22-02 君が我々に希望を与えてくれたのは、いったい何故なんだ

 は?

 北大病院を襲撃したのは、ハル?

 そんなわけないだろう。あのハルが、どうして俺たちを?


「……なに言ってんだよ……お前」

「磯野さん、HAL03は、すでにソれんによって戦力化されています」


 俺の視界が、脳が、横殴りにされる。その後一瞬遅れて、HAL05の言葉が、俺のこころをじわじわとなぶってくるような感覚に襲われた。世界が、沈んでいく。


「な……んで」


 ハルが、そんなこと


「そんなことするわけないだろ!」


 血なまぐさい記憶が、ふたたび鼻をかすめる。

 死に満ちたあの空間をハルが作りだしたっていうのか? 北大病院の一階。そこらじゅうに死体が横たわる世界。あのときはアドレナリンの影響か、それほどショックを受けずに俺はやり過ごしていた。幸運にも、やり過ごすことが出来た。けれど、あの状況を引き起こしたのが彼女――ハルだと結びついて、はじめてその凄惨せいさんさが、奇妙な現実感覚として俺を侵食しんしょくしていった。


 俺は真っ赤に染まった思考を振りとほどこうとする。ハルが――彼女がいままで人の殺生せっしょうをぎりぎりまで避けてきた、たくさんの場面を頭にめぐらせた。俺の頭にこびりつく死の世界を、ハルの思い出で上書うわがきしようと、した。


「彼女はソ連へ北大襲撃作戦に必要な情報と、彼女の持てるリソースを提供したうえで、敵側の人工超知能の端末たんまつとして今作戦を指揮しています。今回の損害そんがいの大半は、彼女によるものです」

「そんなはずがない!」


 ZOEの言葉をかき消そうと、俺は叫ぶ。


「黙れよお前!!」


 HAL05の言葉に、他人事のような言いぐさに、俺は自制じせいを忘れ、えた。俺の声が、車内を沈黙ちんもくへと押しつぶし、走行音が空間を満たした。バックミラー越しのHAL05の瞳は、さっきとはうって変わって、俺に向けられることはなかった。


 車は、道路を変えながら北へと走らせていた。

 なぜ北に向かうのかはわからない。敵の追っ手をまくのに、最適なルートなのだろうか。が、このときの俺は、ハルのことでいっぱいでそこまで思考が及ばなかった。


「HALさん、ZOEさんはこうなることを、ハルさんがこうなってしまうことを望んでいたんですか?」


 沈黙を破った榛名の問いに、HAL05はわずかのあとうなずいた。


「わたしたちのいまの状況は、ライナス博士とHAL03がもっとも長く生き長らえる可能性の高い選択肢であり、その結果です。ZOEが、その選択、決定を下しました」

「そんな……」

「話に割り込んですまない。私は三馬だ。いま現在、ZOEと君の誘導ゆうどうで我々は北に向かって走っているわけだが、磯野くんたちとはどこかで合流出来るのかね」

「博士、全員を一箇所に集めるには危険がともないます。一〇分後にあなたがたの乗る救急車から、こちらで手配した二台の乗用車に乗り換えていただきます」

「なるほど。合流はかなわず、ここにいる我々も二手に分かれて二二日まで潜伏することになるのだね?」

「はい」

「それはつまり、。その目的を最優先に行動している。そう解釈かいしゃくしていいんだね?」

「はい」


 三馬さんは深いため息をついた。

 ZOEに従えば、いまいる全員は生き残ることはできるだろう。しかしそれは二二日までの話だ。俺と榛名が二二日にもとの世界に戻ってしまえば、ZOEの目的は達せられてしまう。


 そうなってしまえば、ZOEがほかのみんなを見殺しにする可能性だって考えられる。それになにもせずに俺と榛名がもとの世界に帰ってしまえば、この世界が消えて無くなる運命から逃れられない。


「ZOE、それでも我々はもがきたい。君も聞いていただろう。このまま解決手段を得られないまま二人を失ってしまったら、この世界は、その影響に耐えきれず、確実に崩壊ほうかいする。しかし一方で、二人がこの世界に居続けても、この世界をつなぐ「情報の道」から流れ込み続ける質量が超高密度に圧縮あっしゅくされることによって、地球はブラックホールに飲み込まれてしまう」


 そう、飲み込まれてしまうんだ、と三馬さんは小さな声で反芻はんすうした。


「我々はこの世界を救う手立てをいまだ持ち得ていない。だがZOE、君はこの世界が救われ、磯野君たちの世界も存続する選択肢があることを我々に教えてくれたじゃないか。それならZOE、君が我々に希望を与えてくれたのは、いったい何故なぜなんだ」

「榛名さん、磯野さん、繰り返します。お二人はわたしがお護りします。二二日にこの世界からあなたたちが脱出するそのときまで」


 HAL05は、三馬さんの問いを無視して言った。


「ZOE、お前は、それでもライナスもハルも救えないまま、この世界が存続出来ない事態におちいろうとも、俺たちを元の世界に戻そうとするんだな?」


 HAL05に――ZOEに俺はたずねた。


「はい」


 彼女の、そのひと言で――


「……お前は」


 俺のなかで――


「お前は……!」


 ――なにかが、がはじける。


「お前は、生みの親をなんだと思ってるんだ!! 人類を存続させる? だから、この世界にいる人間は、生みの親だろうと見殺しにするっていうのか!? お前は、」


「――磯野さん、あなたは、ZOEにとって命の恩人なんです」


 HAL05の肉声と、左耳から流れ込む女性の声が、俺の思考を停止させた。


「命の恩人? 俺が……お前の?」


 俺はおもわず聞き返した。 


 突如とつじょ眩暈めまいが俺を襲う。

 覆い被さってくるような重さと吐き気が、俺にのしかかってくる。まるで、生存世界へ収束していくときとおなじ……。


 ――俺は……死んだ?


 いや、そんなことは無い。

 死んだのならもっと、つぎの世界までの「つかの間」があるはずだ。生存世界へと収束するまでの、またたく時間が。


「……磯野くん」

「榛名?」


 俺は榛名へ顔を向ける。

 彼女の顔が、青い。


「榛名……」

「鼻から血が」


 彼女は、うつろな目を俺に向ける。その彼女の鼻から、血が流れ出していた。けれど、彼女が俺に、そのことを告げている。


 いや、ちがうよ榛名。

 鼻血を流しているのはお前――


 無意識に拭っていた俺の手の甲には、真っ赤な血がこすれついていた。


 視界がちた。

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