22-03 そうだよ。すごく心配したんだから

 だれかが、俺の頭をでている。


 そっとなぞる手に、こわばっていたこころが、するするとほどけていくような、そんな心地よさにつつまれた。


 このままでいたい。

 もうすこし、このおだやかな心地にひたっていたい。


 ふと思う。頭を撫でられるなんて、何年ぶりだろう。幼稚園のころまでさかのぼるだろうか。あのころは、目に映るなにもかもが鮮やかなオレンジ色に輝いていた。いろいろなものに興味を抱いてから、だろうか。いつからだろう。目に映るものにすこしずつ興味を失って、なにもかもが面倒になって――


 ゆらゆらと揺れる景色。八月の青。

 夏の日差ひざしのもと、俺は真駒内まこまないから大学までの長い道のりを、去年の秋に買ったお気に入りのクロスバイクで走る。


 なんで、あんなに必死になって毎日部室に通っていたんだろう。

 夏休みなのに、俺は、なんで――


 青ざめた榛名の顔が浮かぶ。

 彼女の鼻から流れる赤。彼女は、俺に笑顔をむけながらも次第に、それが面影おもかげとなって消えていってしまう。……いや、それとも、俺が――


「……あ」


 うっすらと視界に入ってきたのは、千代田怜の顔だった。

 目を大きくあけた顔が一瞬ゆがんだあと、彼女は俺をつつみこむ。

 制服ジャケットのごわごわした感じと、ワイシャツをとおして伝わる彼女の熱が、俺の頬に触れた。


「……気を失ってたのか? 俺は」

「そうだよ。すごく心配したんだから」

「悪い」

「ううん。目が覚めてくれて、本当に良かった……って!」


 怜は我に返ったかのように顔を真っ赤にして、彼女の両腕を宙に浮かばせた。同時に俺の頭もまた宙に浮き、直後、重力によってふたたび彼女の太ももへと落下を開始した。そうだ、俺は女性警察官のタイトスカート越しの太ももという、まるで引力という名の物理法則に引き寄せられるかのように、顔を下へと向かせ埋めよぐえええ!!


 鋭い衝撃が頭部の方向転換中に走った。


「調子にのるんじゃねえ!」

「ご無体な!」


 俺は後部座席のソファに手をつき、窓の外を見た。

 一〇メートルほどはなれたところに三馬さんと柳井さん、竹内たけうち千尋ちひろが向かい合っていた。柳井さんは深刻そうな表情を浮かべ、三馬さんの話に聞き入っていた。


 そうか、みんなと合流したのか。


 俺は窓から目を離し、逆側のサイドガラスから外を覗こうとした。と、千代田怜と目が合ってしまう。


「……あ」

「……な、なに?」


 寝覚めに鉄拳てっけん食らったとはいえ、俺の頭はぼんやりしていた。それでも、俺は、気づいてしまう。


 怜に膝枕ひざまくらされてたってことだよな……。

 怜に膝枕されてたってことだよな?


 頭に浮かんだこそばゆい単語に、俺の目が高速で泳いだ。

 いまだ警察官のコスプ……いや、警察官姿の千代田怜は、俺の性癖……嗜好しこうからしても、とても魅力的であった。


 目が合ったのが気まずかったのか、怜はそっと目をそらした。


 なんだこの天然だからこそのあざとさとは無縁むえんの、それでいて格別ないじらしさは。お前はふだんからそうやって……いやいや、俺には榛名がいるのにこの思考はダメじゃないか? そうだよ、榛名がいるんだから……って、この言葉を脳内で繰り返すとなんだかリア充感半端ないな。これはまずい。近いうちに爆発するかもしれん。それはそれとして今回の件に関して、榛名への罪悪感ざいあくかんは深く抱え続けなければなるまい。そして、榛名にもどこかで女性警察官のコスプレを――


 そこまで思考をめぐらせた俺は、いまになって思い出す。

 気を失う直前のことを。


「怜、榛名は?」


 千代田怜は、表情をくもらせた。それが俺にあせりを覚えさせる。


「……怜?」

「磯野、落ち着いて聞いてね。榛名ちゃんは、まだ目覚めてない」

「え?」


 俺は車から飛び出し、辺りを見回した。反対側に二台の乗用車が並んで止められていた。


「磯野!!」

「お、磯野が起きたのか」


 怜と柳井さんの声を無視むしして、二台の乗用車へと回り込む。後部座席の窓から、霧島千葉に寄りっている榛名のすがたが見えた。俺は榛名たちのいる後部座席のドアをあけた。


「磯野さん! 目覚めたんですね!」


 俺の顔を見た千葉は、驚きと安堵あんどが混じった表情を浮かべた。


「千葉、榛名は!?」

「お姉ちゃんは……まだ」

「磯野! すぐに動くな!」


 柳井さんに肩をつかまれた。


「お前、いまさっきまで意識を失ってたんだぞ? まずは安静に――」

「だって、榛名が、」

「榛名さんは大丈夫だ。呼吸も脈もある。もうすこししたら、お前とおなじように目覚める。安心しろ」

「でも!」

「お前が意識を取り戻したってことはだ、おなじ症状しょうじょうであろう榛名さんももうすぐ目覚めるってことだ」


 だからおとなしくしとけ、と柳井さんはつけ足した。柳井さんのかげに隠れていた千代田怜とふと目が合った。彼女はそっと目をそらす。彼女のその仕草で、いままであった興奮状態がすっと抜けていった。俺は榛名に振り返った。千葉と目が合う。彼女は俺に、微笑むように目元をそっとゆるめて、小さくうなずいた。


 ここにいる誰もが、俺と榛名のことを心配しているのだといまさらながら気づいた。俺が目覚めたことで、榛名もまた意識を取り戻すと、みんなは思ったのだろう。


 俺はうなずき返し、静かに車のドアを閉めた。

 柳井さんもまた、俺にうなずいてみせた。


「ここはどこなんです?」

「札幌と留萌るもいのあいだ、二三一号線の途中だ」


 留萌に向かう途中って、たしか札幌を北に走らせた海岸沿いの道だよな。たしかに北に向かってはいたけど、


「なぜ留萌なんです?」

「留萌が目的地かはわからない。が、ZOEの誘導でここまできた。ゴーディアン・ノットの連中を避けるのが目的らしいが」

「なんで俺たちは合流したんです?」

「それはだな――」


 言葉を切った柳井さんは、千代田怜をチラリと見た。つられて顔を向けると、真っ赤になった顔がうつむいていた。


「気を失ったのを聞いた千代田さんが、どうしてもってな」

「……柳井さん!」


 怜は、俺のほうをちらと見たあと「あんたが心配させすぎだからだよ」とぼそりと言った。なんだこのわかりやすいのは。


「柳井さん、俺と榛名は、一度死んだんですか?」

「は? なんでそんなことになるんだ?」

「いえ、気を失う直前の感覚が、その……生存世界への収束とおなじ感じだったんです」


 そこまで言って、俺は我に返る。


 なに言ってんだ俺は。

 柳井さんに訊いたところで、もし収束が行われたなら、それは生き残っている世界線へ俺だけが移ったってことだ。ここにいるみんなには、俺が死んだことなんてわかるわけがない。


「そのことについて、いま三馬と話していたんだが――三馬!」


 三馬さんと竹内千尋は、俺たちに振り返った。俺はこのときはじめて、林道のはずれ、生い茂る木々を陰にして、三台の車が止まっていることに気づいた。

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