15-09 彼女を紹介しておきたい

「この世界を消滅させる? いったいどういうことです?」


 鷲鼻の男は「説明しよう」と言って眼鏡のブリッジをおさえた。


「この世界に流れ込む情報には、当然質量しつりょうがともなう。二つの世界の情報と質量がこのまま失われてしまえば、きみたちの世界は、やがて消滅してしまうだろう。一方、この世界への過度な質量の流入と集中の結果、近い将来しょうらい、ブラックホールを発生はっせいさせてしまう」

「ブラックホール?」

「ブラックホールは、限られた領域りょういきに質量が極度きょくどに集中し、高密度こうみつどに達した際に発生する。二つの世界、つまり二つの宇宙の質量が、この世界のある一点に流れ込んでくれば、ブラックホールの発生条件じょうけんは簡単にクリアされてしまう。この世界における情報集中の震源しんげんとなっているのは、地球だ。宇宙自体は、質量の流入に応じて膨張ぼうちょうを続けられるだろうが、その震源となる地球は、過度の質量の集中により発生したブラックホールに飲み込まれる。それは、この世界の人類じんるい滅亡めつぼうすることを意味する。もし情報の流れを止めることが出来れば、この世界は消滅するだろうが、きみたち二つの世界と人類は救われる」


 情報とか質量とかのことはよくわからない。

 けどそれって、この世界を犠牲にすることで、俺たちの世界を救うと言ってるのか?


「あの、あなた方の世界が消えてしまってもいいんですか?」

「ああ、かまわない。我われの世界を存続そんぞくしようにも、このままではいずれブラックホールが発生する。もし存続出来たとしても数年単位たんい延命えんめいにしかならない。その延命のために二つの世界、人類を犠牲にしていいはずがない。それにこの世界が消滅したとしても、二つの世界は未来へとつづいていける。もしかしたら、この世界の消滅した人たちは、きみやハルナさんが体験したように、生き残ったきみたちの世界へと収束されるかもしれない」

「ほかにこの世界の消滅を止める方法はないんですか?」

「この世界を救う方法があれば、我われはその方法を提案ていあんできただろう。しかし、そのようなものは無い。だからこそ、きみたちの世界を救うんだ。共倒ともだおれになるまえに。我われは、宇宙を越えた人類の存続を望んでいる」


 ――世界を救う。


 この世界にきてから何度も聞いた言葉。


 なぜ救うことになるのか、その原因を目の前の男は伝えてきた。「情報の道」から流れ込んでくる情報と質量の集中、そのポイントがこの世界の地球であり、ブラックホールの発生源になること。それならば、その原因に深く関係している俺と榛名を、この世界の人間たちが血眼ちまなこになって確保しようとするのは理解出来る。


 だが、目の前の男は、世界を救うという意味を俺たちの二つの世界に限定げんていしている。研究所で聞いた同じ言葉とはニュアンスがちがう気がする。


「あの、朝倉博士と真柄先生は、俺たちに世界を救う力があると言っていました。運命うんめいを変える力があると。世界とは、この世界のことを指していたんだと思います。本当は、この世界も救える方法がなにかあるんじゃないですか?」

「彼らが救おうとする世界とは、いかにもこの世界のことだ。きみたちの世界じゃない。彼らが、きみやキリシマ・ハルナさんを確保するのは、きみたちの持つ力を得ることによって事態じたい打開だかいするためだ。だが、我われにしてみれば、それは楽観らっかん的な試みでしかない。結局、日本政府は、その打開策を見つけだすまで、きみたち二人をもとの世界にかえすことは無い。この世界が救われなければ、二つの世界もまた犠牲になってしまうことを、彼らはいとわないだろう」


「……そんな」


 だが、よくよく考えればそうだよな……。

 俺がこの世界に未練みれんを持たないのと同じように、彼らも俺たちの世界に執着しゅうちゃくなどするわけがない。


「確実に救えるきみたちの世界を取るか、本当にあるかわからないこの世界を救う方法を見つけ出すか。この選択肢は、あまりにも不釣ふづり合いな天秤てんびんのようなものだ。それにイソノさん、そもそもきみは、あの二人を信用するのかね?」


 ……信用。


 あの研究所では、だまされていた記憶しか無い。

 それでも、いま聞いたような話をされていたら、俺は素直すなおに話を受け入れていただろうか。


 ――この世界を救うために、自分たちの世界を犠牲にする。


 いや、彼らが俺たちの世界もふくめて解決策を見つけようとしたにしても、俺は、自分たちの世界を危険に晒してまで、この世界の命運めいうんに付き合おうとはしなかっただろう。だからこそ彼らは、俺を騙し、あの場所に閉じ込めようとした。


 事情じじょうはわかった。

 けれど、彼らのやり方を俺は受け入れられない。白い部屋でのあのメスの件はまだしも、榛名に対して彼らがやったことを、俺は許せるはずがない。


「私はアンドリュー・ライナス。ライナスと呼んでくれ。きみはもとの世界に戻りたいはずだ。我われはきみたちの世界の消滅を阻止したい。我われは協力出来る。力を貸してくれ」


 アンドリュー・ライナス。目の前の男は、俺や榛名、二つの世界で起こったことを把握していた。さらに、これから起こるであろう危機を伝えたうえで、俺たちをもとの世界に戻そうとしてくれている。榛名を連れてもとの世界に戻るという俺の目的にも合う。


 けれど、腑に落ちない点がたくさんある。まず、


 ――この男を信用出来るのか?


 朝倉博士や真柄先生は当然信じられない。

 だからといって、目の前のライナスと名乗る男の言うことだって、どこまで本当かわからない。


「ライナスさん、あなたは榛名を、二度も見捨てようと、いや、使い捨てようとしましたよね。さっきの話で、俺の死の回数を減らそうとしていたのは理解出来ますし、助けていただいたことにも感謝してます。けどね、世界を救うとかそういうことをしようとする人が、となりにいる人間を使い捨てるように扱ってたんじゃ信用なんて出来ませんよ」


「イソノさん、我われに疑いを持つのも当然だ。だが理解してほしい。目的を達成たっせいするには仕方がないことだ。そのうえで、彼女を紹介しておきたい。ここにいる女性ではなく、きみに電話をかけてきた存在についてだ」


 彼女……電話の主ってことか?


 突然、着信音が鳴った。


 ライナスと榛名のうなずきを確認したのち、俺はポケットからスマートフォンを取り出した。通知不可能の文字をふたたび見とめたうえで電話に出ると、霧島榛名と同じ声が俺の耳に届いた。


「私の名前はZOE。国防こくぼう高等こうとう研究けんきゅう計画けいかくきょく――DARPAダーパを中心とした人工知能開発プロジェクトであり、アメリカ合衆国がっしゅうこく安全保障あんぜんほしょうを保護するASI――人工じんこう超知能ちょうちのうシステムです」

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