10-09 柳井さんと趣味も気も合うと思います

 青葉綾乃はもう少し残るということで、俺と柳井さんの二人で霧島宅から失礼することとなった。


「磯野君」


 帰り際、玄関でちばちゃんのお父さんから呼び止められた。


「むこうの僕は、すでにこの世にはいないらしいが」


 ご存知ぞんじだったのか。

 気まずさにどう答えていいか迷っていると、


「いや、いいんだ。それより榛名という子は、僕のことを父としてとても慕ってくれているらしい。もし、彼女に会ったら……いや、僕の娘たちに伝えてくれないか――」




「なあ磯野」


 地下鉄のシートに座る二人。


「その、むこうの世界のちばちゃんのお父さんは、亡くなられているんだろ? だが、こっちでは存命で、そのお父さんがむこうの姉妹しまいへメッセージを送るわけだ。なんだろう、二人はどう感じるんだろうな。はたから見るに、なんともやるせないというか」


 そう言った柳井さんは。どことなく遠い目を向けた。


「ええ。俺も同感です」

厳密げんみつに言えば、メッセージを送る相手は彼女たちの父親ではない。しかし、やはり二人にとっては父親なんだ。彼女たちが聞きたい父親の声は、本当のところは、彼女たち二人を知っている、亡くなった父親のものだと思うんだ。それでも、ちがう世界からの……彼女たちを知らない父親のメッセージは……いや、すまない」


 そのまま柳井さんはだまり込む。


 ――別の世界からの父親のメッセージ。


 それは、はたして彼女たちにとって。


 柳井さんの問いであり、俺もまた帰り道ずっと頭の中で自問しているその言葉。いまだ答えが出ない。そのまま、二人して無言になった。


 柳井さんの言うとおり、正確にはあの二人の父親ではない。

 二人は喜ぶのだろうか。それとも父親を失った悲しみが、ただよみがえってしまうだけなのだろうか。伝えることが、二人にとって良いことなのだろうか。大切な人を失った経験がないと、答えは、わからないのかもしれない。


「それにしても、なんとも不思議なものだなあ」


 柳井さんはボソリと言う。


「ちばちゃんの名前、あのチハから取っていたのか」


 その言葉で、がんじがらめになっていた思考が、ふっと抜けていくのを感じた。


 あの姉妹は、父親からメッセージを送ってくることくらいわかっていたのかもしれない。

 榛名もちばちゃんも、本当は最初から、そう、俺が二つの世界を行き来するようになってから、父親の彼女たちへの言葉を期待していたのかもしれない。


「ええ。ちばちゃんの名前の件は、オカ研世界で知りました。あのときは俺も呆れていましたが、榛名が、亡くなったお父さんの生前せいぜんの趣味を追っていたとわかると、いろいろと納得がいきました」

「名前の付け方はともかく、いいお父さんだったな」


 俺は、柳井さんのネーミングセンスを思い出しながら「たぶん、柳井さんと趣味も気も合うと思います」と、答えた。




 部室に戻ったのは、午後五時。


 パソコンに向かい、映画の編集作業を進めていた竹内千尋が出迎でむかえた。


「おかえりなさーい」

「怜はバイトか」

「うん。さっき帰ったよー。磯野、どう? なにか手掛かりはつかめた?」

「無事、ちばちゃんの大学ノートを借りられたぞ」


 おお、と竹内千尋は喜びのリアクションで返したが、気持ちはやはり映画にむいているらしく、パソコン机へと戻っていった。


 俺と柳井さんは、それぞれベンチソファに腰掛けた。

 かばんの中からちばちゃんの大学ノートを取り出して、ページをめくる。


「こいつを読んで、少しでも手掛かりになりそうな箇所を探してみます」

「それじゃあ俺は三馬に報告しとく」


 霧島宅では、落ち着いて読むことのできなかったちばちゃんの大学ノート。


 ――やっと、調べられるんだ。


 ノートの書き出しは、俺の場合と同じく身に起こったことの箇条書きだった。が、表紙に近いこともあって、そのほとんどが滲んでしまって読めない。ただ、最初に書き込まれた月が、七月の二桁の日付ひづけであることだけはわかった。


 つまり、霧島榛名にとっての超常現象は、八月七日から二、三週間ほどまえに起こったということ。


 そこから数ページ進むと、表紙から遠ざかるにしたがって、次第に読める箇所が増えていった。


 書かれている内容は、映研世界とオカ研世界の入れ替わりについて。

 入れ替わりや、そのほかの超常現象にたいする戸惑とまどい。


 映研世界の榛名は、リハビリセンターからの帰りに、大学へ訪れ映画研究会に探りを入れようとしていたみたいだ。

 一方、オカ研世界では、二つの記憶に対する困惑と、オカ研榛名としての振る舞い、父親が亡くなっていることなど、さまざまな感情に振り回されて、かなり参っているようだった。


 そして、文字の浮かび上がり現象。


 ――私の中にあるもう一人の記憶が、余計よけいに私を混乱させる。もしもう一人の私が、お父さんを失っている私が、いまこの瞬間、この世界でお父さんに会っているとしたら――


 なんとも言葉にできない。

 オカ研側の榛名からしてみれば、映研世界での入れ替わりで、父との再会さいかいを果たすことになる。いや、もうすでに果たしているのか。

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