17-05 たのむ。やめてくれ

 ライナスの情報にあった、所持している可能性のあるもの。

 リボルバー式の拳銃が、いま霧島榛名の右手に握られ、持ち上げられた。


「榛名! ダメだ!」


 ああ、あのときと同じだ。


 研究所の駐車場ちゅうしゃじょうでハルが撃たれたとき、俺は警備員のホルスターから拳銃を奪い取り、自殺を成しげた。


 ――霧島榛名は自殺じさつによる生存世界への収束で、おじいさんを救おうとしている。


 ダメなんだ榛名。生存せいぞん世界への収束には限りがある。この三つ目の世界で、死にえた世界が、生存している世界を上回ってしまったら、


「ダメだ! 榛名、よせ!」


 彼女は、俺の声に振り向くことはない。

 ゆっくりと、銃口を、こめかみに当てる。


 彼女には俺の声が聞こえていたはずだ。だが、その言葉が、榛名に届かないことは俺がいちばんよく知っている。


 ――大切な人を救える可能性がすこしでもあるのなら、わたしは、全力でもがいてやる。


 その意志いしが、彼女に、おじいさんを救うための行動を後押あとおしさせている。彼女の死による収束によって、いま起こった結果とはちがう選択肢を、世界から引き出そうとして。


 だとしても、彼女にとっての意志が死をのぞもうとも、俺が求める世界とはちがう。俺にとって、いまもがくべき相手は霧島榛名ただ一人。だから、


「銃を捨てろ!」


 一歩でも彼女の手の届く距離まで。彼女が引き金を引くまえに、なんでもいいから引き延ばすための言葉を、なにか、


「たのむ。やめてくれ」


 もう顔を前に向けていることも出来ず、ひたすら足を前に出し、呼吸こきゅうが乱れたまま、しわがれた声を発した。


 それでも、それが彼女を止める言葉にならないことを悟ったとき、


 一発の銃声が、構内にとどろいた。


 間に合わなかった。


 霧島榛名が死ぬのは、これで何度目だ?

 海に投げ出されて三度、

 狙撃と、いまの自殺で二度、


 ――……八月七日に彼女が海に投げ出されたとき、なんで俺はさっきみたいな収束の外側を垣間見る現象――あの超常現象を覚えていないんだ?


 そうか、そのとき俺は、麻酔ますい銃で眠らされていたから――


 ――世界は、いまだ歪まない。


「え?」


 顔を無理やり前方へ向けると、霧島榛名の右手にあったはずの拳銃は無かった。代わりに、血で濡れた右手をおさえ、悲痛ひつうな表情に歪む彼女が、そこにいた。


 来るべき収束を覚悟していた俺は、事態を把握しきれずに戸惑う。


 なにが起こったんだ?


 すでに声を出すことすら出来ないほどに息が上がったまま、榛名を視界にとらえて走りつづける。血で濡れる彼女の右手が、拳銃を吹き飛ばされた際に出来たかすり傷だと気づいて、ようやく悟った。


 ハルが撃ったのか。

 榛名の拳銃を正確に狙って。


 うつろな顔のまま座り込む榛名へと駆け込み、左手で彼女の後頭部こうとうぶを守り抱き込みながら、俺たちは床へと倒れ込んた。


「……離して! わたしは! わたしなら……!」

「ダメだ、榛名。お願いだから」

「けど、だけど、いまわたしが死ねば、おじいちゃんは!」


 涙を流しながら耳元で訴える榛名を、俺は強く抱きしめつづける。

 そのうしろで、数発の銃声が響いた。


 敵はまだいる。


 彼女を抱いたまま、顔を上げて背後を見渡そうとしたのと同時に、一つの足音が、俺たちのいる場所へと駆け寄ってきた。


「榛名さん、松田さんは命に別状べつじょうありません。銃弾は右肩から斜めに抜けています。磯野さん、早くこの場から」

「ハル!」


 ハルはうなずいた。

 こころが壊れてしまったかのように、視線が定まらないままの榛名の腕を俺の肩に回し、肩を貸すようにして俺は立ち上がった。


 どこに逃げる?


 ハルは、俺たちのたてになりながら、狙撃手がいる場所に三発撃ち込んだ。


「改札を抜けて奥の階段へ! ゴーディアン・ノットは抑えていますが、実行部隊が榛名さんを捉えるまえに!」


 俺は、茫然ぼうぜん自失じしつの榛名とともに、ゆかに倒れ込む人びとを縫って改札へと走り出した。


 ――実行部隊。


 やつらはどこから現れる?


 妨害ぼうがいから回復していないのか、眼鏡に表示される俯瞰図には、いまだにそれらしきポイントを見つけることは出来なかった。


 榛名は、正気しょうきを取り戻したらしい。

 彼女はうなずくと、みずから脚を動かし改札口へと走りはじめた。しかし、もともと杖が必要な彼女の脚は、いまにも転びそうなくらいにか弱く、手を引く俺は速度を上げられない。


 マズい。階段手前まで行けば、奴らの射線しゃせん死角しかくに入るってのに、まだ一〇メートル以上も距離がある。


「……ごめんなさい」


 榛名が小さく漏らす。

 その言葉を否定するひまは無かった。


 駅構内へ拳銃を構えた警官がなだれ込んできた。


「銃を捨てろ!」


 なんでいまさら、こいつらが……!


「警視庁が介入かいにゅうしました。CIAから作戦権限が移譲いじょうされました」

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