06-09 嬉しいなあ! 忘れないでくださいよ

 いきなりどうした?


「あのとき、そう一年前。千尋もだけど、部室の前で誘ってくれてさ。たぶん、誘ってくれなかったら映研に入っていなかったと思う。だからさ――」


 ……そういえば、そんなこともあったな。


 文化棟玄関前の勧誘かんゆうの翌日、竹内千尋について行きながら映研の部室にたどりついたとき、映研のドアからなかの様子をうかがっているこいつのうしろ姿が目に浮かんだ。


 ――そうか、そうだったな。俺たちが声をかけたから、怜は。


 千代田怜は軽くうつむいて、もう一度、


「誘ってくれてありがとう」


 そう言って怜はやさしく微笑んだ。


 こちらこそ、と口に出そうになったが、なんとなくちがう気がして俺は軽くうなずいた。少し気恥ずかしくなったのだろうか、怜は笑顔のまま目の前の景色に戻した。それでも俺はなんだか勿体無もったいなくて、ほんの少しのあいだ怜の横顔を見ていた。


「おーい」


 声のするほうを見ると、三脚を担いだ柳井さんが手を振っている。


「そろそろ帰るぞー」

「あ、はいはい」

「さて、戻りましょうかね」


 ……ちょっとまて。


 ――入れ替わりがないままもう一日半近く経過けいかしてないか?


 これはひょっとして……オカ研世界に戻らなくなったのか? もしそうなら喜ぶべきことかもしれないが……いや、二つの世界の記憶を抱えたままなにも解決していないのはやはりまずいんじゃないか?


 ……いまだ入れ替わりが起こらない。

 言い換えれば、いつ入れ替わってもおかしくないということだ。それなら、いますぐにでも「もう一人の俺」へ書置きおきなくては。


「俺ちょっと用事ようじがあるから、さきに戻ってもらってもいいか」

「用事?」

「……えっと、コンビニに――」

「お金でもおろすの?」


 ……うーん。そうだと言ったところで、貸すよとかなんとか言われたら、否定も出来ないだろうし、ここは正直に言うべきか。


「ノートを、買ってこようと思っててね。」

「ノートってなにに使うの? あとは帰るだけなのに」


 ……まあ、そりゃそうなるよな。

 なんて言えばいい? いや、適当てきとうにはぐらかせばいいんだけど、いまの怜だとなんだかやりづらい。


「まあいいや。大学ノートで良かったら使ってないのあるから、それあげるよ」

「え? 大学ノート? なんで持ってるんだ?」

「そりゃあ、撮影記録や、今回の旅行での支払いやメモやらその他もろもろで、記録するためのものが必要だからに決まってるじゃない」

「そうか、そりゃそうだよな」

「けど、わたしが持ってるのはルーズリーフじゃないし、もし使いづらいなら買ったほうがいいとは思うけど」


 オカ研世界でも聞いたような台詞。


「大学ノートで大丈夫だ」

「よかった」


 映研世界でも千代田怜から手渡される大学ノート。

 これは本当に偶然なのだろうか。




 というわけで、帰りもまた柳井車、千代田車にわかれた。ただ今度は道央自動車道から苫小牧とまこまい経由での帰路きろとなった。


 俺は、千代田怜からもらった大学ノートに、いままでの出来事を書き込もうとした。が、走行中の車内しゃないでまともに字など書けるはずもないことを失念しつねんしていた。そして、あろうことか車に酔った。


「磯野……今回散々さんざんだな」


 柳井さんのあわれれむような一言。

 ホント、車酔いなんてしている場合じゃないんだけどな……。


「あの柳井さん。こっち経由けいゆなら大学で解散かいさんですよね。そのあと少し時間もらえませんか?」

「ん? べつにかまわないがどうした?」

「たぶん大学着くまでには調子戻ってると思うんで、着いてから話します」

「わかった。ところで竹内、お前は大学戻ったらどうする? 帰るか?」

「僕は部室に機材運び込んだら、そのまま編集するんで大丈夫ですよー」

「そう言うと思ったが、今日のところは帰って休むのもありだぞ」

「いえ、ロケが頭に残っているうちにラフ編だけやっちゃいます」


 柳井さんは苦笑いをした。


「あのー柳井さん、ぼくには訊いてくれないんですかー?」

「今川、おまえはもうやることないだろ」

「だってー寂しかったんですもん」


 俺たちは思わず吹きだした。


「作品完成したら打ち上げに呼んでやるから楽しみにしとけ。今回はありがとな」

「嬉しいなあ! 忘れないでくださいよ」


 二時間半ののち、札幌駅に寄ってちばちゃんと青葉綾乃、そして今川を降ろした。


「今川、よけいなことするんじゃないぞ」


 柳井さんの念押ねんおしに、今川は不満そうな顔芸かおげいで返して去っていった。




 大学南門に到着後、撮影機材を部室に戻して解散となった。

 千代田怜はバイト先からレンタルしていた車両を返すということで、南門で見送った。


 南門の前で怜を見送る野郎三人。


「柳井さん、怜ってバイト先と自宅近いんでしたっけ?」

「ああ。歩いて五分とか言ってたな」

「千代田のやつ、なんで今回は自分の車じゃなくてわざわざレンタカーにしたんだろうな」

「あ、タイヤ交換する時間がなかったからみたいですよ」

「ああ……千代田のインプレッサはドリフト用タイヤかせたままだったのか……」


 そうそう、怜はいまやっているバイトからこうじてドリフト趣味にハマったのだが、それはおいおい話すとして――


「そういえば磯野、話がしたいと言ってたな。部室で話すか?」

「えっと……」

「二人で話しておいでよ。僕は編集に集中しちゃうからどっちでもいいけどさ」


 竹内千尋の言葉に、なぜか「ははーん」と納得する柳井さん。


「そうか、そういうことなら俺にまかせろ」


 柳井さんは俺の肩を叩いた。

 ……って、柳井さんも千尋もなんか勘違いしてないか?

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