15-06 いいんだ、大丈夫

 くらがりのなか見えたのは、白い天井てんじょうだった。

 どうやら意識を失っていたらしい。


 あの部屋に戻ってきてしまったのだろうか。いや、あの空間とはちがう、家具かぐの、木のにおいのような、生活感のある空気くうきを感じた。


 助かったのか? いや、


「――榛名は?」


 彼女は、無事なのだろうか。まずは身体を動かさなければ。

 起き上がろうとすると、右肩に激痛が走った。


「――――ッ!」


 ああ、そうだ。

 撃たれたんだった。


 なるべく首だけを動かすようにして、俺はあたりを見た。

 カーテンが閉じられている。空間自体は薄暗うすぐらかったが、白い壁に洋風ようふうの家具や調度品ちょうどひんで整えられた十畳じゅうじょうほどの広さのある部屋だとわかった。ドアはすこしひらかれていて、廊下へとつづいている。カーテンのそばにあるシングルベッドに俺は横たわっているらしい。右肩には清潔せいけつ包帯ほうたいかれていた。ふと、右手に肌を感じてそちらへと顔を向けた。


 ベッドの横に座る、一人のシルエットに気づいた。


 そのシルエットは、俺の右手を両手で包み込んでいた。いいにおいがする。指を動かしたことで、彼女の眠りをさまたげてしまったのか、うつむいていた顔が俺のほうへと向かれた。


「お目覚めになりましたか?」

「……榛名」


 よかった。


 彼女は一度俺の手を離して立ち上がり、カーテンをあけた。

 差し込む陽の光に、白いブラウスと黒のスーツパンツが晒される。彼女のふくよかな胸から腰にかけてのしなやかなラインに、俺の頭は真っ白になってしまった。


 彼女は、ベッドの横に腰をおろした。


「……えっと、ここは?」

「私たちの所有しょゆうするセーフハウスのひとつです」

「……セーフハウス」

「ここはもう安全です。お気分はいかがですか?」


 そう言って、ふたたび俺の手を、彼女の両手で包みこんだ。

 まっすぐ見つめてくる彼女の透きとおったひとみに、俺は気恥ずかしくなり、顔をそらした。


「……ああ。平気だ」


 まるで恋人のように絡めてくる彼女のほそい指に、俺の右手がふたたびとらわれてしまう。彼女はおそらく無自覚むじかくなのだろうが、やさしく撫でるようなその指づかいに俺の思考がまったく追いつかない。


 惚れた相手と同じ容姿なんだ。

 見つめてくる彼女と目を合わせてしまったら、残りわずかの俺の理性りせいは、一瞬で吹き飛んでしまうだろう。


 なんとか正気しょうきをたもとうと、彼女の手を振りほどこうとしたところで、ひとつの違和感に気づいた。


「――両手?」

「…………」


 おどろいて向きなおる俺に、彼女は言葉を詰まらせた。


 口に出してしまってから後悔が湧いた。

 あの白い部屋での、彼女のことを思い出す。彼女は、自分自身が作られた存在であることを隠したがっていたのに、俺は、無神経むしんけいな問いを彼女に投げかけてしまったんだ。


 彼女は、目をせ、自身を納得させるかのようにひとつうなずくと、「……なおしてもらいました」と、言った。


 直してもらった。その言葉が、やはり彼女が人間でないことを自覚させる。俺にそう思われてしまうことを、彼女は恐れたにちがいない。けれど、俺の問いへの答えにそう告げるしかなかったのだろう。彼女の口からその言葉を言わせてしまったことを悔いたが、もう遅い。


 俺のこころの動きに彼女が気づいたかどうかはわからない。が、彼女は、絡めていた指をほんのすこしだけ握って、笑顔になって、俺に言った。


「磯野さん、助けてくださり、ありがとうございます。本当は、あの場所で……私、」


 そこまで言うと、笑顔を崩して彼女はうつむいた。


「……なきゃ、いけなかったのに」


 ぽた、ぽたと、シーツにしずくが、落ちた。


「榛名……」


 ――死ななきゃいけなかったのに。


 彼女は、そう言ったのだ。


 意識が朦朧もうろうとしながらも、あのとき、記憶していた感触がよみがえる。


 俺は、体を起こしながら左手をのばした。

 右肩に痛みが走ったが、ゆっくりであれば耐えられないほどではない。彼女のうつむいたままの頭を、俺の胸へと抱きよせた。


 あの駐車場で俺にしてくれていたであろうことを、今度は、俺が。


 二人とも生きて、あの場所から逃げることができたんだ。

 いまはそれだけで十分だ。


 それに、

 こちらこそ、

 生きていてくれて、


「――ありがとう」


 彼女は、一瞬、身体をこわばらせ、そして、肩を震わせた。


 出会ってからずっと、張り詰めたようななにかが彼女にはあった。

 それがいま、フッとほどけたような気がした。そして、せきを切ったように、


 彼女は泣いた。


 死んでも収束で生きかえるはずの俺をかばい、彼女は身代わりになろうとしていた。なぜだかわからない。けれど、彼女は死に急いでいた。そんな彼女を、俺は無理やり生かしつづけて、この場所まで連れてきてしまったんだ。


 けどそれは、俺が望んだことだ。


「……私、怖くて」

「ああ」

「死ぬのが怖くて、けど、」

「わかってる」


 彼女は、顔を上げて俺に告げようとした。

 俺は左腕で彼女の顔を胸に埋めさせる。


「いいんだ、大丈夫」


 華奢な体に溜め込んでいたものが、彼女の瞳から落ちていく。


 ――そうか、彼女は、


 俺は、腕のなかにあった彼女の頭をなでた。

 こうして、すこしでも、彼女にのしかかるものを除いてあげられればと思う。


 彼女は、無敵のヒーローのように敵と渡り合っていた。気丈きじょうに振る舞っていた。それでも、


 ――彼女は、一人の、ふつうの、女の子だった。

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