21-04 磯野、天秤ってなに?

 建物の一部屋に案内された俺たちは、小会議室のような空間にテーブルを挟んでならぶソファにそれぞれ座った。三馬さんは、部屋のドアをロックし、用心ようじんぶかく確認した。


「この世界を救う相談をするのにZOEに水を差されたくないからね」

「ZOE?」


 なぜ三馬さんはZOEのことを知っているんだ?

 三馬さんのいまの言葉は、ZOEの目的をわかったうえでの発言だと思われる。だとしたら、彼女の存在と目的を知るあらたな人物なのか? 


 ――この三つ目の世界が消えてなくなることをいとわず、俺たちをもとの世界に戻す。


 だがZOEのしんの目的を知っているのは、ライナスとハル、そして榛名だけだ。当然、真柄さんや富士ふじジオフロントのう科学研究所の関係者のように、ZOEにたいして疑惑ぎわくいだいている組織はあるはずだ。しかし彼女の目的については、CIAもふくめて誰にも知られてはいけないはずだった。


「八月七日に、私のもとに連絡があったのだよ。ZOE本人からね」

「ZOE本人って……それって本当ですか?」


 おもわず出た言葉に、三馬さんはうなずいた。

 八月七日って、俺がこの世界にたどり着いた日じゃないか。もしその話が本当なら、ZOEはライナスやハルに黙って別の計画を進めていたことになる。しかも、ついさっきやりとりしたばかりだ。なぜZOEはそのことを俺に黙っていた?


「磯野、ゾーイってさっき話してた人工じんこう知能ちのうのことだよね。磯野たちの味方じゃないの?」


 俺は答えにきゅうしてしまう。

 俺たちを守ってくれているのはまちがいない。けれど、この世界を見捨てることを前提ぜんていのうえでだ。そんなことをこの場にいる「この世界の人びと」のまえで言えるわけがない。


「磯野?」

「私から話そう。米国べいこくで作り出された人工知能ZOEは、人類の存続を目的にその使命しめいを磯野君と霧島榛名さんにたくした。ただし、存続される人類とは、この世界のことを指しているのではない。彼ら二人のいたもとの世界の人類のことだ」

「三馬、今夜ここにくる磯野はこの世界の人間じゃないと俺たちは聞いた。俺も竹内も理解が追いつかないままお前を手伝った。だがな、そもそも、そのZOEっていうのは――」

「ちょっと待ってください! ここにいるのがこの世界の磯野じゃないってどういうことですか!? 磯野、そんなことひと言もいってなかったよね!?」


 青ざめた千代田怜の顔が俺に向けられる。


「……あ、それはだな」


 俺はそこで言葉を止めてしまう。

 ライナスの言うことが正しければ、日本政府によって富士ジオフロント脳科学研究所に拘束こうそくされているはずなんだ。


「この世界の磯野君は、すでに保護されとある場所にかこわれているらしい。彼もまたこの世界における最重要人物だ。安心していいだろう」


 三馬さんは怜にそう答えたが、あの場所から命がけの脱出した俺にとって、まったく説得力が無かった。


「そうなんですか? そう、なんですね…………よかった」


 千代田怜は、三馬さんの言葉をたしかめるようになソファにもたれ込んだ。


 この世界の俺だとしてもだ、こんなに心配してくれる彼女に俺はなにか言ってやりたくなる。が、いつかこの世界の俺と再会したときに、おそらくそいつは言うのだろう。俺じゃなくて、そいつが。けれど、


