06-10 お前の様子は変ではあったが

 と、いうわけでモスバーガー。

 以前、ちばちゃんとの誤解をくために使った場所だ。


 現在の時間は八月十二日 一八時四二分。

 一日と半日以上が経過けいかしても、いまだに入れ替わりは起こらない。どういうことなんだろう。


 俺はリュックサックから千代田怜にもらった白紙はくしの大学ノートとペンを取り出す。そして本題ほんだいに入ろうとしたところで柳井さんが一言。


「まあ、おまえたちがトラブルを起こさないのであれば、俺は黙認もくにんしてやってもいいがな」


 へ? おまえたち?


「なんのことです?」


 俺の返事にあからさまに目を細める柳井さん。


「いやいや、ここで俺に相談とくればそういう話なんだろう? サークルにおける会長という立場だからこそ、なかなかに難しい問題ではあるが」

「たしかに難しい問題なので、まずは柳井さんにとは思っていましたが」

「その判断は正しい。お互い人間だし特別な感情が生まれるのはあたりまえだ。だがこのさき、お前も千代田もサークル内での一線というものは心に留めておいたほうがいい」


 え? 千代田? さっきからなにを言ってるんだこの人、って――

 あ。


「いえいえちがいますよ! 怜と俺はそんな関係じゃ――」


 柳井さんはポンと俺の肩に手を置く。


「磯野、俺の会長としての管理能力かんりのうりょくをなめるな。サークル内恋愛れんあいくらいいくらでも黙認もくにんしてやるさ。で、どこまで――」

「だからちがいますって!」

「いやいや磯野くん。昨日の夜くらいから千代田のお前への態度は明らかに変だったぞ。あれは女の顔だ。そう、表現をはばからなければメスの顔」

「……それについては俺も気になっているんですけどね。ってメスの顔って!」

「ひたすらツン系ドジっ子属性ぞくせいのあいつが、どこでデレにてんじるのか期待はしていたのだが、磯野、おまえがその原因になるとはなあ」


 柳井さんはそこまで言うと、感慨深かんがいぶかげにウンウンとひとりうなずいた。ダメだーこの人。


「柳井さん……全然ちがいます。俺が相談したいのは――」

「ともかくこれを見てください」


 俺は大学ノートを見開きにしてペンをつかんだ。

 G-SHOCKジーショックを見ながら日時を書き込む。


 八月十二日 一八時五四分。


 この世界でも「文字の浮かび上がり現象」が起こるか、それはわからない。しかし、もし現象が起これば、これが映研世界ではじめての大学ノートへの記録となる。


 俺は、頭のなかにいままで起こった出来事を思いえがく。

 ゆっくりと、ゆっくりと、ペンをノートに近づけていく。

 そして、触れそうになった、その瞬間、


 ――文字が、ページいっぱいに埋め尽くされた。


 目の前の超常現象に二人とも声が出ない。

 俺にとってはこれで三回目なんだ。けど、いままでとちがう。


 大学ノートは、数ページめくられた状態。さらに、


 ――八月七日から今日十二日までに起こった出来事がその数ページに書き込まれていた。


「磯野、なにを……したんだ?」


 柳井さんの当然の問いに答えようとした瞬間、酷い疲労感が体に重くのしかかていることに気づいた。


 この疲労感はなんだ?

 この一瞬で俺はこれだけの文章を「書いて」いるのか?


「……磯野、大丈夫か?」

「……ええ。柳井さん、こうなった経緯について説明します」




 二時間近くかけて、八月七日からの身に起こった出来事について話した。

 柳井さんは腕を組みうなる。


「たしかにここ数日、おまえの様子は変ではあったが……手品てじなではなさそうだな」


 そう言いながら大学ノートを手に取って眺めた。


「……いや悪い。磯野のその話は、この世界とオカルト研究会の二つの世界があるってことだよな。つまり、


 ――並行世界パラレルワールド


 エヴェレットの多世界解釈たせかいかいしゃくか。SFネタでよく使われるやつだが」

「信じて……もらえますか?」

「目の前でさっきの「文字の浮かび上がり現象」か……。あれを見せられると、現実というものの定義ていぎらぐというか――」


 柳井さんは右手をあごえる。


「まず、俺に相談してくれてよかった。竹内がいても問題ないかもしれんが、あいつは天然だ。周囲に対する配慮はいりょに欠けるところがある。思わぬところでボロが出る可能性が高い。……磯野の話を、俺の解釈かいしゃくをいれてじゅんを追って考えてみる。いいか?」

「はい」

「磯野の入れ替わりについてだが、俺も同意見どういけんだ。明晰夢めいせきむの線はうすい」

「柳井さんもそう思いますか」

「ああ。いまの話がもし本当なら、並行世界としての入れ替わり。そして、その時空のおっさん世界に似た「色の薄い世界」。それがかぎだろうな」


 俺はうなずく。


「あと霧島榛名きりしまはるな、つまり実在じつざいしないはずのちばちゃんの姉の話だが……」

「気になることがありましたか?」

「いや、あくまで予想よそうだが、


 ――この世界の霧島榛名はもともと存在していた。


 しかし、なにかをきっかけにして消えた」

「え?」


 霧島榛名はこの世界に存在していた?


「俺もいま聞いた話からの類推るいすいだから、確証かくしょうもなにもあったもんじゃない。だがな、なぜちばちゃんが映研に来たのか。最初にうちに来たとき、ほかにもサークルをめぐっているって言っていただろ?」


 ――文学会にSF研、美術研究会、模型研に、サバ館……サバイバルゲーム館。あとオカルト部。


 そうか!

