04-03 全くもって些細な問題だな

 昨日のモスバーガー代がチャラどころか、二千円もお釣りがくるぞ。いや、あれは映研世界だからこっちじゃ関係な……それにしたって三千円か。……三千円だぞ! ……いやいや、なに考えてるんだ磯野。たかが三千円のために人間としての尊厳そんげんをドブに捨てるのか?


 しかし、時給じきゅう八五〇円にしたって四時間弱……地方学生にとってこれはでかい。それにこの世界で原因を究明きゅうめいするための軍資金ぐんしきんとなるやもしれん。くそう……悩ましい。


 ……いやまて、女子大生の生足なまあしの臭いを嗅ぐんだぞ。ある業界ぎょうかいにとってこれはご褒美ほうび……って! バカか俺は!


 とか考えながらも、気がついてみると俺は榛名の右足の親指に、腰をかがめながら鼻を近づけようとしていた。


 心頭滅却しんとうめっきゃくすれば……いやちがうな。

 一時いちじはじしのび三千円。一時の恥を偲び三千円。一時の……。


 と、そこへ、バタンとドアのひらく音が。


「おまえら……なに……やってんだ?」


 できることなら振りかえりたくない声のほうへ顔を向けると、柳井さんと千代田怜がひらいたドアのまえで固まっていた。




「バッカじゃないの!?」


 事情じじょうを聞くなり千代田怜は思いっきり罵倒ばとうしてきた。おっしゃるとおりで。一方の柳井さんはこらえ切れないらしく、思いっきり腹を抱えている。


 たしかにドアをあけたら、いまにも女の足の臭いを嗅ごうとしてかがみながら鼻を近づけている男、などという変態へんたい的フェチズム的情景じょうけいなんてものを見れば、そりゃあ狼狽うろたえもするだろうし嫌悪けんおもしよう。


 だがな怜よ、さっしてくれ。夏休み中にたいしてバイトを入れていない俺にとって、三千円はあまりにも大きいんだぞ。いや、ろくにバイトもしないでだらだらしてる俺が、自業自得じごうじとくだと言われてしまうとそれまでなんだが。……なんだか耳が痛い。


 しかしだ、男ならともかく、異性いせい同士であれば、そこにはなにかしらの感情が芽生めばえるのは自然であり、その一例として、ほんの少しだけ常軌じょうきしたかように見える行為こうい――


「バッカじゃないの」


  千代田怜は、もう一度、吐き捨てるように、言った。


「榛名もいつもそんな格好してるから、臭そうとか言われるんじゃない。少しは身だしなみに気をつけなさいよ」

「なんだよ、千代田も臭いとか言うのか? 臭くないって。ほれ嗅いでみ」


 そう言って、榛名は怜に向かって足をばした。


 怜は、その足をはらい榛名の前で立ち止まると、真顔まがおのまま榛名の頭に何度も空手チョップを食らわせた。


「いたい、いたい、いたい」

「千代田、世の中には嗅ぐべき足が臭ければ臭いほど、ご褒美と感じるやからもいるんだから、俺たちはあまり立ち入らないほうがいい」


 と、俺がさっき頭にかすめたのと同様の、わざと誤解を招くようなフォローを入れる柳井さん。その言葉に怜は思わず口に手をあてると、あわれれむように俺を見た。


「え、ご褒美だったの……? 磯野、なんかごめん」

「いや、ホント違うから。その顔やめてマジで」


 怜の冗談だか本気だかわからないリアクションと、俺たち二人のなんとも言えない空気を捨て置いたまま、柳井さんは、すでにパソコンに向かっていた榛名の横から画面をのぞき込んだ。


「榛名、おまえなにやってんだ?」

「チュートリアル進めてるよ」

「そりゃ見ればわかるだろ。なんで俺のアカのままプレイしてる?」

「いまこの瞬間も拡がり続ける銀河系の広大さに比べれば、まったくもって些細ささいな問題だな」


 柳井さんはおもむろにヘッドロック。


「榛名おまえ、なに勝手にダウンロードコンテンツ詰め込めるだけ詰め込んでんだよ。まだバニラでさえ触ったことないのに」

「いたい、いたい、やめて」


 こいつらのやり取り見てると、俺の身に起こっている問題が悪い冗談のように思えてしまう。


 超常現象ちょうじょうげんしょうによって迷い込んだオカルト研究会の世界。

 このなんともいえないのどかな空間は、非常事態であるはずの俺の心に妙な安心感を与えてしまう。


 ……いかんいかん。こんなところで、のんびりなどしてられんのだ。


 この二つの世界の入れ替わりを止めるにはどうすればいい?

 昨日の入れ替わりは、やはり、なにかのきっかけや、法則がある気がする。


 じゃあ、そのきっかけはなんだろう。


 入れ替わりの瞬間の、色の薄い世界のわずかな匂い、感触。あれがヒントなのかもしれない。やはり、あの色の薄い世界に迷い込んだことが関係しているんだろうな。


 それなら、八月七日のちばちゃんとの出会いと、あの汚れた大学ノートを見たときの眩暈めまいがすべての原因のように思える。けれど、なんで大学ノートなんかでここまでの異変いへんに巻き込まれてしまうのか、俺の頭では到底とうてい理解出来そうにない。


 そういえば、「もう一人の俺」は、事態を把握はあくできているんだろうか。

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