06-06 高木って誰だよ!

「……怜?」


 らそうとしていた顔を正面に戻すと、怜ははかなげな目で俺を見つめてくる。


 ……なんだよこれ……ものすごく綺麗きれいだ。


 しかも押し倒してしまった衝撃しょうげきで、千代田怜の浴衣がさらに乱れたことで、首筋くびすじから胸元にかけて白い肌があらわになってしまった。そして、いままで気づかなかったけど、思っていたよりもわずかだが、小学校高学年のような、そう、つぼみのようなふくらみが――


 と、そのとき気づいた。


 ――そうだ、俺は、


 鎖骨さこつ萌えなのだと。


 どーでもいいわ! 性癖せいへきの再確認なんてホントどうでもいい! そんなことよりいま「まって」って言ったよな? これってもしか……しなくとも、


 ――求められている?


 キャー。


 やかましい!

 ……じゃなくてだ、どうしたんだ千代田怜。いや、だが、俺もまた少なからずいま目の前にいるこの女の子に心惹こころひかれている気がする。


 まてまて慌てるな。目の前の欲情よくじょうさそうシチュエーションにまれてしまって、好きとか嫌いとか、そういう恋愛感情をすっ飛ばしてしまっている気がするぞ。……わからない。この欲情はひとまず置いておくとして、


 ――俺は千代田怜のことが好きなのか?


 って、欲情など置いておけるかーい!

 だが、ならこの状況をどう乗り切ればいい?


 いや、乗り切るんじゃない。これはもういっそのこと欲情に身をまかせるべきではないのか? 迷う時間は無いぞ磯野。この瞬間の千代田怜は恐ろしく魅力的だ。この儚げな目で見られていながら、機を逸してしまうラブコメ主人公のような腰抜けな真似などできるものか!


 そうだよ、ラノベでもアニメでもいい、こんなシチュエーションを見る度、俺はいつも主人公にこうdisってたじゃねーか、


 ――この根性こんじょう無しが!


 ……いやいやまて、おまちください磯野さん。このまま事を進めてしまったら千代田怜と付き合うことになるんだぞ。それで……てことは……付き合うということは、こいつの属性ぞくせい反転はんてんして俺の前ではデレまくるということになるのか? いわゆる千代田怜オルタなのか? うわあ……なにそれ、すごくいいかも……。まてーい! なんだ俺の頭の中は! 目の前の欲情から目を逸らすために、素数そすうを数えるみたいな頭の使い方しやがって! まるで無力じゃないか! まるで無力な俺は! まるで……まるで……高木たかぎ――


「高木って誰だよ!」

「……磯野?」


 よし、覚悟かくごを決めろ。男になるんだ磯野。そうだ、怜も受け入れてくれているんだ。


 それにもし「いたした」ところで「勘違かんちがいしないでよね! 一回くらいで彼氏面かれしづらなんかするんじゃないわよ!」みたいなことだってあるかもしれないじゃないか。てか「わよ」ってなんだよ「わよ」って。いまどきこんな女言葉おんなことばを使うやつなんか……ネカマ講座こうざでしか……って、そんなこと考えてる場合か!


 いくぞ、磯野。

 そう、ゆっくり、ゆっくり顔を近づけて……。


 怜はゆっくりと目を閉じる。

 花火にうっすらと照らされる中で。

 そして、お互いの吐息が混ざり合うその距離まで――


 ブルルルル……ブルルルル。


「あっ」


 二人してハモった。


 一瞬いっしゅんにして現実に引き戻される。

 怜は慌てて茶羽織ちゃばおりからスマートフォンを取り出す。


「はい」

「千代田さん、まだ来ないんですか? もう少ししたらみんな戻りますよ」


 スマホから漏れる声は青葉綾乃。


 なんというはかったかのような間の悪さ。

 ……いや、考えようによっては、タイミングが良かったと言えなくもないか? ……にしては、すごく惜しい気がするのは気のせいじゃないんだろうな。


「あ、……うん。すぐ行くね。磯野も起きたから一緒にむかうね」

「わかりました。もう、何度送っても反応しないんだから。……もしかして、磯野さんとちょっとした感じでした?」


 こんのクソガキがああ!


 青葉綾乃の下世話げせわな台詞に固まる怜。いや、俺もだが。


「そ、そんなことないよ。なんであいつなんかと……」

「ふふっ。冗談ですよー。じゃあまってますねー」


 通話が切れた。

 とても気まずい。


「磯野」

「はい?」


 われながらものすごい間抜まぬけな声を出したと思う。

 そんな俺の様子を気にしてかわからないが、千代田怜は少しさびしそうに笑いかけながら、


「……行こっか」


 そう言って、浴衣を直しながら立ち上がった。


 うわあ、なんだろうこのやるせない気持ち。こんな気分になるのも――


 ……やっぱダメだ。

 悪い、怜。やはり、俺は……ラブコメ主人公だった。




 気まずさと、とてつもない後悔を心に抱きながら湖岸へと向かう。


「磯野、今朝の寝坊のことまだ許してないんだからね」


 ちょっとうつむき気味の怜がぼそりと言う。


「なんだよ、まだ気にしてんのかよ」


 けれど――


「……悪かったよ」


 怜は微笑んで、


「……遅すぎ」


 その会話がきっかけになって、俺と怜は次第にふだん通りの憎まれ口を言い合う間合まあいいを取り戻していった。

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