方がいいですか?」
そう言うのが精一杯だった。
バールの師匠は背後の影に向かって言う。
「だそうよ、繰り返してあげて」
『あ……あいさつくらいした方がいいですか?』
巨獣の口から、声も間合いもそっくりにバールの声が漏れた。
巨体に似合わない呟きは、バールの声量をも再現している。
「!?な、今のオレの声ですか?」
『!?な、今のオレの声ですか?』
「ちょ、今のナシ。そうじゃなくて、その、幻獣の説明がほしいんですけど!」
『ちょ、今のナシ。そうじゃなくて、その、幻獣の説明がほしいんですけど!』
「ぁぁぁああああああん!!!」
『ぁぁぁああああああん!!!』
もどかしい絶叫が倍になってこだました。
「もう充分」
「はぁ、はぁ、はぁ」
マクシミリアンの合図で幻獣はおとなしくなる。
「精神的にきますね、これ」
「あんたが勝手に取り乱してるんでしょうが。この世界には幻獣の他にも、神獣、魔獣、精霊獣と特殊な能力をもつ者たちがいるわ。全てモンスターという扱いで見ることもできるけど、魔術士としてはここは区別するべきね。幻獣の詳しい説明は今は省きます。それぞれに個性があるということだけ覚えていればいいわ」
そう言うと、マクシミリアンは再び杖を地面に突いた。
「 我が声は汝なり 汝は〈鍵〉なり 」
「!?」
マクシミリアンの背後には、未だ獅子と鴉を掛け合わせたような生き物がいる。
解除しないまま、次の召喚ができるのだろうか。見ると、術者の足元にあった魔法円はいつの間にか消えている。
連続して今度は何を呼ぼうと言うのか、バールにはわからなかった。
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