18-07 なんで、わたしなんだろうって

 七月一五日。


 その前日一四日が、榛名が色の薄い世界にはじめて迷い込んだ日。

 その翌日に俺と会っているってことは、


「榛名がオカ研側に入れ替わってから現実世界にふたたび戻ってきたことで、俺たちのことを知ったって流れなのか」

「うん。現実の世界では、磯野くんや柳井さん、怜ちゃんや竹内たけうちくんのことは知らなかったから」


 怜ちゃん、か。


「そうか、みんなの呼び方もちがうんだな」


 そういえば俺のなかにあるオカ研側の記憶でも、一年前の夏に部室に訪れた榛名は、はじめはお嬢さまのような雰囲気を醸し出していて、俺たちオカ研メンバーにかなり気を遣った丁寧ていねいな接し方をしていた。けれど、千代田怜に関しては、ちゃん付けで呼ぶまでにいたらないまま、しだいに元気さを押し出したキャラへ変わっていったんだよな。


「そうだね。わたし自身の境遇も、オカ研側のわたしとはやっぱり出会い方も、出会ってからの時間もちがったから」


 俺は、映研での彼女がどう振る舞っていたのかはわからない。

 けれどオカ研側で取り繕っていた榛名のキャラクターとそこでの関係があったからこそなのだろうと思う。オカ研側で触れた俺たちへの、彼女なりの親しみを込めた呼び方だったのかもしれない。


「不思議な感じがするんだけど、二つの世界のそれぞれで、自然とその世界での振る舞い方が出ちゃうんだよね」


 榛名は、俺をみつめる。


「どうした?」

「あのね、わたし一五日に、現実世界でもオカ研があるのかたしかめようとして文化棟ぶんかとうに行ってみたとき、一階のロビーで磯野くんに声をかけられて」

「俺に?」

「そのとき「足なおってよかったですね」って」


 ……おい、それってもしかして、八月七日に榛名を追いかけてたときに、声かけようとした台詞じゃねーか。


「なあ、」

「ん?」

「最後に「ふふっ」とか笑わなかったよな、俺」


 榛名は左手をあごえて、


「言ってた……気がする。すごく緊張してたっぽいけど」


 なんなんだよそれ。なに無様ぶざまさらしてるんだよ俺は……。

 榛名は、頭を抱える俺に苦笑いを返した。


「あ、空がきれい……」


 彼女は、そう言ってベンチから立ち上がろうとしたところで、左足がふらついて姿勢を崩してしまった。


 俺はとっさに彼女の身体を支える。


「……ごめん。ダメだね、わたし」


 榛名は身体を起こして、左足をさする。


「わたしね、当時、左手と左足が不自由になってしまったことが、とてもつらくてね。……こんなことにした世界をずっとうらんでたんだ。なんで、わたしなんだろうって。なんで、わたしがこんなことにならないといけないんだろうって」


 彼女は、かすかに目を落とし、


「――けどね、」


 笑いかけながら発した声が、うわずり震える。


「悔しくて……。ずっと、ずっと……悔しくて」


 彼女は強い子だ、と思っていた。

 振る舞いや、ここまでたどり着いたことで、そう言葉を当てはめていた。


 けど、ちがうんだ。

 強いとか弱いとかそういうことじゃない。人は、理不尽りふじんな状況に陥れば、誰もが戸惑とまどい、悲しみ、そして、己の境遇きょうぐうを恨む。それが、取り返しのつかないことになればなおさらだ。そんな彼女に「強い子」なんて言葉を当てはめて、どこかで安心してしまっていた自分が、他人ごとにしてしまった自分が、腹立たしかった。


「――だから、七月一三日の夜に、こんな世界無くなっちゃえばいいって、そう、いのったんだ」


 榛名は、左足からベンチの影がびるコンクリートへと目を落とす。


「……祈っちゃったんだよ」


 あふれ出そうになる感情を押し込めるように、一つため息をついて、彼女はつづける。


「――祈っちゃったんだよ、わたしは。その祈りが、届いてしまったのかはわからない。けれど、一四日の明け方に灰色の世界に迷い込んだ夢をみて、目が覚めてから、夢のなかで見た百年ひゃくねん記念塔きねんとうを見に行って、二つの世界を行き来するようになってしまって」


 榛名は、どうやったって笑顔にならない、そんな笑顔を見せた。


「もう一つの世界のわたしは、五体ごたい満足まんぞくでね、はじめて入れ替わったときは戸惑ったけど、けれど、左手と左足を自由に動かせることが嬉しくて。だから、あの祈りがつうじたんだって、そう喜んじゃって、けど――」


 ――うん。


「その世界はね、お父さんが、」


 ――わかってる。


「……わたしの左手と左足が不自由になれば、お父さんは死ななかったんだよ……って、それを、あの世界はわたしに見せたんだ。わたしが恨んで消えてしまえばいいって思ったその世界が、わたしの望むものを与えてくれたとき、同時に失ってしまうものがなんなのかを、その世界が」


 榛名は、あきらめたように微笑ほほえみ、


「だからね、これはわたしに対するばつなんだって。自分の境遇が嫌になったことに、神さまが――」

「榛名、それは、」

「ううん、これも自分のひとりよがりだってわかってる。けどね、事故があって、こうなっちゃったわたしをはげましてくれた、お父さんやお母さんや、千葉ちはのことを全然考えてなくて、それが……」


 彼女の言葉に答えられないまま、俺は、


「オカ研のね、わたしのほうが、ずっとまわりのことを見えていて。あの子と、あの子の世界をみせられて、重なって、痛いほどよくわかって。あの子は、お父さんを失ってしまったのに、それなのに、わたしは、何不自由なく過ごせるもう一人のわたしをうらやんでしまったことが、そんな自分がゆるせなくて――」


 榛名を抱きしめる。


「榛名、誰だっておなじことを思うさ。俺だって、おなじ境遇だったら、恨みもするし、うらやみもする。榛名、きみは悪くない。大丈夫、悪くないから」


 すべては仕方のないことで。

 彼女がそう思ってしまったのも仕方のないことで。

 

 けれど、彼女はいま考えずにはいられない。

 考えるのをやめてしまったら、

 言葉にならないものに、

 こころが押し潰されてしまうから。

 だから、


 ――彼女は、どうにもならないそれを言葉にして、

 ――俺は、そのどうにもならないものを否定してやらなければならないんだ。


「ごめんね、聞いてくれて……ありがとう」


 榛名は、俺の肩にまかせていた顔をあげて、俺を見た。


「ひどい、顔だな」


 俺の言葉に、彼女は、もう一度笑おうと顔を歪めて、


「それはお互いさま……だぜ」


 俺たちは、手をつないだ。

 そして、二人でしばらく、空を見上げた。


 すでに陽は暮れかかっていて、オレンジから青へとグラデーションがはるか彼方かなたまでひろがっていた。すこしずつ染められ、夜がかっていく東の空は、夏の星が、ぽつり、ぽつりと、ちりばめられていた。

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