ラガード・ハッシュ

「おお、レオン。どこへ行く?」

「これはラガード博士」

 煉瓦造りの回廊で呼び止められレオン・マクシミリアンは振り返った。


 街のように広い魔法大学の敷地にはいくつもの役割の異なる建物があった。

 正門から入った所にある館は、先日も公衆向けの適性審査が行われたが、本来は外部の来賓をもてなしたり、公開講義を催す客間や広間を有した迎賓館である。

 その迎賓館の背後にそびえるのは、巨大な講義塔。8角形の塔内には多種多様な規模の講義室と実験場があり、その数は2000に及び、常時その半数が使われている。

 残り半数は魔術士の個人的な書斎や書庫になっており、個別の魔術士に師事する生徒がそこで教えを乞うこともあった。


 魔法大学直属の魔術士たちは宿舎が与えられており、自らの研究の他に、大学施設の管理者として敷地内に住んでいる。その魔術士の館と呼ばれる宿舎から、闘技場を隔てた位置には生徒用の寄宿舎もあり、奨学金の対象者や貴族たちが優先的に使うことができた。


 魔術士の館から隣接した講義塔に繋がる回廊でマクシミリアンは足を止めた。

「これから講義へ向かう所ですよ」

 若い頃に深窓の魔術士と揶揄された男は、頭頂部の肌を晒した今も、柔らかな物腰と均整のとれた立ち居振舞いに変わりはない。

 懸想した魔術士たちが軒並み返り討ちにあった辛辣さを思い出しながら、ラガードは言を募った。

「お前の講義を聞く骨のある奴がおるのかね」

「まだ海のものとも山のものとも言えませんが」

「いい男かな」

「またそういう話を」

 深窓の美姫の双眸の温度がぐっと下がる。

(禿げとるくせに、おお怖い怖い)

「ハハハッ許せよ。だが弟子をとるとはそういうことだろう。才を見込むか、好みか。でなくば付き合っとられん」

「弟子にはしていません。なにせボンクラですからね」

 ラガードの目にはマクシミリアンの腕に抱く魔術書が、彼の得意とする召喚術に触れていない、手堅い基礎論ばかりなのが見てとれた。

 ひねくれた所が似合う男である。素直になる必要はなかった。充分に優し過ぎ、その為に問題を抱えることを本人もわかっていた。マリテュスから一歩も外に出ようとせず、常に裏方に徹しようとする。

「そのうちに紹介してもらおう。それよりな、図書塔で死霊騒ぎが起きとる。生徒どもが白い影やら得体の知れないものを見たそうだ」

「よくある話でしょう」

「学長が図書塔の出入りを禁止にするっつって、他の連中ともめとる」

「大げさですね」

「アレは見た目のわりに細かいからな。新入りが大勢入ったばかりで無用な噂を避けたいのかもしれん。せいぜいが制限付き閲覧てとこだろう」

「それで?」

 わざわざ知らせなくても耳に入ってくる情報を言う為に、呼び止めたわけではないだろう。マクシミリアンは本題を促した。

「何か聞いとらんかの」

「私も古代魔法部門の司書ですから、後ほど異常がないか確認してみますよ。ええ、図書塔全域の防御魔法の動作確認もします」

「そうじゃのうて」

「今の情報でこれ以上気を回せませんが」

「……まだ関連があるかわからんが、魔術士の助手が一人消えた」

 マクシミリアンは曖昧な顔をした。

「今は割愛するが、わしの感触ではではないようだ。お前さんに調べてもらう他ない」

「……わかりました。昼に事情を聞きに伺います」

 助かる助かると言って拝むような仕草を繰り返して、ラガードは去って行った。



 その日、塔の魔術士で暗黒神話の研究に余念がない死霊術士が、助手の青年に図書塔から数冊の魔法書を持って来るよう指示を出した。

 助手は3人ほどいたが、青年は最年長で図書塔へは何度も出入りしている。性格は至って真面目で、元々神官職を目指しその過程で興味を持った、死霊術を学びにマリテュスに通っていた。王都の聖教会にも席を置き、近々論文を修めて故郷に帰り、地元の教会に勤める予定だった。

 この助手の姿を図書塔の管理官が見ている。午前中に入館した記録があり、その後退出した記録がなかった。


 マリテュスの図書塔は講義塔と並ぶ威容を誇る。「8角形の塔内には多種多様な規模の講義室と実験場があり、その数は2000に及び」というのは講義塔の説明であるが、図書塔は内部構造に多少の変更点はあってもこれとほぼ同じ形状をしていた。

 場所も講義塔の地下にあり、両者は地面を鏡にして写したように、対をなしている。


 図書塔に入って寝食を忘れて没頭する者もいる為、行方不明者は珍しくなかった。ただ3日経って退出していない者は、発見されると半年間の出禁を課せられる。

 塔の魔術士の助手がそのようなヘマを起こすとも考えにくく、失踪の翌日には図書塔と講義塔で立ち寄りそうな場所が死霊術士と助手2名によって捜索された。


 捜索が暗礁に乗り、死霊術士は学長に報告する前にラガードに相談することにした。

 ラガードは捜索を約束したが、同時に学長への報告も勧めた。

「明日あたりには報告すべきじゃな」

 1日の猶予で何が出来るかはわからなかったが、その日の午後、死霊術士はラガードを通じてレオン・マクシミリアンと対面していた。

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