18-08 ちょっとまってくれ。七夕は、七月七日だろ
「あのね、八月七日にね、わたしたち約束をしたんだ」
俺はその言葉にハッとして、榛名を見る。
榛名の言っていた「約束」。
八月一二日の夜に彼女の口からこぼれたその言葉が、いままで、ずっとこころに引っかかっていた。
「八月七日の夜をむかえられたらね、
「天の川?」
「うん。
――え?
「七夕の夜に、天の川のもとで、わたしたちが、離ればなれにならないですんだことを
「ちょっとまってくれ。七夕は、七月七日だろ? なんで一ヶ月後の八月七日になるんだ?」
榛名は、驚いた顔を俺に向けたあと、なにかを悟ったかのように、さびしそうに微笑んだ。
「……そっか。七日のさきの世界は、また
――変わっちゃったんだね」
また……変わっちゃった?
「落ち着いて聞いてね。わたしの、たぶん、いまはわたしだけが知っている現実世界のことなんだと思う。八月七日の――あの時間のまえの世界。私の知る現実の世界での北海道の七夕は、
「旧暦の……七夕?」
「うん。現実の世界の北海道の七夕」
なんだよ、現実の世界って……。
「だから、本当は北海道百年記念塔も、数年前から
「――なにを、言ってるんだ?」
数年前から、百年記念塔が閉鎖されている?
いや、だって、この世界に来る前に、俺たちは二度も百年記念塔にのぼったじゃないか! 俺が、あの階段がどうしてものぼれないときに、怜が手を貸してくれて。三一日の夜も、全力で階段を駆け上がって……。
俺の問いに、榛名は俺に向きあって、告げる。
「――七月一四日にわたしが灰色の世界に迷い込んだとき、世界はすでに変質してしまっていたの。その世界は、311の影響が無かったから、だから百年記念塔に入れて、それがきっかけで――」
「311って、なんだ?」
その問いに、榛名は目を見開き俺を見た。
「311ってなんなんだ? アメリカの911みたいに、世界でテロかなにかが起きたのか?」
「……磯野くん、あのね、落ち着いて聞いてね。311のことを話すから」
榛名は俺に面と向かう。
「二〇一一年三月一一日、
「ちょっとまってくれ。大地震? メルトダウン?」
榛名の口からつぎつぎと出てくる大災害と、その恐ろしい犠牲の数に俺は震え上がる。
その世界の日本は、なにが起こったっていうんだ?
その世界が本当の現実の世界だって言うのか?
現実世界は、あの映研のある俺がもとからいた世界で、その世界から霧島榛名を失ってしまったってことじゃないのか?
「あのね、磯野くん、たぶん、八月七日以降のきみがいた現実世界は、わたしが生きてきた現実世界とは別の世界、なんだと思う」
別の……世界?
「別って……別ってなんだよ。俺のいた、生まれたあの現実世界は、もともと榛名がいて、その榛名の存在が消えた、そういう世界じゃないのか?」
榛名は、俺を見つめ、首を振った。
「七月一四日の時点で、もう現実とはちがう世界になってしまっているの。おそらく八月七日にもう一度、世界は変わってしまって――」
そのひと言に、俺の頭は殴りつけられる。俺のなかで、なにかが、崩れていくのを感じた。そして、
――ひとつの言葉が、全身を駆け巡る。
「ニセモノ、なのか」
「え?」
「俺の生きてきたあの世界は、現実じゃないのか? 俺は、
――ニセモノなのか?」
「ちがう」
「俺は、」
「わたしの目をみて、磯野くん」
榛名は俺の両肩をつかみ、必死な眼差しで見つめてくる。
「いい? 磯野くんの世界は、磯野くんにとっての現実の世界なの。けれど、わたしのもともといた世界とは別の世界。だから、いまの磯野くんの記憶は、わたしの記憶とはちがう。けど、それだけだから――」
あまりにも
自分の認識していたすべてのことが根底から覆されてしまうことに、受け
「磯野くん!」
八月七日以前を知るのは榛名だけだ。
本当は七月一四日以前と言ったほうがいいのかもしれない。けど、それはどうでもいい。本当の現実の世界を知っているのは彼女だけで、彼女が戻るべき世界は、その現実の世界だ。
俺が生きてきた、俺が生きていくなかで見知った歴史を持つ世界は、八月七日一〇時二一分以降の世界は
俺は、その世界で生きてきた。
その世界は二つの世界が交差し変質化していく、歪んだ異常な世界なんだ。
世界が正常化されるとするなら、それは、七月一四日以前の世界。
――一万五千人もの死者を出したその現実世界というのは、本当に幸せな世界なのか?
いや、そうじゃない。
俺がいちばん怖れているのは、現実世界に戻ったとき、俺は、どうなってしまうだ?
――俺は、俺で無くなってしまうんじゃないか?
「磯野くん」
榛名が俺を手をとる。
「磯野くんは、磯野くんのままだから。いま目の前にいる磯野くんも、七月一五日に、困っていたわたしに声をかけてくれた磯野くんも、全然変わっていないから。磯野くんは覚えていないだけで、わたしにとっての磯野くんは、あの日からずっと同じだから」
彼女の伝えてくる必死な声が、どこか、遠くで聞こえているようだった。
――俺は、どこに帰ろうとしているんだ?
――俺がたどり着いてしまったさきで、なにを失ってしまうんだ?
五感がすべての機能を失ったかのように、はるか遠くで出来事が起こっているかのように、そう感じてしまっていた左耳もとで、女性の声が告げた。
「お待たせしました」
ZOEだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます