05-04 昨日の記憶はまったくないの?

「その翌日の……八日か。磯野が言うところの部室が映研になっている世界と、この世界の磯野の入れ替わりがはじまったのは。その日の俺たちは、いま目の前にいる磯野を真柄まがら先生のところに連れて行ったってわけだな。で、その翌日の九日――昨日は磯野は元の世界に……」


 柳井さんは言葉を止め、俺を見ながら次第にいぶかしげな顔になっていく。


「……昨日の磯野は、もともとのこっちの……つまりオカ研側の磯野だったってことか?」

「そうだと思います。昨日は映研世界にいたので。だから、オカ研側のお……磯野がこっちの世界にいたんじゃないかと。いや、本当に入れ替わっているのかどうかとか科学的なことはわからないですよ。一昨日話してた明晰夢めいせきむ継続夢けいぞくむなどとはべつに、二重人格にじゅうじんかくの可能性だってあるかもしれません。ですが、昨日の夜、俺が起きているあいだにも世界の切り替わりがあったので、そういうことにしたほうが考えやすいかと」

「てことはだ、いま目の前にいる磯野は、この世界の昨日の出来事については覚えて……いや、そもそも記憶がないのか」

「はい」


 柳井さんはうなった。


「本当に入れ替わりなのかどうかは俺たちにもわからんが、磯野がそう感じるんならそう仮定かていして考えたほうがいいだろうな。なにせ、俺たちにしてみればソースというか、この超常現象について考える根拠こんきょが、さっき全員が目撃した文字の浮かび上がり現象と、磯野の体験談しかないわけだ。なら実体験のある磯野の直感ちょっかんをあてにするしかない」


 柳井さんはオカ研メンバーに顔をむける。


「ところで昨日の磯野の様子ってどうだった? なにか変ではあったが」

「え、なんでわたしを見るんですか」

「千代田、おまえ昨日も磯野とよく話してただろ」

「磯野はいつも変ですよ」

「……あのなあ千代田」

「たしかに、やけに一昨日のことを訊いてくるなあとは思いましたけどね」


 オカ研側の俺も探りを入れていたのか。一日分の記憶がないわけだから、当然と言えば当然か。


「けどそれ以外は普通でしたよ」


 怜はそう言って俺の顔を見る。


「割と普通」

「ふだんはおかしいみたいな言い方はやめろ」

「磯野、念のために訊くけど、昨日の記憶はまったくないの?」

「ああ。さっきも言ったけど昨日は映研の世界にいたからな」

「ちょっとまって」


 竹内千尋がなにか思いついたような顔で俺を見る。


「けどさ磯野、初めてこのオカ研に来たときは、この世界でのいままでの記憶――人生の記憶がよみがえったんでしょ? だったら、そのあとの入れ替わりで、不在ふざいのほうの世界の記憶がよみがえったりはしないの?」


 たしかに千尋の言う通りだ。

 はじめてオカ研に来た一昨日――八月八日のあのとき、走馬灯そうまとうのようにいままでの人生の記憶が流れ込むようによみがえったんだ。まるで欠落けつらくしていた穴を埋めるかのように。

 それならその後の不在時の世界の記憶だって、その都度つど補完ほかんされてもおかしくないのだが。


「俺にもよくわからないが、最初の入れ替わりのあとは記憶が浮かび上がることはなかったな」

「不思議だね。柳井さんどう思います?」

不確定ふかくてい要素ようそが多すぎて正直お手上げではあるんだが、とりあえずいまある情報で理屈りくつを組み立ててみよう」


 柳井さんはホワイトボードの前に立って、左右に映研世界・オカ研世界と描き込んだ。真ん中に線を引き、それぞれに棒人間ぼうにんげんを描き込んだ。


「磯野の言う入れ替わりを、たましいと肉体をじくにして考えてみる。一昨日、つまり二日前の八日。映研出身の磯野は、オカ研部室前でオカ研世界の記憶である二つ目の記憶がよみがえったわけだな」


  柳井さんは二人の棒人間に両矢印りょうやじるしを引き、入れ替わり状態をあらわした。


「オカ研世界の記憶は、オカ研の磯野の脳みそ――肉体から引き上げられた記憶なんだろう。それはつまり映研世界の磯野の魂がオカ研磯野の肉体に入ったと言えるんじゃないだろうか。最初の入れ替わりは、映研・オカ研それぞれの肉体が、その世界に置かれたまま魂だけが入れ替わったというわけだ」


  入れ替わりの両矢印の先をそれぞれの棒人間の頭へばした。


「そこで竹内の疑問、その後の入れ替わりでも魂だけが入れ替わったのならば、映研・オカ研それぞれの世界の磯野の肉体――脳みそが、互いの世界の不在時の記憶を埋めてくれてもいいはずなんだ。オカ研と映研のそれぞれの磯野の魂が入れ替わり、入れ替わった先の脳みそが記憶を補完する」


 柳井さんは、一度ホワイトボードからペンを離して、人差し指で眼鏡のブリッジを上げた。


「だが実際はそうじゃない。二回目以降の入れ替わりは互いの不在時の記憶を補完することはなかったらしい。だとしたなら、最初の入れ替えと二回目以降の入れ替えの性質せいしつは異なるものだろう。じゃあ二回目以降の入れ替わりについて、無理やりだが理屈の合うように考えてみると、こうだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る