04-06 磯野さんが書くときにバッて感じで

 おどろきのあまり二つ目のミートボールを箸で掴んだまま、顔を近づけてくるちばちゃん。


 ふだんならこの可愛らしい小動物のパーソナル・スペースへの侵入しんにゅうに変な声をらして動揺していたのだろう。が、目のまえで起きた明らかに超常現象としか表現できない非現実的ひげんじつてきな事態に、俺は完全にフリーズしてしまった。


「磯野さん……いまなにをしたんですか?」


 永久凍土えいきゅうとうどのように凍りついた俺の脳みそは、ちばちゃんの言葉によってやっと再起動さいきどうしはじめる。


「……ちばちゃんも見た?」

「……はい」


 目のまえにある学祭がくさいの出店申請書の裏面うらめんには、俺が書こうと思っていた箇条書かじょうがき――


 映画研究会の夢を見たこと。

 それをオカ研の連中に相談したこと。

 明晰夢や継続夢、あとヴォイニッチなんとかの説明を受けたこと。

 柳井さんの紹介で国立大の先生に精神疾患せいしんしっかんがないか問診もんしんを受けたこと。


 ――に関する内容が、すでに文章となって並べられていた。


 書き込む時間だけを考えても、最低五分はかかる文字数。文面ぶんめんを考える時間を入れれば、その倍にはなるだろう。


 俺たちのただならぬ様子に、さすがに柳井さんと千代田怜も顔を向けてきた。霧島榛名はゲームから手が離せないらしく、パソコン画面に釘付くぎづけになっていた。


 これだけの注目が集まってしまうと、たったいま起きた出来事についてなにかしら説明すべき……なのだが、この現象をどう言葉にしたらいいのか俺にはわからない。


 柳井さんと千代田怜の無言の問いから目をそらすと、驚きの表情を浮かべるちばちゃんと視線がぶつかった。


 しかたない。うまくいくかはわからないが、できるかぎり状況を整理したうえで、いま起きた出来事の言語化げんごかをこころみてみよう。


「……えっと……一昨日の出来事を箇条書きにしようとして、この紙の裏にペンを走らせようとした瞬間……すでに書くべき文章が紙に書き込まれていた」



 柳井さんと千代田怜は、一様いちように顔をしかめた。


 そりゃそうなるわな。俺だっていま起こったこのデタラメな状況を理解できていないんだから。


「どういうこと? 磯野、それ日本語になってない」

「けど磯野さんのいうとおりなんですよ。磯野さんが書くときにバッて感じで」


 ミートボールを挟んだ箸を持ちながら、ちばちゃんが懸命けんめいにフォローを入れてくれた。


 一昨日とはちがい、この超常現象をたりにしてくれている人間が、俺のほかにもいる。さらに、目撃の証人しょうにんとして発言してくれるのは、正直とてもありがたかった。けど、バッて……。


 俺はちばちゃんに、人差し指と中指で口へ運ぶジェスチャーをして見せた。それを見たちばちゃんはハッと赤くなったあと、箸で掴んでいたミートボールを口のなかに入れた。これでよし。


 よほどミートボールがおいしいのだろう、思わずひとり微笑ほほえむちばちゃん。とてもかわいい。そんなにおいしいなら、そのミートボール一つ所望しょもうしたい。


「え? 磯野、手品てじなでもしたの?」


 千代田怜が、きわめて常識的じょうしきてきな質問を投げかけてきた。


「そうだったんですか?」


 ミートボールを食べ終わったちばちゃんも、理屈りくつの通るこの質問に乗って俺を見た。


 なかば疑いを向ける怜の目と、驚き丸くするちばちゃんの目。

 目つきこそちがうが二人とも「手品なんて、そんな器用なことできるの? あの磯野が?」とでも言うように俺を見てくる。


 ばかやろう、見くびるなよ。たかが手品なんぞ俺にかかれば――


「できるわけないだろう。だいたいにおいて手品なら、注目ちゅうもくも集めていないのにやっても意味がないだろ」

「そんなこと言って、ちばちゃんにだけ興味引かせてあとでいかがわしいことを」

「だからなんでそういう方向になるんだよ。いっそのこと薄い本でも書いてろよ」

「う、薄い本って……」


 勝手に自爆じばくする千代田怜。


 それにしても、この程度でダメージを食らう乙女成分せいぶんの半分でも榛名に分けて欲しい。……いや、本当に乙女なのか? エロい方向に結び付けるのに? そもそも怜は、俺とちばちゃんをネタにどんな妄想を膨らませているんだ?


 ……えっと、ちばちゃんの純真じゅんしんな心につけこみ、野獣やじゅうのようにきばく俺。……だがしかし、すぐに脱がせないで、下着姿になったちばちゃんの恥じらうさまをゆっくりと眺める俺。……うん、良いかも。あられもない格好のちばちゃんは、ひとみうるませながらそことかあそことかを手や脚で隠そうとするけれど、隠し切れない感じのやつを眺める俺。そして愉悦ゆえつひたる俺。 ……ちなみに白か? いやいやピンクも捨てがたいぞ磯野。……うーん、非常に悩ましい……。


 そもそも、あられもないのあられってなんだ?


 ……って!

 ……まてまてまてまてちょっとまて! まってください奥さん! たしかに、いきなり裸より着衣のほうが盛り上がりますが、それよりもなによりも、最後に「俺」って入れるとものすごくダメージ食らうんですが……。やっぱり、エロ同人は、第三者目線で読みたいものだよな。しかも、それを千代田怜がフフッとか言いながら妄想してるとか、勘弁してくださいよホントに。


 俺もまた余計よけい妄想もうそうで頭を抱えていると、さきほどの自爆から立ち直りつつある千代田怜がふたたび口をひらいた。


「……だったらなにをしたの」

「俺が訊きたいよ」


 にしてもこの箇条書き、俺が書いていないのにどう見ても俺の筆跡ひっせきのような気がする。書かれている筆跡はあまりにも見慣れ過ぎていて、単に似ているというレベルをえていたからだ。それなら、この箇条書きは俺が書いたということになるのか?


 ペンを近づけただけで、一瞬にして文字が浮かび上がるという現象。


 この「文字の浮かび上がり現象」は、俺一人がこの現象を目の当たりにしたなら、びょういや、ふんレベルの記憶障害きおくしょうがいとして俺自身を疑っていたかもしれない。


 しかし今回は、となりでいまだに目を丸くしているちばちゃんもまたこの不可思議ふかしぎな現象を目撃もくげきしたのだから、記憶障害の線はないと見ていいだろう。言い換えれば、いま俺が目にしたのは超常現象である、ということが、第三者だいさんしゃ立ち会いのもと確認されたわけだ。これはとても大きい。

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