12-05 その顔はダメだと思う

 二時間半後の、二三日 午前二時二〇分過ぎ。


 結局、霧島榛名は帰ってこなかった。

 それは、八月七日や十二日のような一時的なものではない、ということだ。


 俺と柳井さんと千尋は、その結論に押し黙ってしまう。

 柳井さんは、ふと俺を見て顔をしかめた。


「磯野、お前は俺と一緒に駐車場ちゅうしゃじょうに行こう」

「いえ、俺は大丈夫です」

「ダメだよ磯野。その顔はダメだと思う」


 竹内千尋が、俺の目をじっと見て言った。


「竹内、そのあいだまかせた。俺も一時間程度仮眠かみんする。三時あたりに交代こうたいしよう」

「了解です。いってらっしゃい」

「磯野、行くぞ」


 その言葉にあらがえないくらいに体が重いのがわかってしまう。


 それがとてもくやしかった。


 俺自身が巻き込まれてるぶんには、もがくだけもがいていればいい。

 だが、ただ待ち続けることが、こんなにもこたえることだとは思ってもみなかった。なにもできずにただ待ち続けることが。




 公園を出てから一〇分ほど歩くと、有料ゆうりょう駐車場へとたどり着く。

 そこに柳井さんの車が駐車してあった。


 俺と柳井さんは車に乗り込み、座席を倒した。


「磯野、榛名については明日考えよう。映研世界で起こったことも含めてな。当たり前だが、この状況じょうきょうにはおまえが必要ひつようになる。この事態を解決する手掛かりを、三馬も交えてなんとしても突き止める。そのコンディションをととのえるために、今夜は気にせずに、覚悟かくごして寝ろ」


 柳井さん、そんなこと言われても、気になって眠れやしませんよ。

 それに、


「……覚悟しといて気にするなって、なかなか難しいですよ」

「そりゃそうだな」


 二人して笑った。


 ……まったく、はげまされて、助けられてばっかりだ。




 車内には俺一人。


 昨日の疲れはとてもひどかったらしい。

 目が覚めたころには陽はすでに登り、車はいつの間にか霧島宅前まで移動していた。座席ざせきもいつのにか起こされている。


 スマートフォンを見ると、八月二三日、午前九時五七分。


 柳井さんからSNSが入っていた。

 どうやら霧島宅にお邪魔じゃましているらしい。


 俺は車を降りて、霧島宅の玄関にむかいりんを鳴らした。

 インターフォンから女性が返事をする。


「あの、柳井がそちらにいると思うんですが……、同じ大学の磯野です」


 ドアがひらいて、ちばちゃんが迎えてくれた。


「磯野さん。どうぞ、あがってください」


 ちばちゃんの俺を見るその目は、いまだれていた。


 霧島家は映研で見たのと同じ家の間取まどりだった。

 ただ、むこうの世界とちがうのは、玄関に水槽すいそうが置いてあり、クサガメが二匹、元気に泳いでいる姿すがたが見えたことだ。


 廊下ろうかを通って居間いまの前まで来ると、年配ねんぱいの美しい女性が腰を上げた。


「榛名と千葉ちはの母です」

「お邪魔じゃまします。磯野です」


「ありがとうございます。……あの子どこに行ってしまったものやら」


 この感じだと、親御さんにはどこかに行ったとだけ伝えているらしい。


「大丈夫です。娘さんとはしたしくさせてもらってるんで、彼女の行くところはだいたい目星めぼしはつきますから」


 俺はちばちゃんに案内あんないされて二階へと上がる。

 そして突き当たりに「榛名の部屋」と書かれたドアが見えた。


 ドアをあけると一〇じょうほどの広い部屋に、柳井さん、千尋、そして怜がいた。


「おはよう」

「あ、おはよう」

「起きたか」


 三人それぞれ声をかけてきた。


「すみません。ちょっと寝すぎました」


 柳井さんは部屋の勉強机からなにかを拾い上げ、俺に手渡してきた。


 それは、大学ノート。


 それも雨にれてよごれているものではなく、真っさらな表紙だった。


「このノートに目を通したが、いろいろなことがわかった」


学ノートを受け取り、俺はページをめくる。

 目についたのは、最初に書き込まれた日付ひづけ。そこには、七月一四日と書かれていた。


「七月一四日に、野幌森林公園のっぽろしんりんこうえん……」

「ああ。それが最初なんだろう。読んでいけばわかるが、その野幌森林公園の百年記念塔ひゃくねんきねんとうで、色の薄い世界に迷い込んだようだ」


 俺は読み進めていく。


 北海道ほっかいどう百年記念塔の階段を、彼女は杖をついた脚でのぼっていった。

 五階と六階のあいだの踊り場に着いたところで、彼女は違和感いわかんに気づく。


 世界の色彩しきさい希薄きはくさ。

 人のいない世界。


 ある単語を見て気づく。


 丘の上。


 あの「色の薄い世界」の駅がある場所は、野幌森林公園なのだろうか。


 彼女はその色の薄い世界でのどがかわき、自動販売機じどうはんばいきでファンタグレープを買い、飲んだ。


 その行為こうい自体じたいは、とくに問題ないように思えた。

 しかし、彼女がオカ研世界で相談した柳井さんによれば、黄泉竈食よもつへぐひ――ヨモツヘグイ――つまり、色の薄い世界を黄泉よみの国と見立みたてて、あの世の食べ物を口にしてしまった恐れがある、と言われてしまう。


 ヨモツヘグイは、たしか映研世界での榛名のノートにも書かれていた言葉。日本神話にほんしんわでは、あの世の食べ物を口にすると現世げんせには戻れないと言われている。

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