18-09 ぜったいに、忘れられない思い出に、しようって

 同時に、背後でバタバタという回転音が大きくなっていった。

 俺と榛名がその音源へと目を向けると、俺たちを照らすライトが見えた。


 ZOEがなにか話しているらしい。耳もとにあるはずの彼女の声が、すでに凄まじい轟音ごうおんになったヘリコプターの風圧ふうあつによってかき消された。


 ヘリは駐車場の上空に滞空たいくうしていたが、すでに用意されていたかのように空いていた駐車スペースへと着陸した。


 イヤフォンから逃げる指示が出ないということは、ZOEが手配したものだろう。ヘリから降りてきたガタイの良いグレーのスーツ姿の男が一人降りてきた。


 俺は、榛名に「大丈夫」と言って立ち上がり、彼女の手を取って、映画で観たことのある丸みのある形状けいじょうの小型ヘリへと向かった。

 回転音がその男の声もまたかき消していたが、それがかえって、いまの俺にはありがたかった。


 男の身振り手振りでヘリまでうながされた。




 俺たちを乗せたヘリは、沈みゆく夕陽を横目に、こん色の空へと吸い込まれていった。眼下には、暮れていくにもかかわらず、煌々こうこうと発する人口一千万を超える大都市の広大な光の絨毯じゅうたんが敷き詰められていた。その光景は、あまりにも現実味が無く、俺は高所であることも忘れて眺めつづけた。


 一時間ほど飛行すると、その光の帯もまばらな星ぼしへと変移し、山やまのやみへと落ち着いた。ヘリは、その山のなかにある小さな飛行場へと着陸した。


 すでに日が暮れた駐機場ちゅうきじょうには、数機の小型セスナが並んでいた。

 ヘリから降りた俺たちは、ZOEの誘導により管制塔へと案内される。


 俺と榛名はとなりあって座った。

 さきほど告げられた事実を、俺はいまだ飲みこむことが出来ない。


 ――榛名の現実と俺の現実はちがう。


 それは、俺と彼女の帰る場所が別だということ。

 最終的には、榛名のいた七月一四日以前の世界に、俺も帰るのかもしれない。けれど、その世界での俺は、いまある俺と同じ存在なのだろうか。


 まえに進むしかない……ということはわかる。

 もとの世界へ戻るだけでいい、ともう一人の俺は告げる。けれど、そのさきにある現実は、俺が望む世界なのだろうか。


 もしかしたら、なにも怖れることなどないのかもしれない。八月七日に俺の身に起こったように、これまで記憶してきたことと、七月一四日以前の現実の記憶が混ざり合って、そのうち、その「現実世界」に馴染んでいくのかもしれない。


 いま頭を巡らしていることなんて、死後の世界について考えているようなものだ。死後の世界なんて、誰にもわかるわけがない。わかるはずの無いことを、俺は恐れている。だれでも恐れ、悩みもするだろう。けど生きることをおろそかにしてしまうくらいに、死に囚われてしまうのもまた、愚かななことだと人は言うだろう。


 だけど、その愚かな行為から、思考から、俺は抜け出すことが出来ない。


 なら、どうすれば、俺は――


 ――突然、俺の顎に手が添えられ、くちびるに、やわらかいものが、触れた。


 それは、数秒のあいだ、つづき、甘やかな感触が、俺のすべてを解きほぐしていった。天国にでも連れ去られたように、ただ身をゆだねて、それが終わるまでの時間を味わった。


 二人のあいだに、そっと、距離がよみがえる。

 榛名は、目をそらして「あのね」とつぶやく。


「約束はね、八月七日の夜を迎えられたらね、天の川の、星空の下でね、キス……しようって」


 そこまで言った榛名は、もう一度、俺を見つめて、抱きしめて、キスをした。


 それは、さっきよりも長くて、長くて、とても、短かった。


 くちびるが離れて、おたがいの額はくっついたままで、彼女の両腕は、俺の首に回されたままで。


「未来がどうなるか、わからない。けど、だけどね、いま、わたしたちが再会できて、八月七日のさきまでたどり着けて、だから、


 ――ぜったいに、忘れられない思い出に、しようって」


 真っ白になった俺の頭は、こころは、彼女のその言葉に、


 ――うなずく。


「……ああ」

「忘れないから」

「ああ、忘れない」

「大丈夫」


 ……そうだな。こんな、


「こんなこと……こんな素敵なこと、忘れられるはずがない」


 榛名は微笑んで、


「帰ろう。わたしたちの世界へ」

「ああ」

「本当は、ここじゃなくて、星空の下が良かったんだけど」


 照れ笑いしながら、


「だけど、ここで落ち込む磯野くんにするのも、いいのかなって」


 目をそらし、耳を赤くしてうつむいた。

 オカ研の榛名の顔が、ハルの顔が、目の前の子と重なって見えた。


 そうか。気丈なふりをするのも、急に照れたりしてしまうのも、けど、思い立ったら、躊躇も無く抱きしめてしまう彼女は――


「榛名、きみは、いや、お前は、やっぱり霧島榛名なんだな」


 榛名は目を丸くして、けれど、


「……わたしは、きみが好きな霧島榛名です」


 そう言って笑った。


「俺も、きみのことが、榛名のことが、好きだ」


 そう言葉に出して、目の前にいる子は、俺が悩んできたことの答えをすでに見つけていたんだな、と気づいた。


 どの世界とか、そういうことは関係ない。


 いまこの瞬間、大好きな人が目の前にいて、その人との時間が、とても大切だということ。


 大事にするのは、いまなんだなってこと。


 それを、気づかせてくれてた、もう一度、くちびるの触れそうなくらいの距離にいる、その人に、


「ありがとう」

「けどね、告白は磯野くんのほうから言ってほしかったな」

「え、いや、それは……ていうか、キスのあとに告白ってどうなんだ?」


 と、さっきの彼女の言葉を思い出す。


 ――約束はね、八月七日の夜を迎えられたらね、天の川の、星空の下でね、キスしようって。


 それって、


「……すでに、告白したあとだから言える台詞だよな」


 そう、ひとりごとのようにつぶやいた言葉に榛名はきまりが悪そうな顔をして、


「ごめん、すこしだけ嘘ついちゃった。ホントはね、デートしよう、だったの」


 そんな嘘、全然たいしたことじゃない。それに、


「いい嘘だった」

「わたしも、そう思う」

「なあ、」

「ん?」

「ここで待ってろって言われたけど」

「うん、玄関をすぐ出たくらいならいいかもね」

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