 そのサークルって全部、


「オカ研の霧島榛名が掛け持ちしているサークル!」

「そうだ。こっちの世界のちばちゃんはなぜか存在しないはずの姉、霧島榛名の所属しょぞくしていたサークルのことを知っていた。だから、姉を探すために訪ねてきたということなんじゃないか? つまり、


 ――実在しないはずの姉を探している


 とすれば、ちばちゃんの行動の辻褄つじつまが合うと思うんだがな」


 ゾッとした。

 四日前――八日のモスバーガーからの帰り、南門前での記憶がよみがえる。そうか、ちばちゃんが別れぎわに言ったあの言葉は、


 ――どこに……お姉ちゃんはいるんですか?


 存在していたはずの霧島榛名きりしまはるなが消えた。

 それはまだ推測すいそくに過ぎない。けれど、やけにしっくりくるこの感覚はなんだろう。頭の中のきりが晴れていくような。


「つまりだ、こっちのちばちゃんは映研に来ようとしたんじゃなく、オカルト研究会にたずねようとしたんじゃないのか? そのことが書かれているのが、その――」

「……大学ノート」


 柳井さんはうなずいた。


 もしちばちゃんが霧島榛名を探しているのなら、その動機どうきは、大学ノートに書かれている内容。……ってことは、


「あの大学ノートを書いたのは、ちばちゃんではなく霧島榛名?」

「その可能性が高いだろうな」


 けど、じゃあ、あのノートのよごれはなんだ?

 まるで雨にでもさらされたようなあの汚れ。もし霧島榛名があの大学ノートを使っていたとして、どうやったらあんな汚れができる?


「そろそろ九時半過ぎだ。一度、戻るか」




 部室では、竹内千尋たけうちちひろがパソコンに集中していた。

 編集ソフトのタイムラインを移動する、セリフの早回しのようなキーの高い音が響いている。


「そろそろ仮編は済んだか?」

「……あ、おかえりなさーい」


 俺と柳井さんは、パソコンから離れようとしない千尋を説得するという、ささやかな、それでいてやけに面倒めんどうな仕事をこなした。


 こうして、撮影旅行は無事終了となった。

 部室からの退去たいきょ時、千尋にも俺と怜に関する誤解ごかいいておいた。のだが、


「けど、磯野と怜ってお似合にあいだと思うんだけどなー」

「千尋、お前まで……」

「俺も同感どうかんだな。磯野と千代田のにくまれ口の応酬おうしゅうは、はたから見れば微笑ほほえましくみえるもんだぞ」


 千尋も柳井さんもそう言うが、実際のところどうなんだろう。

 たしかに俺だって、あのときの怜に対して心動こころうごくことはあったにはあった。けれど、やはりなにかちがうような気がする。

 怜とのこれまでの距離感をこわすことに、俺自身、躊躇ためらってしまっている。それは結局、彼女に対して盲目的もうもくてきにはなれていないのだろう。

 とはいえ、そう自覚してしまうのもなんだか寂しい気がした。


 ……いや、このままの関係で大丈夫だ。

 そうだよ、これで大丈夫なんだ。

 そのほうが……安心してしまうから。


 ――ごめんな、怜。


 そういえば、俺のことなんかよりも――


「千尋もちばちゃんとはどうなんだよ。撮影中もいい感じだったじゃないか」

「えー。べつになんでもないよ。ちばちゃんのあの熱心ねっしんさはびっくりしたし、正直とても嬉しかったけどね」

「へー。創作で気が合うって、すでにお似合いじゃないか」

「うーん。共同作業の良きパートナーって感じ。心強い存在って言葉がしっくりくるかな」

「パートナーか。はじめての共同作業ってヤツだな」


 俺はニヤニヤしながら言ってやったが、千尋はいつも通りのさわやかな笑顔でさらりとかわしやがった。


 ホントにコイツは……と思いながらも、柳井さんとのコンビとはべつに、表現者ひょうげんしゃとしてのちばちゃんという存在を得たことに、千尋は心底しんそこ喜んでいるようだった。


「まあ、竹内はそういうやつだからな」


 俺たちのやり取りを見た柳井さんが笑った。


 文化棟ロビーまでおりると、外はいつのにか雨だった。


「うわあ、結構けっこうな雨だな。おい、おまえら本当に送っていかなくてもいいのか?」

「大丈夫ですよ柳井さん。どうせ俺たち地下鉄ちかてつですし」

「ですです。僕もおんなじなんで気にしないでください。長距離運転ちょうきょりうんてんでお疲れでしょうし」


 そこで俺は立ち止まった。

 あれ? 玄関げんかん前に誰かいる。あれは――


 そこには、雨の中、傘もさずに文化棟を見上げる一人の人影ひとかげがあった。白いブラウスにカーディガンを羽織はおり、右手に杖をつく女性。


 ――あれは、キャスケットの子。


 俺は駆けだした。


「磯野!」


 竹内千尋が背後で声を上げた。


 ――目の前に彼女がいる。


 帽子に隠れて見えなかった以前とはちがう。

 玄関――俺の真正面ましょうめんに、見上げる彼女の顔があった。その顔には見覚みおぼえがある――どころではなかった。彼女は、


「……霧島榛名」




 06.撮影旅行 END


 前篇『二つの世界の螺旋カノン』 上篇 END

 前篇『二つの世界の螺旋カノン』 下篇へとつづく

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