19-10 そのさきはもう言うな

「ハル!!」


 その声を聞いたHAL04は、ゆっくりと、ゆっくりと、俺に驚きと喜びの目を向け、笑顔を見せて、そのまま涙を流して、床へと、沈み込んでいく。


 ……そうか、俺は、この世界で、彼女にはじめて、


 ――ハルと言ったんだ。


 ハルHAL03の死を受け入れられずに、そんな余裕すらないなかで、この子に面と向かえないまま、それが、彼女の、死に際に。


 ……こんなの…………ないだろう。……なんで、そんな、


「…………あんまりだ」


 俺の口から、言葉がこぼれ落ちる。

 すでに空っぽになった彼女のいた空間に、焦点を合わせることも出来ずに、それでも、俺は、七日とは同じにはならない。


 ――もがくことが出来ない。


「どうして」


 あまりにも奪われ過ぎて、どうしたらいいのか、


 ――わからなかった。


 空路の――ジェット機へ戻る世界線があるのか、定かではない。

 戻ったところで、撃墜後の死の連続が待ち構えているかもしれない。


 あの連続を味わってしまった恐怖が、チューブリニアを選んでしまったこの世界でもまた、死の連続しか残されていないのではないかという絶望となって、俺に行動を、思考を麻痺させてしまう。


 倒れ込んだ彼女の代わりに、武装した男たちが視界に入ってきても、銃を向けることすら、出来ずに――


「あああ……あ……」


 右手にある銃が、あまりにも重い。


 乱暴に腕をつかまれ、拳銃を奪われた。

 武装した男たちの一人が、スマートフォンを取り出し、画面と俺の顔とを交互こうごに見る。


 そのあいだ、俺は逃げることも出来たのかもしれない。

 暴れることもできなのかもしれない。


 そんな、可能性という名の一秒、一秒が、瞬くにこの世界から過ぎ去っていってしまう。


 男は、榛名に手をかけた。

 スマートフォンを彼女へとかざす。

 そして、横たわる榛名もまた、同じように、乱暴に。


「……なにしやがる!!」


 絶望のさきに生まれた怒りを、俺ははじめて爆発させた。

 が、それは、遅すぎる爆発だった。


 男は手慣れたように、俺の腹に拳を叩き込んできた。


 腹のなかのものが口から飛び出る。涙なのかなんなのかわからないものを垂れ流しながら、俺はその場でうずくまった。


 ……なに、やってんだ……俺は。さっさと自分の頭を撃ち抜いて、もっと、すこしでもマシな世界に逃げればよかったのに。あとさき考えずに、さっさともがいてやればよかったのに、


 ……なに、やってんだよ…………俺は。


 殴ってきた男は、無理やり俺を引き起こし、べつの車両へと連れて行こうとする。


 俺は、抵抗することも出来ないまま、引きずられていく。

 息絶えたHAL04を、ライナスを、もう一度見ることも出来ずに、瀕死で倒れたままの榛名のために振り返ることも出来ずに、一歩、一歩、銃撃でボロボロになった車両間をつなぐドアへと近づいていった。


 ふと視界に、あの、名前も知らないグレーのスーツの男が、倒れ込んでいるのが見えた。引きずられていく俺と、すでに死んでいるはずのスーツの男の目が合った。


 まだ、生きているのか……?


 男は、敵の死角しかくになったところで、目配めくばせを送ってきた。なにかの合図あいずなのだろう。けれど、それがなにを意味するのか俺にはわからない。


 いや……この男は、まだ、もがこうとしているのか?


 ほとんどの人間が死にえているこの状況で、打開だかい出来る方法なんて考えは及ぶはずがない。そんなことは、名前も知らないこの男だって、重々承知しているだろう。なら、なんで、


 ……いや、もがかなきゃならないのは、いまにも死にそうなこの男じゃない。


 俺だ。


 まだ可能性があるのは、俺なんだ。


 そんな俺にたくそうとしてくるのに、すべてを、希望を、託そうとしているのに、俺は、俺は、


 ――なにをやってるんだ……俺は!!


