20-02 どの並行世界にも共通するベクトルがあります

「……ハル。ハルにもあの流れ星が見えるか?」

「……え? ……いえ、わたしには、なにも」


 ハルは、心ここにあらずというような返事を返した。

 神妙な面持おももちのまま操縦桿を握っている。

 ZOEと話をしているのか?


「ハル、ZOEのことは知っていたのか?」

「それは……いえ、」

「話せないことなのか?」


 機体は、大きく旋回をつづけ、道路のまばらな光のラインに沿った。

 下降していく高度は、いつの間にか三〇〇〇フィートを切っていることを計器けいきが示していた。


 ハルは、一つ、大きく息を吐き出す。


「磯野さん、これから起こることは、磯野さんにとって受け入れがたいことかもしれません。けれど、それでも、わたしたちのことを信じてください。そして、あなたにとっていちばん大切な人を護ることを、約束してください」

「……ハル、それは」


 ジェット機は高度を下げ続ける。

 道央自動車道の左側に寄せられた車の列が、着陸とうとなって一定位置に並んでいくのが見えた。


 ZOEが動かしているのか。


 そのはるか前方に、動いている数台の光が見えた。

 あの光だけが、ZOEのコントロールから外れ、秩序ちつじょを乱している。


「ハル、あれは?」

「ソ連KGBの特殊とくしゅ部隊です」

「特殊部隊?」

「赤外線ジャマー起動」


 数秒後、左側のガラスが爆風で埋まった。


「敵の動きが、早い!」


 機体は右へ傾き態勢を崩した。


「高速道路への着陸をあきらめ、出来るかぎり敵から離れます!」


 機内に警告けいこく音が鳴り響く。

 機体はそのまま右へと旋回しつづけ、真っ暗な森林上空へと高度を下げていった。


 あんなところに着陸しようというのか。


「ハル!」

「ひらけた場所に不時着ふじちゃくします。衝撃に備――」




 意識を失って、どれぐらいの時間が経ったのだろうか。


 キーンという高周波こうしゅうは耳鳴みみなりが、俺の意識を世界から遠ざける。

 フロントガラスに押し付けられた針葉しんよう樹林じゅりんが、不時着を成し遂げたことを物語っていた。ガラスが突き破られてないことから、木々への激突はまぬがれたのだろう。


 重力が右ななめ下にかかっていることに気づく。

 機体が傾いているらしい。


「…………っ」


 不時着時に首を痛めたようだ。

 その痛みで、世界が現実へと引き戻される。

 刺激を与えないよう、身体を起こしてとなりの座席を見ると、ハルが壁に手をつきながら立ち上がろうとしていた。


「磯野さん」

「……大丈夫だ」

「敵が来るまえに脱出します」


 最悪の事態だ。

 ……いや、数分前に見てきた世界よりは、まだましなのかもしれない。けれど――


「ZOEは、俺たちをこいつらと鉢合はちあわせるために、収束を繰り返していたのか?」

「ちがいます。このタイミング以外に、磯野さんと榛名さんが助かる可能性は無かったんです」


 なにを言っているんだ?


「この状況がまだマシだって言いたいのか?」

「ZOEは、……けに出たんです」

「……賭け?」


 操縦室から出たハルは、通路のクローゼットをひらく。


「ごめんなさい。磯野さん、急ぎましょう。いましか時間がありません」


 ハルは、防弾ぼうだんベストを俺に手渡した。

 俺は、救命きゅうめい胴衣どういを脱いで防弾ベストをつけなおす。


「磯野さん、ZOEは西側諸国しょこくのネットワーク網に入り込んでいます。彼女はその膨大ぼうだいなリソースを駆使くしして、八月七日からの磯野さんと榛名さんの行動予測から分岐ぶんきする並行世界と、起こりうる可能性について計算してきました」

「ZOEは、すべての世界線と俺たちの行動を正確に把握したということなのか?」

「いえ、いくらZOEでも、ラプラスの悪魔にはなり得ません」

「ラプラスの悪魔?」

「すべの事象じしょうを見通すことは不可能です。ですので、彼女は確率でしかものごとを判断できないんです。しかし、どの並行世界にも共通するベクトルがあります」

「共通するベクトル?」

「生きようとすることと……もう一つは――」

「準備は出来たか?」


 奥を見ると、グレーのスーツの男と、ライナスがすでに防弾ベストを着用し終え、銃を手にしていた。


「私も訓練は受けているんだ」


 目のあったライナスは、気弱きよわに笑った。


「磯野さん、千葉さんは気を失っています。敵がたどり着く前に、千葉さんを抱えて、榛名さんとともにここから離れてください。向かう先はZOEがナビゲートします」


 ハルは、俺が防弾ベストをちゃんと着用出来ているか確認すると、右肩の縫い付けられた赤い糸を指でなぞった。


「……ハル、さっきの言葉は、」

「大丈夫、ですから」


 向きなおったハルは、俺を見つめて笑顔をみせた。


「イソノさん、一つだけいいかね」

「……え、はい」

「この世界は、かなりの歪みを起こしている。きみとハルナさんの生存世界も甚大じんだいなダメージを受けたはずだ。これも、きみたちと我われのために、ZOEが選択肢のなかから選んだものだと理解してほしい」


 ZOEが選んだ? 我われのために?

 それって……けれど、ライナスの言うことは……ハルの態度や、さっきの言葉と結びつかない。


「ライナス、あと――」

「ライオネルだ」


 グレーのスーツの男はそう言って、飛行機のドア――エアステアを下した。

 日系人なのか?

 背丈があり、鼻が高くりの深い男だったが、欧米おうべい人かと言われると判別はんべつし難かった。偽名ぎめいなのかもしれない。


「あなたたちは助かるんですよね? ZOEが、あなたたちを」

「イソノさん、君たちの安全が確保出来たら私たちも逃げるさ」


 ライナスは、拳銃のリロードを不器用にこなして顔を上げた。


 三人の武器は、拳銃のみ。

 特殊部隊を相手にまともに戦えるはずがない。


「けど、」

「いいか、足の遅いお前たちがすこしでもここを離れることが、俺たちが生き残れる確率を上げるんだ。急げ」


 ライオネルの低い声に、ライナスもまたうなずいた。


「大丈夫だ。Z0Eが敵の電子装備に妨害を仕掛け、足止めに成功している。我われにはZOEがいるんだ。安心したまえ」


 ――ZOE。


 わからない。

 もはや信用していいのかさえわからないその名前を出さても、俺の身体がこわばってしまう。けれど、ここでもたもたしているわけにはいかない。


「かならず、絶対に生きびてください」

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