 怜、ありがとな。


「人類の存続だのなんだのってまるで映画だな。三馬、お前の言葉を真に受けるなら、人類の危機きき直面ちょくめんしているってことになるのか?」


 三馬さんはうなずいた。

 柳井さんはハッとしたあと、声のトーンを落としてつづける。


「いま現在、全国で起こっている多発たはつテロと国家非常事態宣言は、いまの話とつながっているのか?」

「柳井、その通りだ。順をおって話そう」



 こうして、三馬さんは八月七日にあったZOEからの接触からの今日にいたるまでのことに関してこの場の全員に打ち明けた。その内容は――


 この世界がそう遠くない未来にブラックホールによって飲み込まれること。

 ブラックホールの発生には、別世界から来た俺と霧島榛名が深く関係していること。

 ブラックホールの発生を阻止そしする方法はまだ発見できていないこと。

 大学ノートによる向こうの世界へのメッセージの送信は、ZOEが提案したと言うこと。

 それに合わせて、三馬さんは世界中の科学者たちに、ブラックホールの発生阻止のため、力を合わせることを提案したこと。

 日本政府、米国政府を中心として、今夜の署名のために西側各国の科学者を北大に集め、これから本格的にブラックホール発生阻止の研究組織が立ち上がるということ。


 この世界は八月七日に創り出されたということ。


「信じられん」


 柳井さんは缶コーヒーを手にしたまま、ぼそりと言った。


「……わたしだって信じられませんよ。世界がたった一〇日程度まえに創り出されたなんて。それにいまここにいる磯野が別の世界からきたっていうのも、ぜんぜんピンとこないし」

「この話って、世界五分前仮説そのままですね」

「竹内君、まさにその通りだよ。まったく皮肉ひにくなものだ」


 

 三馬さんはつづける。


「世界が一一日前に誕生したことを裏付ける証拠がある。今回のタイムトラベル実験とも関係しているのだが、米政府主導しゅどうで八月七日から現在まで、連続的に並行世界へ向けて大規模なレベルでの重力波を出力させ続けている。重力波は減衰げんすいすることはない。出力した瞬間から、距離や時間の影響を受けずに広がっていく。また重力波は時空を越えて広がっていく性質を持っている。ところが、初日の八月七日の出力時点で、日本標準ひょうじゅんにおける八月七日一八時二七分二七秒以前に、世界が存在した痕跡こんせきを見つけることが出来なかった」

「おい、世界が存在した痕跡を見つけることができないって……」

「言葉通りだ柳井。それ以前の時間に世界が存在していなかったんだ」


 この場にいる全員が言葉をうしなう。

 だが、俺は三馬さんの口から出た日時に納得した。おそらく榛名もだろう。


 ――八月七日一八時二七分二七秒。


 俺が色の薄い世界から帰ってきた、オカ研世界との入れ替わりがはじまった「第二特異とくいてん」。


「この世界における過去は、未来へと時間が進むごとに拡大し、八月一八日現在、七日から一一日前の七月二七日までの歴史が実体じったい化している」

「この世界の歴史が過去にも広がっている?」

「ああ、未来へと時が進むに従い、過去の歴史もまた生み出されている。まるで波紋はもんのようにね」


 世界の変質化のときとおなじだ。

 第二特異点を原点として未来へと時がつほどに、過去へ向けても「影響の輪」が波紋のように広がっていく。


「けど、わたし八月七日以前どころか、子供のころの記憶だってあるんですよ!?」

「千代田さん、竹内君がさきほど言っていたとおり、世界五分前仮説のような現象が起こったんだ。我々が記憶しているはずの過去が、本当に存在していたかどうかは、誰も証明することができない」

「けど、その重力波発生装置と、その波紋の広がりを観測かんそくする機械が証明を可能にしたんですよね」


 竹内千尋の問いに、三馬さんはうなずいた。


「磯野君、この世界ではきみたちの世界その過去へ情報を送信することが可能となった。マレット博士を中心にしたグループが、大学ノートの性質を利用して、ある程度コントロール可能なかたちでのタイムトラベルを実現可能にする装置を作り出した。数行すうぎょうのメッセージを送る程度ではあるがね。我々はこの技術を応用することで、地球がブラックホールに飲み込まれるという世界の危機から脱する糸口をつかんだ。ただ、この世界を救うにはきみと榛名さん、二人の協力が必要となる」


 俺はとなりに座る榛名へと顔を向けた。

 彼女は俺にうなずきかえす。


「俺と榛名もこの世界を救いたい。これは俺たちの本心です。けど、問題があります。俺たちのいた世界もまた危機的状況にあるなかで「この世界と自分たちのいた世界のどちらの世界を救うか」っていう、二つの世界を天秤てんびんにかける状況にもおちいっています」

「磯野、天秤ってなに?」


 青ざめた顔を向けてくる千代田怜。

 俺は口をつぐんでしまう。


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