17-10 約束……しましたから

 三馬さんはうなずいた。


「この事態を解決させるのは、磯野の帰還きかん。それも、ちばちゃんの姉、霧島榛名さんをともに連れて帰ってこられなければ、根本こんぽん的な解決にはならないだろう。……八月三一日からすでに十日が経過しているんだ」

「ああ。そのとおりだ」

「だが、いまだに磯野はいまだ帰ってこない。三馬、こうなると磯野が帰ってくるのは、例のフィボナッチ数列すうれつ――四時間二分五五秒を単位としたあの数列の、つぎの入れ替わり時刻じこくになるのか?」


 三馬さんは、一つため息をつきかぶりを振った。


「今回に限っては、それはないだろう。柳井、わかるだろう? 磯野君は、「色の薄い世界」へんだ」


 柳井さんは、腕を組み直して唸った。


「そして、もう一つの、オカ研世界側の磯野君もまた同じように「色の薄い世界」へ迷い込んでいるとみていい。もし戻ってくるとしたら、映研、オカ研の磯野君と榛名さん――つまり彼ら四人が、例の得体の知れない存在と接触すること。そして、色の薄い世界にいるならば、いままでのパターンからいけば、かならず接触があるはずだ。つまり、磯野君はまだ霧島榛名さんを見つけられていない可能性が高い」

「けど……!」


 ソファでうずくまっていた千代田怜が、声をあげて、またうつむいた。

 となりの青葉綾乃が、怜の肩を抱く。


 その様子を見た三馬さんは、しばらくうつむいてから口をひらいた。


「いや、関係無いわけではない……な。二つの世界の磯野君が、色の薄い世界に迷い込んんだんだ。その空間内で入れ替わりが起こった場合に、入れ替わることになるのか、世界に影響を与えるのかはいまだ不明だ。入れ替わりに色の薄い世界を経由けいゆする以上、強制きょうせい的に現実世界に戻ってくることもあるかもしれない、が――」


 そこまで言った三馬さんは、なにかつけ加えてようとしたが、思いとどまったのか口をつぐんだ。


 柳井さんは、三馬さんにうなずいた。


「つぎの入れ替わりって、いつになるんだ?」

「九月一五日の二一時四四分七秒です、柳井さん」


 パソコンのモニターを見ながら、竹内千尋が答えた。


 柳井さんは、一呼吸おいてから、


「九月十五日、つまり、あと五日後のその時間までに磯野が戻ってこなければ――」

「戻ってきます」


 柳井さんの言葉をさえぎる強い声が部室に響いた。


 全員が、その声の主に目を向ける。

 そこには、ふだんは辿々しく、言葉にもならないような、そんなか細い声で話していたはずのちばちゃん――霧島千葉だった。彼女は、顔を上げて柳井さんを見つめていた。


「……霧島榛名さんを……連れて、磯野さんは戻ってきます。しました……から、約束。磯野さんは、かならず姉を連れて帰ってきます」


 彼女の、そのりんとした姿に、榛名の姿が重なってみえた。

 そして、彼女の思いつめたその声色こわいろと表情に、胸を締めつけられる。


 そうだ、約束したんだ。


 ――あの……、わたしは、まだ……わからないんです。その人が、わたしの……姉なのか……。

 ――……けど、もし榛名さんに、姉に会ったら……よろしくお願いします。


 ああ、榛名を見つけることが出来た。

 そして、榛名を連れて逃げてこられた。


 だから、こいつらの安心した顔を見るためにも、こいつらに「ただいま」って言ってやるためにも、あとは、この世界から現実世界へと戻って、


 この世界?

 俺はいま、どこにいるんだ?


 ――そうか、これは、夢だ。

 ――けれど、この夢は、


 いま見えている世界が、急速に、べつの世界へと吸い込まれていく。


 この感覚は、前に見た、白い部屋での目覚めと同じだった。

 けれど、その吸い込まれたさきの景色は、あの部屋の白い天井では無く、西陽が差し込み、オレンジに染められた、夏の色だった。


 乗用車の助手席の倒されたシートで眠っていることに、俺は気づいた。

 車の天井を彩るそのオレンジが、子供のころの行楽の帰りに見た夏の記憶を思い起こさせた。


 あの夢は、やはり夢じゃない。

 九月一〇日と、柳井さんは言っていた。いまは、八月十七日。この世界に来た八月七日からちょうど十日目になる。俺が八月三一日からこの世界に渡った日数と計算が合う。


 だけど、違和感がある。


 いま、となりで寝息ねいきをたてている霧島榛名は、この世界での十二日に、向こうの世界の十二日の俺と色の薄い世界をとおして接触していた。彼女は、いまの現実世界ではなく、過去の……俺と……、いや、もし、一七日がリアルタイムなのだとしたら、俺が未来の現実世界を夢でみたことに……ううん、わけが――


 ううん、と榛名が声をらして、俺の左肩にあずけた頭を揺らした。

 手をつないだまま寝ていたらしい。重ねられていた左手が、キュと握られた。


 いま俺が置かれているシチュエーションに、返らなくてもいいのに、我に返ってしまう。恋人同士のような、いや……さっきの線路を二人で歩いていたときも、そういうことを考えたのだけれど、とても、なんていうか、ドキドキしてくるというか……。


「……磯野くん?」


 あわてて横をみると、彼女と目が合った。


 ……近い。


 まるで、いまにもキスをしてしまうくらいの距離で、お互いの息が顔にかかって。


 俺たちは、それでも、そうであっても、いや、そうであるからこそ、あわてて、互いにあらぬ方向へと顔をそむけてしまった。


 なにか、勿体ないことをしてしまった感が強い。


 いや、なに考えてるんだ俺は。ついさっきまで殺されかけて、あ、いや、殺されて、しかも二回も。そんななかをなんとか脱出してきたんだぞ。緊張感とか無いのかよ!


 ……いやいや、その状況から脱して、おたがいやっと安堵して眠って、目覚めて、お目覚めのキスとか出来そうだったって状況じゃなかったかこれは。そうだろ、磯野。


 それにだな、たしか、キアヌ・リーブスの出世作かなんかで、極限きょくげん状態の中でむすばれたカップルは長続きしないのよ……って! 長続きしないのかよ!


「……あの」

「……あ、うん」

「……磯野くん、おはよう」

「……おはよう、榛名」


 それでも、俺たちのおたがいの手は、絡みついたままだった。




17.襲撃 END

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