14-04 すこし面倒ではあるがね

 いつのまにか、また眠っていたらしい。

 目をあけると、真柄先生ともう一人、おなじく白衣を着た初老しょろうの男性が俺を見ていた。知的な雰囲気ふんいきをもつその男性は、冷静れいせいに、かつ興味深きょうみぶかげに俺の反応はんのうを待っているようだった。


 俺は言葉を発しようとして、違和感を覚えた。


 俺がいる場所は、あの白い部屋ではなかった。入院にゅういん用の個室こしつに近い。大きなまどがあり、海が見える。真柄先生の言ったとおり、人工島かどうかはともかく、海のそばにある場所にいるのだろう。生活感のある空間に身を置けたことに安堵すると同時に、さきほどからあった、違和感の正体が解った。


 壁にあるボタンに「呼出よびだし」と書かれている。


 文字が読める。

 ほかにも読めるものがないか見まわすと、部屋の照明しょうめいボタンの光量こうりょう表示、この部屋にそなえつけられた機器ききのメーカー名など、どれもくもらずにハッキリと見えた。いままで蓋をしたかのように閉ざされていた「文字が読める」という能力のうりょくが、正常に機能きのうしていることに感動かんどうしていると、初老しょろうの男性が話しかけてきた。


「七日ものあいだ、閉じ込めてしまってすまなかったね。しかし、我々には、こうするしかなかったんだよ」


 おだやかな口調だった。規則正きそくただしい間隔かんかくで届く男性のその話し方は、そのテンポがあまりにも正確であるがゆえに、無機質むきしつさもまた感じられた。だが、それよりも、


 ――相手の言葉が解る。そのことに驚きを隠せない。


 真柄先生とは、もともと現実世界でお会いしていた。

 だから言葉が通じても受け入れることができた。榛名だってそうだ。この世界の榛名、彼女はそう言ってはいた。だけど、俺にとっては、やはり彼女は霧島榛名なんだ。ところが、いま目の前にいる、おそらくこの世界の人間、この年配ねんぱいの男性の言葉もまた、ハッキリと俺の耳に届いていた。


 落ち着いた佇まいのその男性は、手を差し出した。


「私は朝倉あさくらだ。この研究所の所長しょちょうをしている。磯野さん、ひとつあやまらなければならないことがあってね」


 謝らなければならないこと?

 言葉が聞き取れることにすら面食めんくらっているというのに、相手の話す内容がなにを意図いとしているのかがわからず、俺は言葉に詰まってしまう。


「そうか。それもそうだな。きみは、なぜ私と話が出来るのか不思議に思っているんだろう?」


 朝倉と名乗る男性の図星ずぼしにまたもや答えられずにいると、となりにいる真柄先生が言った。


「水だよ」


 水?


「ここ一週間、あの部屋にきみを過ごさせたのには理由があるんだ。きみの体内にある水分を、この世界のものに入れ替える必要があった」


 体内にある水分を入れ替える?


「きみたちのいる世界とこの世界の水分の性質は、すこし違うらしい。まだ解明かいめいしていないが、きみたちの世界とこの世界の波長はちょうのようなもののズレが、主に言語げんごに関する認識にんしき能力に影響を与えてしまっていることが解ったんだ。きみの体のことを考えれば、本当なら二週間はかけたほうがよかったんだが」


 あの点滴液は、この世界の水分ってことなのか?

 俺には、真柄先生の言う理屈りくつはわからない。俺の体の中の水分を入れ替えるために必要な時間が七日だというのなら、それは仕方しかたのないことだったのだろう。けれど、一週間ものあいだ、なにもせずに過ぎ去ってしまった時間を巻き戻すことなんて出来ない。


 まて、いま真柄先生は、きみたちの世界と言ったな。ということは、真柄先生は、現実世界の人間じゃないのか?


 俺の思考をさえぎるように、初老の男性はつづける。


「大変言いづらいことなんだが、あのメスについては、どうしても試さなければならなかったんだ。すまない」


 メス? ああ、あの俺に自殺する選択肢を与えたあのことか。やはり、あれは――


「俺は……死んでも死なないってことなんですか?」

「いや、そうではない。厳密げんみつに言えば、きみは致命傷ちめいしょうを受ければ死ぬ。我われと同じようにね。しかし、きみと霧島春名さんは、この世界の我われ、つまり人間とはことなる性質を持っているんだよ」

「異なる性質?」

「そうだ。その性質が、運命うんめいを乗り越える力を与えている」


 言っていることが飲み込めない。

 いや、二度の死と、その後の生存世界への収束のことなら話は解る。とはいえ、この人の話し方は、そのことを明確に言うことをけているようだった。


博士はかせ、磯野君は大丈夫かと」


 真柄先生の言葉に乗って、俺は自分の考えをぶつけてみる。


「あの、俺が死んだ瞬間に、俺がまだ生きている並行世界に飛ばされることについて言っているんですよね?」


 朝倉先生は、感心したように大きくうなずいた。


「なるほど、そこまで理解出来ているのであれば話は早い。我われはあのとき、礒野さんが死ぬことを望んでしまった。あの部屋にあるマジックミラーでね。きみが死ぬ瞬間に発生するであろう、重力じゅうりょくの変化を観てみたかったんだ。人道じんどうから外れた、非情ひじょうな実験ではあることは理解している」


 実験……か。


 俺が自殺をはかったあとに起こるであろう現象げんしょうについて、感情の起伏きふくなく語る朝倉という人物に、俺は背筋がこおった。だが一方で、俺がいまだ生存している世界へと移るこの現象がどうして起こったのか、その答えを知りたい気持ちもまた湧いてしまう。


「ということは、やはり、俺は死んだ瞬間に別の世界線へと収束しているんですか?」

予想よそうではそうだ」


 朝倉先生は、静かに俺を見た。

 その青がかった目の中に、人の欲望とは無縁の、ただ目的のためだけに存在する機械のような純粋さを、垣間見てしまったような気がした。俺の動揺を察したのか、


「いや、きみは気にしなくていい。別の方法で確かめられるようになったんだ。すこし面倒めんどうではあるがね」


 別の方法?


「話を続けよう。磯野さん、なぜきみがこの世界に来たのか、それには理由がある。磯野さん、きみと霧島榛名さんの二人によって、この世界がつくられた」

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