06-04 ちょっと……それってどうなの

 俺たちはそれぞれ男湯と女湯に別れた。


 脱衣所だついじょに野郎三人。修学旅行しゅうがくりょこう気分とはいえ、ふだん銭湯せんとうなどあまり行ったことはないので少々気恥きはずかしさがある。

 が、そんなことお構いなしに竹内千尋は衣服をポイポイかごに放り込んで、われさきにと大浴場だいよくじょうへ入って行った。


 そういえば、俺たち以外に籠が埋まってないような。

 客はそれなりにいるはずなんだが。ちょうど隙間すきまの時間なのかもしれない。


 大浴場へと向かう。

 アルミサッシのをあけけると、普通の銭湯と同じ程度の大浴場、その奥にさらに露天ろてん風呂への引き戸があった。大浴場では、体を軽く流した竹内千尋が、人がいないことをいいことにスイスイと元気に泳ぎはじめた。


 お前は、はじめての銭湯ではしゃぐガキか。


「おい竹内、人がいないからって泳いでいいもんでもないだろ」


 洗い場で体を流している柳井さんが苦笑いでたしなめた。

 千尋は「人がきたらやめますー」と言ってスイミングを楽しんだ。

 柳井さんは体を流し終わると、そのまま奥の露天風呂へと消えた。


 まあ人様がいなければ大丈夫だろ。他の客が入ってくればさすがに止めるだろうし。……止めるよな? そんなことに気を遣う気力もないんだ。俺は軽く浸かってさっさと上がりたい。


 洗い場で体を流す。

 このまま大浴場に入っておわりにしよう。……うーん、せっかく露天風呂があるんだ、少しだけかっていくか。




 露天風呂へのアルミサッシの引き戸を開けて、石畳いしだたみの道を行く。

 最初は竹垣たけがきにさえぎられて景色がなかなか見えなかったが、かどを曲がると遠目とおめに湖が目に入った。なるほど。気づかなかったがこの旅館、すこし高所こうしょにあるのかもしれない。


 そして、目当ての露天風呂。


 湯けむりの中に柳井さんと今川の二人。そして奥におじいさんが一人。

 なんだよ、ほぼ映研の貸し切り状態じゃないか。なかなかに贅沢ぜいたくな空間である。


「お、磯野ちゃんも来たのね」

「すぐに上がるがな」

「ここは裸の付き合いでしょ」

遠慮えんりょしとく」

「えーつれないなあ磯野ちゃーん」

「やかましい」


 温まったら上がって飯食ってさっさっと寝てやる。


 二人から若干距離をおいて湯船ゆぶねに浸かる。

 ちょっと熱いな。


 だがそのうち慣れる程度の熱さだった。

 少しぬめりけのあるこのお湯はなにか効能こうのうでもあるんだろうか。おそらく入口に解説があるんだろうが、そこまで戻る気力はなかった。


「磯野、顔色悪かったがすこしは良くはなったか?」


 湯けむりの奥から柳井さんの一言。


「はい。けど、まだだるいので、上がって晩飯食べたらそうそうに寝ますね」

「まあ、それがいいだろうな」

「それにしても、今回はきゅうすぎて正直疲れました」

「千代田と青葉が元気すぎたからな。とはいえ、編集時間のことを考えたら再撮は早いに越したことはないわけだし、今回の件は素直すなおにありがたかったがな」


 そうだ。いまのうちに例の柳井さんを味方つける件を消化すべきじゃ……。

 いや、今川がいるから無理か。そもそもロケハン後のくつろいでいるときに、込み入った長話ながばなしをするなんてちょっと無粋ぶすい過ぎないか? しかも露天風呂だぞ。だが……とりあえず、今夜か明日にでも時間を作ってもらうお願いだけしておこうか。


 と、俺が口をひらきかけたところで、竹垣のむこう側からキーの高い声がわずかに聞こえてきた。


「ちばちゃん早く。恥ずかしがらないで、ほら」

 ……マジかよ。

 これは……明らかに青葉綾乃の声だ。


 露天風呂って、のぞき対策たいさくで男女それぞれそれなりに距離をあけているもんだろ普通。いや、声の聞こえ方からしてそれなりに距離は離れているはずなんだ。……やつらの声量せいりょうがそれを上回っているとでもいうのか?


 しかしこの旅館は青葉綾乃の親戚が経営する老舗旅館。

 ほどほどの客のりと、失礼ながらも改築かいちくしてなさそうな感じからみて、そこらへんの配慮はいりょまで行き届いていない時代を保全ほぜんしている、貴重きちょうな空間なのかもしれない。……やつらがうるさいというだけなんだが。


 この女湯の様子が駄々漏だだもれな状況をどうしたものか。

 柳井さんと今川を見ると、さっきまでくつろいでいた二人の顔が、いまや絵に描いたように引き締まっていた。そしておじいさんも……。極度きょくどの意識の集中しゅうちゅうがうかがえる。柳井さんは俺と目が合うと静かにうなずいて、ゆっくりと目を閉じた。


 今川はともかく、ふだんは仏のようなこの人もやはり人の子なのだな。


 俺も柳井さんに習い、まぶたを閉じて聴覚ちょうかくに意識を集中する。

 聴こえる。聴こえるぞ。ちばちゃんの胸を見て動揺する千代田怜の声が。


「ちょっと……それってどうなの……」

「ちばちゃんは地味じみに大きいですからねー」

「……あ……やめて」


 ちばちゃんのか細い声が耳に届く。

 いかん、これは色々と駄目だめな気がしてきましたぞ。


 ……そうだ、俺は知っている。


 ――ちばちゃんは隠れ巨乳きょにゅうであることを。

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