14-03 あの子は、ちがうんだ

 またベッドの上だった。


 俺を覆っていく虚無きょむに身をさらしながら、無為むいに時が過ぎていく。


 ここに運び込まれたときに見た、現実のようなあの夢をもう一度見られないだろうか。夢でいい。夢でいいからみんなの顔が見たい。つぎ眠りから目覚めたら、何事なにごとも無かったかのように、現実のあと世界に目覚められないだろうか。


 ゆっくりと、まぶたを閉じる。


 意識の無い時間が、俺にとって唯一ゆいいつの救いになってしまった。

 夢の世界に行こう。ここでは無い別の場所へ。わずかでもいい。この世界を忘れられる場所へ。




 肩を、揺さぶられた。


 その揺れが、俺を現実の世界へと引き戻す。

 意識が覚醒かくせいしていくのと同時に、視界しかいもまた、クリアになっていく。左肩に手が置かれ、俺をのぞき込んでくる男の顔が見えた。


「目が覚めたかい? 磯野君、一ヶ月ぶりだね」


 俺は、聞き取ることのできる言葉で話しかけてくるその人物を見て、驚き、思わずその白衣に顔をうずめた。


「大丈夫。もう、大丈夫だ」


 知っている人間がいるという安堵感あんどかんが、これまで抱えてきた重圧じゅうあつかし、その反動はんどうがとめどない嗚咽となった。俺は顔を上げ、引きつった声のまま、白衣のその人に言った。


「……ありがとう……ございます。真柄まがら先生」


 目の前にいるのは、たしかに真柄先生だった。

 八月八日にオカ研世界ではじめて会ったときに比べて、やややつれているように見える。


 ベッドの前に椅子を置いて座る真柄先生は、俺の嗚咽が治まるのを待った。


 気持ちが落ち着いてきた俺は、尋ねるべき問いが山ほどあることを思い出す。無数の質問のうち、最初に思い浮かんだものを、そのまま口に出した。


「真柄先生、ここは、どこなんですか?」


 その質問は当然だな、と言って真柄先生はうなずく。


「しかしながら、とても答えづらいものだ。三つの答えがあるんだが、じゅんを追って答えよう。まずはじめに、この世界は君が渡り歩いた二つの世界から生まれた、三つ目の世界だ」

「生まれた? 三つ目の……世界?」

「あとでくわしく話すが、いまは二つ目の答えに移ろう。ここは東京都とうきょうとだ。正確せいかくには、太平洋上たいへいようじょうにある人工島じんこうとうにいる」

「……東京都、ということは……ここは、日本なんですか?」


 真柄先生はうなずいた。


 この世界も俺がした世界と同様どうよう並行世界へいこうせかいの一つだということか。そうなると、もといたプラットホームは、やはり野幌のっぽろ――札幌さっぽろにある駅になるのだろうか。


「最後に、この人工島は日本政府にほんせいふ研究施設けんきゅうしせつだ。きみと霧島榛名さんを保護ほごし、きみたち二人と、きみたちがいた二つの並行世界との関係かんけいについて調べるためのね」


 霧島榛名……!


「榛名は、霧島榛名は、ここにいるんですか!?」

残念ざんねんながら、いまだ保護できていない」


 保護できていない?


「あの、この世界に来た日に、霧島榛名に会ったんです。彼女のおかげで、俺は生きのびることが出来たんです。あの榛名は――」


 真柄先生は、俺の言葉に顔をしかめた。


「磯野君、あの子は、ちがうんだ」

「ちがう?」


 アラーム音がひびいた。


 真柄先生は白衣からスマートフォンを取り出す。


「すまない。私は行かなければならない」

「待ってください。俺は――」

「大丈夫だ。あと一日で、きみはここから出られる」


 出られる?


「だから安心していい。待たせることになるが、そのあいだ、休んでくれ」


 真柄先生は立ち上がると、俺に背を向けまっすぐと壁へ歩いていった。壁にぶつかるかと思いきや、まるでその壁が水であるかのように、真柄先生は通り抜け消えていく。


「え?」


 俺は腰を上げ、点滴用ポールが倒れるのもかまわずその壁にった。真柄先生が消えたあたりの壁にれてみる。が、通り抜けたはずのその場所は見た目どおり壁にへだたれて通ることが出来なかった。


 あの霧島榛名はちがう? 


 たしかに映研世界、オカ研世界どちらの榛名ともちがう。けど、彼女と過ごした時間。あの仕草しぐさたたずまい。彼女の生真面目きまじめな部分が前に出ているだけで、やはり、俺の知っている霧島榛名だった。


 いや、それより保護できていないって、彼女はあの場から逃げ出したのか? 保護していないのは、あの榛名のことじゃなく、キャスケット帽の、現実世界の榛名のことなのか?


 そこで気づく。


 この脇腹の痛み、かなりの時間が経ったとはいえ、骨折したあの感覚とはちがう。軽い程度の痛みにおさまっている。この壁と同じように、高度な医療技術いりょうぎじゅつのなせるわざなんだろうか。けれど、


 ――俺は、骨折こっせつしたのか?


 あばらが折れたあの感覚は覚えている。しかし、その記憶だけを信じるにはなにかが引っかかる。なぜだかは解らない。


 ドッペルゲンガーのときの収束、あれと同じことが二度の死の直後に起こった。二回の収束で、俺のポケットには予備よび弾倉だんそうあらわれ、リロードの方法を身につけていた。


 とはいえ、いまこの瞬間、頭のなかに強くあるのは、二度の死の前の記憶。だとしたら、俺はなぜあのとき、スムーズに弾倉を取り換えることができたんだ?


 死による二度の収束によって、事実が書き替えられたとしたら、


 ――霧島榛名が殺されていない可能性もあるんじゃないか?


 解らない。

 解らないが、過去の記憶が、別の並行世界と重なっているのだとしたら、別の世界の記憶が思い出せないだけで、いまいるこの世界では、榛名が生き残っていることだってあるだろう。


 彼女のことを諦めたくないだけかもしれない。

 それでも、彼女が生きているなら、俺には、先へ進む希望が生まれる。その希望によって真実に触れられたとしても、その真実は、残酷ざんこく結末けつまつになるのかもしれない。もしそうだとしても、たったいま、この瞬間を生きていく力になるのなら、俺は、彼女が生きていると信じる。そして、


 ――俺はもう、容赦ようしゃはしない。

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