マリテュスに入学してから、バールは住み込みで働く粉屋と、魔法大学とを往復するだけの毎日を送っていて、王都の東の端に位置するマリテュスの敷地がどれほど広大か、実感がなかった。

 講義塔へは日参しているが、他の施設へは足を向ける機会もなく、昨日、図書塔に初めて赴き、マリテュスの玄関とも言える迎賓館には適性試験を受けた日以来、立ち入る事もなく、いつも正門をくぐって目の前を横切るにとどまる。


「ここも闘技場ですか? ここまで来る間にも、いくつもこれと同じような広場がありましたけど」


 確か師匠の住む魔術士の館の前で待ち合わせてから、各種闘技場、貴族御用達の宿舎、農耕地を越え、振り向いてもそれらの建物の区別がつかなくなった頃、この建物に到着したのだと、思い返す。


「庭内の闘技場は、屋根がないでしょう。地下闘技場もあるけど天井が低いのよ、講義塔の演習室は階段状になっているけど教室の狭さだし」

「広さの他に、屋根が必要なんですか?」

「見世物じゃないのよ。あすこはね見られても恥ずかしくない奴らか、見せたい人たちが使うの」

「……見られたら恥ずかしいんですか?」

 どんなことをするんだろう。バールはドキドキと辺りを見回した。

「そんなこと言ってないわよ」


 なだらかな起伏の農耕地を越えたこの場所には、堅牢な建物がそびえる。

 マリテュスで教鞭を執る講師たちとは別に、国の意向を受けて魔術の開発を行う魔術士たちの砦、通称は実験塔と呼ばれ、生徒たちが足を踏み入れることはない、特務機関の一翼である。

 その臨床試験が大掛かりになる場合に使われるのが、実験塔から繋がる石の回廊で周囲を巻いた半円球状の屋根をもつ、〝実験場〟だった。

 マクシミリアンは闘技場と勘違いしているバールに、改めて説明することを避けた。要はこの場所が召喚魔法を実演するのに都合が良く、正式な手続きを踏んで借りられていれば十分なわけで、分厚い防御魔法が屋根や壁にかかっているとか、石造りの天蓋に空が見えるのは、魔術士の誰かが細工した透過魔法だとかいう情報は、バールの興味を引くとはいえ、授業には不要と判断する。


 実験場には闘技場と違い、観覧席がなかった。地面はどこまでも平らフラット


 仕方なくマクシミリアンは地面の土に杖で、ガリガリと小さな円を描いた。


「お入んなさい。ここから出るんじゃないわよ」

「ちっさ、せまっ!」

 バールが膝を抱えて座ってちょうどのギリギリの大きさ。


「さて、魔法は勝手に使えるようになってもらうとして、ただ見せても仕方がないわ、少し原理を説明しておきます。神官や精霊使いと違って、魔術士は力を行使する為に杖が必要よ。これは生命線。取り上げられたら命の危機と思いなさい」

 え? とバールは思わず声を上げる。

「基礎演習では、手から出す練習してますけど!」

「肉体だけでも魔法は使えるけれど、効果を広げたり、操作性を高めるには杖が使えた方が手取り早いわ。魔力の増幅も、出力補助に制御補正もしてくれる。大半の魔術士が杖を頼るのはそういった理由からだけど、一方、肉体と精神にそうした機構を備える魔術士もいます。精神力があれば魔力が尽きない稀な性質を持っていて、呪具に相性が出やすいのも特徴ね。精神派でもない限り、そのまま魔法を使うと早々に魔力を使い果たしてしまうから、効率を考えて杖を勧めるけれど。杖に頼り過ぎると、失くした時の反動が大きいことも忠告しておくわ」

「……演習講義では、なんで杖を使わせてもらえないんでしょうか」

 杖があれば、適性基準の底辺にある魔力でも、火や水が出せたんじゃないだろうか。だとしたら、手から魔法を出せなくてあんなに悩んでいたのが馬鹿みたいだ。

「増幅した魔力が制御できなくて、どうせ危険だからじゃない?」

「う……確かに」


 マクシミリアンの杖は所有者の顎の高さほどある。バールが目にするのは二度目だったが、魔法使いといえば安易に想像される、曲がった先端を持つ捩じくれた太い木と違い、金属かと見紛う黒色をした細身の本体に、石突きと首に銀を被せ、まっすぐな万年筆を思わせる。銀を巻いた首から蝋燭の灯芯のように揺らめく、曲線を描いた黒い線がいくつもの弧となって、琴線の内側に黒い塊を抱く。魔力を秘めた大きな石はマクシミリアンの瞳に似た、透き通った墨色をしている。

「召喚術士にとって、杖は『命』よ。詠唱魔法の為に、魔力を出力、増幅、制御する通常の杖とは違う、特殊な杖を使うわ」

「そうなんですか? じゃあ召喚術以外の魔法を使う時は?」

 杖を二本持つのかな、とバールは思い浮かべてみる。

 そんな魔法使い見たことない。

「召喚術を習う時は、専用の杖を使うしかないわね。慣れるまで」

(え、二本持つの?)

「えっと、師匠が使ってるのはどっちなんです?」

「私はどんなヘボ杖でも召喚術使えるから。……普通の杖で使えるようになるのが一番ね。でも、召喚術を早く身につけたいなら、最初は召喚専用の杖に手伝ってもらうしかないわ」

「……その、魔法の増幅とか以外に何を手伝ってもらうんですか?」

「異界の門を開ける作業をね」

「は?……」

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