ネリー

 バールはネリー・オーズがいなくなった経緯を聞いた。

 消えたのは一昨日の午後以降らしい。

「彼が取りに来た本は?」

 とバールは質問した。

「依頼された四冊とも、書架に入ったままよ。動かされた形跡もあったけど、誰がいつ触ったかまではわからないわ」

「ネリーさんが本を取りに、ここまで来たかも分からないんですか?」

「明日はっきりするでしょう」

「?」

「明日、警ら部門に話が上がれば、学長立ち会いのもと、そういう捜査がされるわ」

 そうした仕組みがちゃんとあるんだ、とバールは思った。


「過去に遡って足跡をたどるにしても、現時点で塔内の生存者を、把握、特定しておく必要があるわ」

 それで入館制限していたのか、と納得する。

「魔法で?」

 どんな魔法を使うのかと、バールは期待のまなざしを師匠に送った。

「もう魔力の濃度は下がったんじゃないですか?」

 しかし、マクシミリアンは一向に動きを見せない。

「師匠ー、おれが見てるからですか?」

「……この魔法使うと、完売状態になるのよ」

 マクシミリアンは明後日の方を眺めて呟いた。

「もしその後で不測の事態が起きても、あんたを助けることはできないけど、いいわよね」

「それって、その場合、師匠も大変なことに」

「私は奥の手があるから」

「あ、ズルイ…」

 師匠は弟子を見た。

「一回助けたんだから、もういいでしょう」

「ダメです!」

 ダメですよ!とバールはもう一度言った。


「なぜ。あんた、安否のわからない人より、自分の方がかわいいの?」

「ひどいこと言わないで下さい! そんな二択じゃないでしょっ。……く、暗闇の中で、もしネリーが大きな魔法を使ったとしたら、それは死霊を退ける為ですか?」

 必死な顔で聞いてくるバールに、マクシミリアンは眉をひそめた。

「ネリー・オーズがあんたと同じ目にあったとでも言いたいの?」

 やけに限定的な条件を突きつける弟子に、ピシャリと言い返す。

「違うわね。彼は四期をマリテュスで過ごした、死霊術士のはしくれよ。同時に神官でもある。何を選択したかはわからないけど、大げさな魔法は必要ないわ。ちゃんと護符を持っていたら魔法さえ必要ない」

 バールは短くうなった。

 その様子を見て、マクシミリアンが続ける。


「彼が本を取りに来たら、暗くて、そこに死霊が出たと思ってるの? 魔法が使用されて、ネリー・オーズが消えたとでも?」

「それが今のところ、確認できてる事実です」

「並べただけで、繋がってないわよ」

「ネリーが死霊に、大魔法を使わないって所が、矛盾してるんですよ。彼が使ったんじゃないなら、別の人が魔法を使って、ネリーを消したとか……」

「なぜよ。恐ろしいことをさらっと言うわね」

「動機がないなら、事故とか」

 バールには思い当たる。

「さっきの死霊、最初、師匠の姿で喋ったんです」

「あぁ、心理の隙を突かれたのね。特に暗闇は人の意識と無意識の境界が曖昧になるから、出て来やすくなるのよ」

 マクシミリアンは姿見を振り返った。

「死霊術は死霊の存在を肯定した上で、始まる学問だから、ここの本棚は強力なのが出やすいわ。呪いが強い深層部でもないのに、ここには安定した力場があるみたいね。死霊術士たちは危険だと分かっていても、それを放置しているけど。ここに鏡があるのは、せめてもの予防みたいなものよ」

 ちなみに、とマクシミリアンは続けた。

「事故だろうと、死霊を消す術で生きた人間は消せないわよ」

 死霊という鍵が否定された。

「そうか。……じゃあ、とっさに攻撃魔法を使った?」

「火と水はだめだって言ったでしょ」

「でも他にもっ……あ、痕跡がなかったんですね?」

「考えてはみたわよ。方法はわからないけど、自死にしろ被害にしろ、肉体が残すような証拠は、少なくともこの周辺にはなかった」

 自身の言葉に、ゆっくりと決心をつけたマクシミリアンは、姿勢を正した。ひゅっと音を立てて杖が構えられる。


「あの、師匠。オレは反対です」

 おずおずとバールが進言する。

 もし何かあったら、痛い目に遭うのは自分で、しかも今日二度目になる。

「自業自得。せめていつでも走れるように、立ち上がんなさい」

 バールは本棚にすがって、よれよれと体を起こした。

 それが、生存者の数を確認する魔法だったら、ミンシカの存在がばれたりしないだろうか、と少し不安になる。


 本当に全部考え尽くしただろうか?とバールは思案した。

 まだ何かを見落としてる気がした。

「師匠、やっぱり……」

 どこかにネリーがいるなら、あるいはあるなら、まだいいと思う。

 それなら謎じゃない。

 今考えているのは、もし人が消えたのなら、それは何を指すのか?ということだ。

 図書館から出て行かずに、消える方法が想像もつかないようなものなら、ここで魔力を使い切るのは得策じゃない、と思った。


 マクシミリアンはバールの言葉を聞き流して、図書塔全体にかける広域魔法の詠唱に入る。


(最初、ネリーさんのことは、管理人さんに聞いたんだよな。なんて言ってたっけ……)

 バールは頭をひねった。

 大量の魔力を使い、痕跡を残さない、そんな消失魔法が、バールの知識では思い浮かばない。

 マクシミリアンのことだ、きっとここに来る前にネリーが消えた日、図書塔に出入りした人物を特定しているだろう。

 ここに再び戻って来たのは、関わってそうな人物や手がかりに行き当たらなかったからだ。

(『寄り道しない』、『最短距離で行って帰って来る』)

 それとも疑わしい人物が、まだ図書塔の中にいると考えているのか。

 そもそも犯人と呼べるものが存在するのか。

 バールの師匠は、一つ一つの可能性を消して、原因を絞り込もうとしている。


(ええっと……)

 バールは近い所から適当に本を抜いて、集中しているマクシミリアンに向かって投げつけた。


 見えない壁によってそれは、あっさりはじかれたが、ものすごい形相で師匠が見ていた。

 ふっと魔法の詠唱が途切れる。


「攻撃魔法に切替えようかしら」


 バールが初めて聞くほど、凍てついた声だった。


「師匠、合成獣の動きは追跡トレースできますか?」

 バールは言った。


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