12-06 寝れるときに寝て、食えるときに食って備えろ

 そこからあとは俺と同じだ。

 二つの世界を行き来して並行世界へいこうせかいの存在に気づき、大学ノートによるインフレーションののち、ドッペルゲンガーと遭遇そうぐうする。


 そして、雨の日の八月七日。


 タイムリミットとなったその日の一〇時二一分に、誰も巻き込まないよう一人で野幌森林公園へ向かった。


 なぜ彼女は向かったのか。なぜ誰も巻き込ませない、という言葉が出てきたのかはわからない。俺の大学ノートのように、ページの半分を過ぎたあとは、ほぼ真っ黒にりつぶされていたからだ。


 そして、おそらく俺は、


 彼女を追った。

 雨の中を必死ひっしに走って。


 最後さいごのページには、映研世界の霧島榛名のノートと同じように、俺を巻き込んでしまったことの謝罪しゃざいの言葉がしたためられていた。


 ――彼女が、俺を好きになってしまったことに対する謝罪も。


 ……なんで、こんな形でラブレターを受け取らなくちゃならないんだよ。


 ――……ごめんね


 霧島榛名が俺を見て、涙を流しながら言ったあのひと言が目に浮かぶ。けれど、ここに書かれている大半たいはんの――八月七日以前の出来事できごとを、俺は思い出すことができない。それが、とても――


 顔をあげると、柳井さんがうなずく。


「ちばちゃんの話によれば、このノートが今朝けさいきなりこの机の上に現れたらしい。榛名は、このノートを読むまえに消えてしまったんだと思う」


 そうか。昨日の夕方に言っていた榛名の言葉、


 ――本当になにも無かったかのように、普通の、日常に戻ると思うんだ


 あれは、このノートを読んだからじゃないのか。

 三馬さんがインスピレーションを感じたのとおなじように、榛名の感じたかんというやつは、この事態になることをむしらせで気づいてしまっていたのかもしれない。


 榛名の部屋を見まわしてみると、父親の形見かたみらしいエアガンや模型などと一緒に、女の子らしいバッグや衣服いふくがハンガーにかけられている。そして、榛名の机にはゲーミング用のパソコンと作業さぎょう用マットの上に、作りかけの軍艦模型ぐんかんもけいが二せきかざられていた。


「霧島と、……榛名だな」


 俺の目線の先のを見て柳井さんが言う。


「磯野、俺はこのあと親御さんのために、警察けいさつ連絡れんらく捜索そうさくねがいの届け出に付き添う。おまえは、千尋と怜と三人で一度家に帰れ。三馬との連絡の目処めどが取れ次第、合流ごうりゅうしてこれからの対策を立てる」


「柳井さん、けど、俺は――」

「昨日も言ったろ。覚悟しろって。つまり、最善さいぜんの状況を作るために、最善のコンディションを整えろってことだ。ここからが正念場しょうねんばだ。寝れるときに寝て、食えるときに食って備えろ。そしてそのひどい顔をなんとかしろ。必ず連絡する。いいな」




 自宅に戻った時間は正午過ぎ。

 八月二三日 一二時一八分。


 俺はそのまま布団ふとんに沈み込んだ。



 何時間が経過けいかしたのだろう。気づいたときには、すでに夕方だった。

 俺は着替えもせずに、そのまま寝ていたらしい。


 体の重さは、すこしは抜けた気がする。

 このだるさは、なにかにたたられているような、のしかかれた感じだった。それ自体は依然いぜん抜けていないのだが、体力は回復かいふくした、そんな感じだった。


 スマートフォンを見ると、何度にもわたって、着信とSNSからの通知つうちが並んでいた。待受画面からホーム画面に入ったところで、俺はこおりつく。そこに表示ひょうじされていた日付は、


 八月二四日 一七時三分。


 え?


 もう一度見るが間違いない。……俺は二四時間以上寝ていたらしい。

 俺はあわてて、二桁はある柳井さんの着信からかけ直した。


「もしもし! すみません!」

「ああ、磯野か。こっちは大丈夫だ。ちゃんと休めたか」

「……ええ。一日以上寝ていたらしいです」


 電話のむこうから笑い声が聞こえてきた。


「それだけ休めば大丈夫だな。寝起きで悪いが部室に来れるか? このあと三馬の時間が空くらしい」


「はい、もちろんです!」


 ああ、ここからだ。


 俺はタンスから着替きがえを引っ張り出した。

 居間いまを通り抜けるところで母親がいたので、なぜ起こさなかったのかと文句もんくを言うと、何度呼んでも部屋から出てこないから、心配して様子ようすを見に来たらしい。そして、俺がいびきをかいて寝ているのを見て安心して放っておいたそうだ。まあ、放っておいてもらって、ありがたかったのかもしれない。


 俺は母親にサンキューとひと言告げると、風呂場を借りてシャワーを浴びた。




 八月二四日 十九時三七分。


 部室に到着すると、柳井さんと千尋と怜、そして三馬さんが俺を出迎えた。


「ごきげんよう。一日以上寝ていたんだって? 過労かろうってやつだね。この先の人生、そういう経験もたまにあったりするからね。あまり経験したくないものだが」


「ははは……面目めんぼくないです」

「さて、良い結果を得るために、これから霧島榛名さんを救うための対策を立てることにしよう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る