「うおおおおおおおおおおおおお」


 俺は思考するよりも早く、スーツの男が意図したであろう行動をとった。俺を引きずる武装した男の手を無理やり引き離そうとした。だが、男の腕力にすぐさま圧倒あっとうされてしまう。それでも、俺は、


 押さえつけようとしてくる反動はんどうを利用して、横たわっているスーツの男がよく狙えるよう、後方に身を晒した。


 スーツの男と目が合う。

 男はすでに、隠していたのであろう拳銃を片手で構え、斜めに晒された俺のこめかみを狙っていた。


 撃て! 俺を、俺に!


 ――世界を、ハルを、救わせてくれええええええええ


 行け!


 そう言っているような目を俺に向けて、男は、引き金を引いた。


 一発の轟音ごうおんが、直撃したからであろう、すべてをふるわすうなりが、直後、衝撃となって、俺の世界が、天井へと揺らいだ。


 おそらく即死そくしなのだろう。

 

 この世界から消えてしまう瞬間、もう一発の銃声が、響き渡ったような気がした。


 ありがとう。つぎの世界では、あのスーツの男の名前を――




 ずっしりとした重さ。

 何度も味わったであろう死が頭にもたげる感覚。

 俺はまた、座席に座っていることがわかる。


 じゃあ、やっぱり――


 顔を上げるのが怖い。

 また血の海を、ライナスの死に顔を視界に入れるのが怖かった。


「磯野さん? なんでここに――」


 え?


 俺は副操縦席に座り、シートベルトを締めようとしていることに気づいた。操縦室にロックオン警報が鳴り響いている。


 ――帰ってこれた。


 帰ってこれた。

 帰ってこれた。


 よかった。本当によかった。本当に、


 ……帰ってこれたんだ。


「……ハル!」

「すでに短距離ミサイルの射程圏内に入っています。一度は回避できましたが、磯野さんは、そのまま――」


 ――ハル、俺は、


「俺は、ハルと、ハルのいるこの世界を救う」

「……え?」


 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、俺は言う。


「だから、俺も、ハルを守る」


 俺は、操縦かんを握るハルの手に、俺の手を重ねる。

 ハルは戸惑いの目を向けた。そして、うなずいて、


「はい」


 ミサイル警報装置が鳴り響いた。


「赤外線パルスジャマー起動」


 ZOEの声とともに、 俺は、ハルとともに操縦桿を右斜めまえに押し倒す。急下降とともに機体は大きく旋回し、加速する。ガタガタと揺れる振動しんどうが機体に限界以上の負荷ふかをかけていることを感じながらも、ミサイルは確実に機体に迫ってくることを、警報音とレーダーサイトが知らせてくる。


 ……たのむ! もうほかの世界なんか見たくないんだ。だから――


 けれど、ハルは、俺に顔を向けて、


「…………磯野さん、」

「ダメだ、それ以上は言うな」


 ハルの、何度も何度も、俺に伝えてきた言葉。

 さえぎったのは無意識のことだった。もう彼女にその先の言葉を言わせたくない、聞きたくないという拒否きょひがそうさせたのかもしれない。


 ……そうじゃない。そうじゃないんだ。


 ――その言葉を言わせてしまっては、ダメなんだ。


 その言葉は、悲劇を引き起こしてしまう。

 その言葉は、世界を失わせてしまう。


 だから、彼女の口からその言葉を……いや――

 彼女がその言葉を口にするとき、俺のほかにも観ていた存在がいたじゃないか。ジャミングにあってさえいない。どんなときでも、冷静に状況を伝えてきた存在。


 いままで俺たちが陥った危機きき


 敵は、なぜあっさりと、こちらの対策を掻い潜ってきたのか。

 敵は、なぜあっさりと、俺たちの行動を先回りしてきたのか。


 俺たちを護る組織は、その存在は、簡単に出し抜かれるようなものじゃないはずなのに。


 ……そうか。彼女HALにその言葉を言わせてしまった俺に、彼女は、


 ――さばきをくだしていたのか。


「そのさきはもう言うな。そうだろ? ZOEゾーイ

「え?」


 ハルが、驚いて俺の顔を見る。その直後、


AIM-9X空対空ミサイルの誘導用赤外線画像のクラッキングに成功しました。AIM-9X、本機を離れます」


 ああ、やっぱり、そういうことだったんだな。ZOE、おまえがこの世界の、


 ――デウス・エクス・マキナ、だったのか。




 19.神の目 END

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