16-07 きみにこのようなお願いをするのは、なんとも筋違いなのだが

 俺たち二人は、用意してあったライトグレーの乗用車に乗り込むこととなった。


「クライスラー300SRT8です。こちらも防弾仕様なのでご安心を。ZOEによる車両の位置偽装が整い次第、出発します」


 ハルは「磯野さん、これを」と言って、アタッシュケースの中身を手渡してきた。小型イヤフォンと、拳銃けんじゅう――グロック17とカートリッジが二本、そして、ベルト固定式のホルスターだった。


「ああ」


 俺は、いまさら躊躇うことなく、それらを受け取って身につけた。

 顔を上げた俺はハルと目が合ったが、彼女はすぐにその目をそらして運転席に乗車した。


 彼女の瞳に、わずかに、哀しみを見たような気がした。


「イソノさん」


 助手席に乗り込もうとしたところで、ライナスに声をかけられた。


「きみにこのようなお願いをするのは、なんとも筋違すじちがいなのだが――」


 鷲鼻の男は、声をひそめて言う。


「HAL03を頼む。彼女は、まだ生まれてから間もない。年相応としそうおう教育きょういくほどこされているとはいえ、その期間はまだ半年にも満たないんだ。そんな、精神的にはいまだ未成熟みせいじゅくな彼女は、イソノさんに対して特別とくべつな感情が芽生めばえてしまった」


 ……特別な感情。

 それは俺も気づいていたし、好きな女性と同じ容姿の彼女に心揺こころゆれなかったと言えば、ウソだ。ただ、第三者に明確に言葉にされたことで、いままでのハルとのやり取りに、妙な現実味が湧いてしまう。


「それは彼女にとって救いにもなった。それゆえ、彼女のこれからの行動が危うくなる可能性もある。だから、イソノさん、彼女のことをよろしく頼む」


 ライナスの目に、彼女に対する親心のような情がみえた気がした。いままで感情を殺し、合理ごうり的判断を優先ゆうせんしてきた男の発言とは思えなかった。その言葉に、なんだかホッとした。


「わかりました」




 三〇分後、城南島海浜公園に到着した。

 第一駐車場に車を止め、公園内を歩きはじめる。


 右手にあるキャンプ場にはいくつかテントが張られていた。数組の親子連れなのだろう、バーベキュースタンドを囲んで昼食を楽しんでした。


 しばらく歩いたさきに木張きばりの遊歩道ゆうほどうが見え、その柵のむこう側には海と砂浜が広がっていた。


 その光景を見た瞬間、俺は愕然がくぜんとする。


 ――あの場所と同じなのだ。


 八月十二日。

 映研世界の撮影旅行からの帰ってきた夜。

 土砂降どしゃぶりの文化棟ぶんかとう玄関で霧島榛名の手をつかみ迷い込んだ、色の薄い世界。


 そう、あの砂浜だった。


「榛名がいたのは、ここだったのか」

「磯野さん?」

「この世界に来るまえの一二日の夜、八月七日以降に消失しょうしつしたはずの霧島榛名と接触した際に飛ばされたのが、色の薄い世界の、この砂浜だったんだ」

「バルク空間の砂浜ですか?」

「ああ」


 ハルはすこし考え込んで、言う。


「八月十二日。今日が十七日ですから五日前の夜ですよね。この世界と磯野さんの世界の時間進度は、おそらく同じなのだろうと思います。たしかそのとき、霧島榛名さんも磯野さんのことを気づいたんですよね?」

「ああ。色の薄い世界での榛名は、俺を認識したうえで言葉を交わした」

「一二日から今日まで五日が経過しています。ドローンの映像が二日前の一五日。この付近のどこかに彼女がいる可能性がありますね」


 ハルはスマートフォンを取り出し、俺に映像を見せる。

 画面は、不鮮明ふせんめいながらも、海を背にした夜の公園の砂浜が映し出されていた。その奥の木張りの遊歩道に榛名らしき人影が映りこむのが見えた。その人影は、すこしのあいだ海のほうを眺めたあと、駐車場の方向へ歩き出した。


「……霧島榛名」

「ええ。ボードウォークにいるこの人影は、ZOEの解析かいせきから、以前監視カメラから入手した霧島榛名さんの情報と一致しています。彼女が向かった先、第一駐車場の向こうには工業地帯があります。行ってみましょう」


 ハルは、駐車場まで戻ると、乗用車のトランクをあけて拳銃のものとはべつのアタッシュケースを取り出した。なかには、手のひらサイズの小型ドローンが六機おさめられていた。


 ハルはまぶたを閉じると、ドローンはそれぞれ浮上し、工業地帯にむかって飛び去った。


「ZOEから送られてくる監視カメラの映像と連動れんどうしながら、リアルタイムで霧島榛名さんを探します」


 六機のドローンを操作し、その映像が彼女の脳に送られてくるだろうことを俺はさとった。ZOEと連携しているのだろうが、やはり彼女はバイオロイドという存在なのだろうと、あらためて実感した。


 考えが顔に出ていたのか、彼女はすこしさびしそうな笑顔を浮かべ「わたしたちは、車で移動しながら居住きょじゅう出来そうな場所を探してみましょう」と言って、運転席に乗り込んだ。




 二〇分後、工業地帯のはしに、いまだ機能している住居地域を発見した。


 ハルによると、国土交通省こくどこうつうしょうのデータベース上ではすでに工業地域に書き換えられていたが、実際の更新こうしんが進まないまま、いまだに居住者がいる地域らしい。


 五階建てのその建物が並ぶその区画くかくは、ここに来る途中でも見た未来的な建築けんちくとは程遠ほどとおい、昭和しょうわ雰囲気ふんいきが漂っていた。


「この区画の建物は一九八〇年代から更新されていないため、監視カメラが設置されていないようです」

「なるほど。隠れるには絶好の場所ってわけか」

「ドローンに各部屋のベランダをチェックさせて、この建物に居住している形跡けいせきのある部屋を見つけだしました。ある一室を除いて、ほかはどこも空き部屋状態でした。ここです」


 ハルは、車を降りたさきのB棟と書かれたマンションを見上げた。


「この建物の五〇五号室です。なにもないとは思いますが、磯野さんも用心ようじんを」


 ハルはそう言うと、ホルスターから拳銃を引き抜いた。

 俺もうなずき、腰から拳銃を取り出して、あとにつづいた。

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