15-10 戸惑った記憶がある、と言ったほうが正確なのだろうが

「……ゾーイ」


 電話の主は「ZOEゾーイシステムは、あなたと霧島榛名を全力でサポートします」と言って、通話つうわを切った。


「ZOEは、ギリシャ語のゾーエー、つまり生命せいめいを指す。二〇一六年、アメリカ合衆国政府により進められていたビッグサイエンス計画でありヒトの脳のネットワーク構造こうぞう解明かいめいを目的とした「BRAINブレインイニシアティブ」から派生し、半年前にDARPAダーパによって立ち上げられた人工知能開発プロジェクトの産物さんぶつだ。この世界において、今後こんご一〇年のあいだに起こるであろう技術的特異点とくいてん――シンギュラリティの到来とうらいそなえ、政府主導しゅどうでの人工超知能開発と、それに対応可能な進化しんかした人類――ポスト・ヒューマンを生み出すことを当初とうしょは目的としていた。その副産物ふくさんぶつとして、国家安全保障規模での世界におけるネットワーク監視かんしシステムを、世界各国に先んじて構築こうちくすることが出来た。世界最強さいきょうの監視型AIシステム、まさにイーグル・アイだよ。しかし、肉体にくたいを持たない人工知能の判断はんだんは、将来的に人間と共存きょうぞんする存在ない。そのため、当初の目的通り、キリシマ・ハルナさんの遺伝子いでんしもちいたバイオロイド・クローンを開発し、人間的思考をあたえるためZOEのサポートとした。これが現在におけるZOEシステムだ。とは言っても、この世界における人類の、八月七日以前の歴史れきしと記憶によるものだがね。システム本体ほんたいであるZOEは、すでにネットワークの海に放たれ、西側にしがわ諸国しょこくを中心に世界を監視している」


 この人たちの背後にいるのは、アメリカ合衆国政府ってことなのか……。にしても、まるでSF映画ような話だ。いや、いま現在、この世界で近未来的なものなど何度もたりにしてきたが。


「アメリカ合衆国……あなた方はアメリカ政府の人間なんですか?」

「正確にはちがう。現在、我われは合衆国政府のために働いてはいない。いま私が動いているのは、ZOEの独自どくじの判断によるものだ。一ヶ月前に、ZOEは政府には極秘ごくひに、あるプロジェクトを私に打診だしんしてきた」

「極秘のプロジェクト? なぜ、あなたに?」

「私が、生みの親だからだ」


 生みの親……あの電話の主の開発者ってことか。


「ZOEが打診してきたプロジェクトとは、さきほどきみに話した、きみとキリシマ・ハルナさんをもとの世界に戻し、二つの世界を救うというものだった。最初は私も戸惑とまどったよ。いや、八月七日以前のことなのだから、戸惑った記憶がある、と言ったほうが正確なのだろうが。この世界を救える可能性が無いことをZOEに説得され、とうとう彼女の計画けいかくに従うことに決めた。これが露見ろけんすれば、合衆国政府は我われを消そうとするだろう」


 そう言ってライナスは一度、となりにいる彼女を見た。


「しかし、真の意味で人類を救うためには、国家、いや、世界を超えた視点してんでなければ解決出来ない。今日まで、ZOEは、私とキリシマ・ハルナさんの遺伝子により造り出したポスト・ヒューマンのプロトタイプとなるバイオロイド・クローン――HALハル指揮しきしてきた」

「ハル?」


 顔を向けたさきの彼女は、ひとつうなずいたあと口をひらいた。


HALハル・03ゼロスリー。それが私の名前です。この世界の生まれた八月七日以前からZOEをサポートしている記憶があります。HALの名前の由来ゆらいは――」

「私が名づけた」


 それって、もしかして、


「『2001年』?」

「いかにも」

「なぜ人類に反乱はんらんを起こしたAIの名前を?」

「だからこそ、人類はさらなる進化へとみちびかれた、と言いたいところだが……、ただの皮肉ひにくだよ」


 この世界で映画『2001年宇宙の旅』の名前を聞くことになるとは……。けれど、だからこそこの世界が自分たちの世界がもとになっている、ってことかもしれない。


「私たちバイオロイド・クローンは、ZOEによって五体が生産されました。諜報ちょうほう活動かつどうのノウハウと戦闘員せんとういんとしての訓練を受けています。私たちのうちHAL01ゼロワン02ゼロツーはすでに、バルク空間突入時とつにゅうじ事故じこと、磯野さんの世界で命を落としています」


 命を落としている?

 俺の世界で?


 彼女はそこで言葉を止めると「あなたと会ったとき、霧島榛名と嘘をついていました。ごめんなさい」と言ってうつむいた。


「……大丈夫、気にしないでくれ。俺はもうなにも思っちゃいない」


 事情はわかったんだ。いまさらそれをめるなんてことはしない。八月七日当時に榛名と同じ容姿であらわれて、いまあった説明を俺にしたら、そりゃ混乱どころじゃなかっただろう。彼女の判断は正しかったはずだ。それに、出会ってからずっと、彼女に人間らしいあたたかい感情かんじょうを見た気がしたんだ。


「……ハル、さっき、命を落としたって言っていたよな。あれは、どういうことなんだ?」


 その名をあえて口にしてみたが、なんだか申し訳ない気持ちになってしまう。どこかで、彼女のことを、榛名と呼んであげたい自分がいることに気づいた。


 彼女がそう呼ばれたときの、俺にむけた、あのあどけない笑顔が忘れられない。


 彼女は、俺の質問に答えようとして、けれど、そのままうつむいてしまう。


「イソノさん、もうわかっているだろうが、我われは、きみたちの世界で起こった出来事できごと大抵たいていのことは把握している。事故死したHAL01とHAL02、そしてここにいるHAL03のおかげでね」


 ああ、ライナスの言うことはわかる。

 俺や二つの世界で起こったことを、把握していたんだ。


「つまり、彼女たちは俺たちの世界にも来ていたってことですか」

「そういうことだ。それに、きみはすでにHAL02を目撃もくげきしているはずだ。バルク空間、きみの言葉でいう「色の薄い世界」の、八月七日のプラットホームに到着とうちゃくした鉄道てつどう車両しゃりょうにいた彼女、それがHAL02だ」




15.彼女の名前 END

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