18-06 一人で背負うのは、知ってる

 腹のそこに、おもいものがしずんでいくのを感じた。

 俺はその、どうにもならないものを無視むしする。

 無視、するしかなかった。


 ――この世界を救う。


 その言葉が、あまりにも現実味げんじつみがないものに感じられた。

 霧島榛名を救い出し、ここまでたどり着くまででさえこの有様ありさまなのに、現実世界に戻るまえに、いまだ見当けんとうもつかない「この世界の救う方法」を探し出すなんて、そんな途方とほうもないこと出来るはずがない。


 ライナスも言っていたんだ。失敗は許されない、と。これからまた気を抜くことのできない状況のなかで、わき目を振る余裕よゆうなんて、俺たちにはありはしないんだ。そう己に言い聞かせ、こころの迷いを俺は振りほどく。


 ――これからのことを考えろ。


 ZOEから連絡が来るまでのあいだ、このあとの時間の有効な使い方について整理しなくてはならない。


 八月七日午前一〇時二一分から三一日までの、榛名がいなくなってしまった世界と起こった出来事については、また語ればよいだろう。まずは八月七日までに起こった榛名の物語を聞く。そして、その物語のなかから、この一連の超常ちょうじょう現象げんしょうが引き起こされた原因を見つけ出さなくてはならない。


 俺のとなりで、沈もうとする夕空を、静かに眺めている榛名がいた。


 彼女の白い肌がオレンジに照らされている。

 すっと伸びた鼻梁びりょうによって、まるで彫刻ちょうこくのように美しい横顔がそこにあった。


 その横顔が、さっきまで俺のことを語っていて、そのことが、なぜだかいまさら現実離れしているように思えた。


「わたし、たぶんね、八月七日の、あの雨の日からずっと、灰色の世界にとらわれたままだったんだと思う」


 俺の視線に気づいた彼女が、ぽつりとつぶやく。


「だけど、わたしにはその記憶はぼんやりとしかなくて。だから、この世界の一二日、あの日の夜に、灰色の世界に引き戻されて……とても、とても怖かった。けどね、それよりも怖かったのが、


 ――磯野くんまで、あの世界に巻き込んじゃったこと。


わたしの選択した八月七日が、結局、なにも解決出来なくて、わたしの……」


 榛名はそこで言葉を止めた。

 彼女の、夕陽に照らされ頬へと流れていく光。


 霧島榛名が経験したことを、俺もまた繰り返した。

 だから、その悲しさが、悔しさが、わかってしまう。


 八月三一日のあの夜、グラウンドへ向かおうとする色の薄い世界の八月七日の俺を引き返させたことで、世界は元に戻ったと思ったんだ。それが、なにも変わっていないって真柄まがらさんから伝えられたとき、どうしようもない絶望に襲われてしまった。


 霧島榛名が、俺を巻き込まないために身を投じて、その結果なにも変わらなかったという徒労とろう


 あのときとおなじものを、彼女も感じているのだろう。


「……けど、ね、すごく自分勝手だってわかってるんだけどね……わたし、磯野くんと再会できて、うれしかった」


 彼女は、涙のままの顔を俺に向けて、


「わたし、馬鹿だがら、一人で背負っちゃって。磯野くんを巻き込んじゃいけないって、あのとき、そう思っちゃって。覚悟なんて、そんなものこれっぽっちも無かったのに」

「一人で背負うのは、知ってる」

「そっか。……だよね」


 俺もまた、暮れていく空を見上げる。

 あのときのグラウンドも、こんな夕陽だったよな。

 あのときの榛名も、こんな。


「俺だって、わからないのに、きみとの記憶が無いのに、あの一二日の夜にきみと会ってからここまで来ちまったんだ。けど、後悔こうかいなんてしてない。会えてよかったって、心の底から思えるから、だから気にしなくていい」


 俺は榛名に向きなおり、


「いまのためだって、思えばいいから」


 そう告げた。


「あいかわらず、優し過ぎるよ、磯野くんは」


 彼女もまた優しいあきれ顔を俺に向けた。


 あいかわらず、か。


 榛名の知っている俺は、「八月七日以前の俺」で、そのときのことは、いまの俺はわからない。


 それが、さびしかった。


 けれど、彼女が言う「あいかわらず」の俺は、やっぱり俺なわけで、これからもとの世界に戻ったならその実感じっかんをやっと得られるようになるんだと思う。


 それでも、俺はあえてく。


「そう……なのか?」

「うん」


 そう言って微笑む榛名は、オレンジに照らされて、とてもきれいだった。




 ZOEの連絡がいまだ無いまま、俺たちはショッピングモールへと戻り、ドラッグストアで応急おうきゅう処置しょち用の一式いっしきを買い込んだ。


 館内は夕飯時というのもあって、軽い人混みが出来るくらいに混雑こんざつしはじめていたため、人目ひとめけるため、もう一度ベンチへと戻った。


 消毒しょうどく用のエタノールをひたしたガーゼを、榛名の右手の甲にある傷につけた。


「――――っ」

「痛いよな」

「平気、平気、つぎはわたしが磯野くんにするし」

「仕返しかよ」


 笑う彼女をみると、オカ研のいたずらっぽい榛名の顔が重なって見えた。


「そういえば、なんで俺にくんけするんだ?」

「磯野くんはわたしのこと、霧島さんって呼んでたんだよ」

「マジか」

「うん。だって、現実世界のわたしたちって、七月一五日にはじめて話したなかだから」

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