21-03 ここで全員が揃ったのもいい機会だ。もうすこし付き合ってもらおう

 色の薄い世界にとらわれた榛名は、記憶があいまいだと言っていた。もがくことすら出来ないままあの世界にとらわれるくらいなら、いまこの世界にいられるほうがずっとマシなのだろう。


 俺は周囲しゅういの人びとへと目を向ける。

 八月一七日に受け取った合い言葉と無数の署名しょめい。あのメッセージがその内容通りであれば、いまここにいる、俺たちを見つめている人びとは、


 ――この世界の人類の叡智えいち


 俺は、三馬さんからペンを受け取った。


「あの言葉、ですか?」


 三馬さんは、俺にうなずいた。


 俺は、ペンを右手に持ちなおす。

 ひらかれた大学ノートの最後のページ。


 俺は、この世界にたどり着き、いまに至るまでに起こった出来事を頭にめぐらした。いままで起こったことを、現実を、映画えいが研究会けんきゅうかいの部室にいる俺たちに伝えるために。


 俺は、ペンを大学ノートへとゆっくりと近づける。もうすでに知っている、あの言葉を最後のページに記するために。


 視界しかいのはし、会議室前方にある巨大モニターに、ペンのさきがフレームインしてくるのが見えた。


 ペンの先がページに触れたそのとき、


 ――クラトゥ・バラダ・ニクト


 その言葉が、最後のページに浮かび上がった。


 この世界ではじめての「文字の浮かび上がり現象」。

 三馬さんが、柳井さん、千代田怜が、そして巨大モニターをとおして注目していた人びとが、いっせいに驚きの声をもらした。その一瞬後、拍手はくしゅが空間を埋め尽くす。


 一人のスーツを着た初老の男が、こちらに駆け寄ってきた。


「成功です。予測されていた通り、こちらで観測可能なレベルの重力じゅうりょくの発生を確認しました」

「おめでとうございます。山花やまはな博士」


 三馬さんにうなずく山花と呼ばれた男は俺に向きなおり、握手を求めた。


「磯野さんですね。私は宇宙うちゅう航空こうくう研究けんきゅう開発かいはつ機構きこうの山花と申します。世界の存続に手を貸してくださりありがとうございます」

「……宇宙航空研究開発機構?」

「磯野君、山花博士はJAXAの理事りじちょうだ」


 JAXA。そうだ、あのときの文字の浮かび上がり現象で、最初に署名したのも――


「磯野です。こちらこそ。これを」


 俺は、握手を交わしたあと、ペンを山花博士に差し出した。

「ありがとう」と言ってペンを受け取った山花博士は、例の機械のほうにひとつうなずいてみせ、腰をかがめて大学ノートにペンを近づけた。一瞬ののち、ノートにはJAXAの署名が浮かび上がる。


「なんとも不思議なものですね」


 山花博士はそう言うと、いつの間にかとなりにきていた日本人と握手し、「平原ひらはら博士、どうぞ」と言ってペンを手渡した。ペンを受け取った眼鏡をかけた白髪の男性は「緊張するね」と笑顔で言って、ペンを大学ノートに近づけた。


 こうして、JAXA、QST、NASA、FNAL……と世界各国の科学者もまた、大学ノートに署名を連ねていった。


 署名は二時間近くにもおよび、大学ノートの最後のページは、各研究機関や大学の署名で埋め尽くされた。


 そのすべてが「文字の浮かび上がり現象」によって記されたものであり、それはまた、数多くの並行世界の俺たちが、この場所にたどり着いたことのあかしでもあった。




 八月一八日 二時一八分。

 多くの科学者たちがその場に残るなか、大会議室から出た俺たち三人と三馬さんは、エントランスまで出たところで榛名と竹内たけうち千尋ちひろ鉢合はちあわせた。


「榛名、なんでここに?」

「ぼくはいもうとさんといっしょに休むように言ったんだけれどね」と千尋は苦笑にがわらいした。

「千葉は?」

「病院で検査けんさを受けたあとホテルに案内されたんだけど、千葉だけ寝かしつけてきた」


 無理言ってごめんね、と言って榛名は千尋に振り返る。


「ううん、ぼくだって三馬さんたちの話聞きたかったし、気持ちはわかりますよ」

「ここで全員がそろったのもいい機会だ。もうすこし付き合ってもらおう」


 三馬さんは、百年記念会館からすこし歩いた場所にある建物へ俺たちを案内あんないした。キャンパスに不自然に建てられた白い四角形の物体。仮設かせつ建造物らしい平屋ひらやの建物には窓が見当たらなかった。


「三馬、なぜここに移ったんだ?」

「これから話すことを、に聞いてほしくないからだよ」

「ある人?」


 それがこの建物に窓がない理由か。

 外から完全に遮断しゃだんすることで、唇の動きを読み取ることによる会話の盗聴とうちょうすら防ぐということだろう。


「この建物内では、会話盗聴のあらゆる可能性を排除はいじょできる」

「話がよく見えん。そもそもこの件が終わったらすべてを教えてくれるって話だろ?」

「まあ待て柳井、なかで詳しく話すから」


 建物の入り口にいた二人の警察官に、三馬さんはスマートフォンを預けた。


「すまないが、君たちも身につけている電子でんし機器ききあずけてくれないか」

「完全に盗聴対策たいさくだな」


 そう言って柳井さんもまたスマートフォンを出した。

 そういえば――


「あの三馬さん、ちょっと待ってもらっていいですか?」

「ああ、かまわんよ。いまのあいだほかの皆さんは、そこの自販機じはんきで飲み物でも買っておくといい」


 俺はみんなからすこし距離を置く。榛名と目があい、うなずいた。彼女もおなじことを思っていたようだ。


 俺は小声でイヤフォンへ語りかける。


「……ZOE、ライナスたちは無事なのか?」

「はい。ライナス博士、HAL03、ライオネル氏三名に生命の危険はありません」

「よかった。いま話せるか?」

「ライナス博士からメッセージが届いております。いま再生しますか?」


 メッセージ?


 ……三人が無事ならそれでいいんだ。

 それに三馬さんたちを待たせるにもいかないし、


「いや、あとで聞かせてくれ。ZOE、ひとつ確認するが、いまもライナスとお前の計画けいかくどおりことが進んでいるんだよな? 日本政府の管理かんりに俺と榛名が置かれている状態でも問題ないんだよな?」

「はい。問題ありません」


 彼女の答えを聞いても、まだなにか引っかかる。

 それでも、いまは――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る