11-07 ……けど、もし榛名さんに、姉に会ったら……よろしくお願いします

 俺は、湧き上がるものを感じながら、うなずく。


 何度も何度も、思い出してはくややまれる、十二日の晩。

 手を離してしまったあの瞬間の、目の前から消えてしまう直前の榛名の瞳。


 あの悔しさがあるからこそ。そうだ、今度こそ、榛名を見つけたら、


 ――絶対に離してやるものか。


 八月七日の、一〇時二一分以前の記憶なんか覚えちゃいない。だがな、榛名の、あの目を見た瞬間に、俺の中で、あいつのことを大切な存在だと認めちまったんだ。なぜなのかなんて、そんなことはどうでもいい。霧島榛名を救い出すために、俺はここにいるんだ。


 三馬さんはホワイトボードを見つめながら、小さくため息をつく。


「二人ともこの現実世界に戻されれば、特異点Ⅰのように、霧島榛名さんがいる状態で世界が再構築さいこうちくされるだろう。そうなればその世界に歪みとなるものは存在しないはずだ。我々は正常な世界を取り戻せるだろう。いま私が考えられうる最善さいぜんの方法だ」


 自身の考えを、それが正しいか確認するように、三馬さんは口にした。


「未来の我々や学者たちが、私たちにこの世界をたくしているのであれば、この方法は正しいはずだ」


 そして、静かにひとりうなずいた。


 昨晩の「文字の浮かび上がり現象」。

 あれがあったからこそ、この仮説を推し進めようとしている。その一方で、その後押しがあるにもかかわらず、三馬さんにも迷いがあるのだろうと感じた。三馬さんの仮説が正しいかどうかは、正直俺にはわからない。けれど、霧島榛名を救い出すことが世界を救うことにつながるのなら、これ以上わかりやすい目標もくひょうはない。


 視線を感じた。


 千代田怜を見ると、俺と視線が交差こうさし、憂鬱ゆううつそうなひとみがあらぬほうへとむいた。


 ……そうだよな。三馬さんの言葉と、いまの俺を見ればどうしてもわかっちゃうよな。撮影旅行の夜からずっと、俺と、もう一人の俺が世界を行き来するなかで、怜は――


「あの、磯野ちゃんのドッペルゲンガーを探すってよくわからないですが、レアポケモンとどっちが確率かくりつ低いですか?」


 今川から投げかけられた間の抜けた質問に、なんだか調子をくるわされる。俺はポケモンかよ。モンスターボール投げつけられるのかよ。


「レアポケモンよりはるかに確率は低いだろうね。今までにオカ研世界で二回、この映研世界で一回の目撃もくげきがあるが、今回こちらから見つけ出そうとするなら、難易度なんいど格段かくだんに上がるだろう」


「うわあ、それって見つけ出すどころじゃないじゃないですか」


 世界の危機らしいのに、なんなんだろうこののどかな空気は。


「次の入れ替わりは二二日の一四時四四分〇七秒だ。さあ、これから我々の手で世界を救うとしよう」


 三馬さんは、そう言って笑った。




 八月一八日 一五時二八分。


 俺のドッペルゲンガーと霧島榛名を探すため、おのおのが部室を出て行く。


 三馬さんは、一度国立大へと戻るそうだ。柳井さんは車で移動。女子高生組は、二人とはいえ、遠くまで捜索させるには危ないので大学とその周辺しゅうへんのみを回ってもらう。竹内千尋は俺の自転車で移動となった。


「磯野のクロスバイク、一度乗ってみたかったんだよねー。前に触らせてもらったときすごく軽かったから、乗り心地ごこちが楽しみだよ」


 千尋、おまえは目的をわかっているだろうが……。

 とても楽しそうにサイクリングをする光景が目に浮かぶ。


 ……ああ、なんとも微笑ましい。

 って! ……いや、千尋はこいつはやる男だ。大丈夫だ。おそらく、たぶん。


「まあ、こわさん程度に乗り回してくれ」


 俺から自転車のかぎを受け取ると、うん! と笑顔を返して階段をけ下りていった。こいつはなんでも愉快ゆかいなことにしてしまう人生を送るんだろうな。


 今川は、部室から出て行く俺たちをキョロキョロと見まわした。


「柳井さん、よくわからんのですが、ぼくは綾乃ちゃんたちといっしょにいますね」

「今川、今日は手伝ってくれて本当に感謝している。なにをしていいかわからないだろうから、特別とくべつに俺の車に乗せてやろう。目星めぼしの場所に着いたらおまえは車を降りて、もう一人の磯野がいないかその周辺を探し回るんだ」

「あの……それってぼく、鵜飼うかいみたいじゃないですか。鳥ですかぼく」


 その横を女子高生二人が、おしゃべりをしながら通り過ぎた。


 俺は、他のメンバーがドッペルゲンガーか霧島榛名を見つけたときのために、すぐに駆けつけられるよう千代田怜の車に同乗どうじょうすることになった。


 怜と二人っきりはなんとも気まずいが、それでも怜に俺の気持ちをキチンと伝える絶好ぜっこうの機会なのだろう。そうだ。怜のことを思えばこそ、ちゃんと……。


 文化棟ぶんかとうロビーで、青葉綾乃に声をかけられた。


「磯野さん、ちょっといいですか?」


 一緒にいるちばちゃんも、なにか話したそうだ。


 すでに車に向かっていた怜に、車で待っているようSNSを送ると、怜は「了解」とひと言だけ返してきた。


「なんだい?」

「まずはちばちゃんからね」


 うなずいたちばちゃんは、頭の中で言うことをまとめているのか、うつむきながら、


「あの……、わたしは、まだ……わからないんです。その人が、わたしの……姉なのか……」


 そこで口をつぐみ、少しなあと、ゆっくり顔を上げた。


「……けど、もし榛名さんに、姉に会ったら……よろしくお願いします」


 そして、ちばちゃんは頭を下げた。


 ああ、大丈夫。大丈夫だとも。


 俺は「まかせとけ!」と、おもいっきり笑顔を見せた。

 それを見たちばちゃんは、この世界で、はじめて俺に微笑ほほえんだ。

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