03ー02 さっきはすまなかった

 いやいや油断するな。ただの内気うちきな女の子であれ、超常現象げんしょうの原因的存在であるという疑いはバリバリ健在けんざいなわけだし。


 もう一度、ちばちゃんを見る。


 可憐かれんな少女は、顔を赤らめたまま、俺の視線を避けるようにうつむいていた。


 正直な感想を言おう。


 ――最高にかわいい。


 ううむ、俺はこの子を誤解しているのか?


 俺に降りかかった奇妙な出来事の発端ほったんは、あの眩暈とその直前に見た大学ノートだった。そしてその持ち主の霧島千葉。だから早朝に部室に訪れ、俺と鉢合はちあわせた彼女に疑いの目を向けてしまった。


 しかし、この時間に部室にきた理由はわからないとはいえ、彼女と出くわしたのはただの偶然じゃないのか? さっき俺を見て後ずさったのも、特に深い意味はなかったんじゃないか?


 そうだよ。だって、こんなにかわいいじゃん!


 ちばちゃんは慌てているのか、受け取った鞄を肩にかけようとしていたが、肩かけがねじれてしまいそれを直すのに悪戦苦闘あくせんくとうしていた。かわいい。目の前ののどかな様子に、またも肩の力が抜けてしまう。


 グー。


 突然、生物学的せいぶつがくてきなおかつ生理的せいりてきな効果音が廊下に響いた。

 ちがう。俺じゃない。


 ちばちゃんは顔を真っ赤にして涙目なみだめになりながら俺と目が合ったあと、さきほどとは別の理由で逃げ出してしまうくらいの恥じらいを見せて、顔をうつむかせた。


 なんというか……たいへん申し訳ない。


 いや、俺はなにも悪いことはしていない。とはいえ、アイドルがトイレに行くのを目撃してしまったような、そんなタブーに踏み込んでしまったような感覚に襲われてしまう。


 空気を……そうだ、空気をかえろ磯野。なにか……なにか話題を――


「朝飯……食った?」


 おい! なに思いっきりトドメ刺してるんだよ! ダメだろこれ!


 何度目になるのだろう、涙にれた顔に狼狽ろうばいの表情を浮かべたちばちゃん。少女はすこし躊躇ためらったあと、戸惑とまい恥じらいが入り混じる表情で、小さくつぶやいた。


「いえ……まだ……」




 大学の南門みなみもんから、ファミリーマートを越えたさきのホームセンターの敷地内しきちないにモスバーガーがあった。


 店までの距離を、一〇分ほどかけて俺とちばちゃんは歩く。会話は無い。気まずい。非常に気まずいのだが、仕方がないとも思う。お腹をならしたちばちゃんきっかけのあの状況から、どうやって会話で盛り上がれというのだ。


 二メートルの距離を維持して俺のうしろをついてくるセーラー服の少女。

 まだ朝とはいえ、すでに夏の日差ひざしが街路樹に木漏こもれ日をつくるなか、せみの鳴き声だけだが、このなんとも言い難い時間に救いを与えていたのは言うまでもない。ていうか、なんで歩いてすぐに手ごろな飯屋が存在しないんだよ、この大学は!




 と、いうわけで、俺たちは窓側まとがわの席に座った。

 ちばちゃんの前にはモスバーガーのセットに紅茶、俺の前にはモスチーズバーガーにコーラがあった。はたから見れば、ガタイのいい大学生と制服姿の怯えた女子高生が、不器用な感じで向かい合っている図。


 それでも大学生と女子高生なんだから、最悪さいあく、家庭教師と教え子とか、高校時代の先輩後輩の関係とか、健全けんぜんかどうかはさておき、まあありえなくはないわね、という風には見えるはずで、援交えんこうとか出会い系とかいう犯罪めいた景色けしきにはなってないはずだ。いや、さすがにないだろう、大丈夫だよね、たぶん。


 ……そんなことはどうでもいい。


 いまさきに気になるのは、目の前の少女にしてみれば、遠まわしにではあるにしろ、俺が転落のきっかけを作ったといえなくもないさっきの出来事についてだ。考えすぎか? いやいや、ここは用心に越したことはないだろう。ちまたでも、誤解から冤罪えんざいめいた事態になっているのを、ニュースとかでもよく見るじゃないか。


 ……いや、冷静に考えれば理不尽りふじんだ。そうだよ、まったくの理不尽なのだが。


 さりとて、俺が転落から助けたと思っていたその行為こういも、彼女からしてみればパニックの最中に、きゃあ、あの男に乱暴されたわ、不潔! とか思われているかもしれない、という疑いが残っている。この下手へたをすれば社会的にソーシャルな致命傷ちめいしょうとなる疑惑ぎわくを、なんとか払拭ふっしょくしなければならない。


 まあ、彼女のさっきの素振そぶりや、飯に誘ったらおとなしくホイホイついてきたことからすると、警察沙汰ざたおちいるような疑いをかけられている可能性は薄いのではあろうが。


 とりあえず、飯をおごって心証しんしょうをよくしてなにもかもチャラにしてもらおう作戦は、最悪の事態の回避かいひとしては悪くないはずだ。しかしこの万全であろう社会的危機きき回避のせいで俺の財布の残りが消えるのはとてもつらい。つぎのバイト代が振り込まれるのは二日後だったか……。これこそ夢であってほしい。


「……気にせず食べてくれ」


 俺の言葉にちばちゃんは子リスのようにぶるっと体をふるわせた。そして、俺をおそるおそる見たあと、目の前にあるハンバーガーとの往復おうふくを何度かりかした。そしてやっと納得したのか、小さくこくりとうなずいて手を合わせたあと、モスバーガーの包装紙ほうそうしを開けはじめた。野良猫の餌付えづけでもしているのか俺は。


 だがこの様子を見ると、やはり彼女はなにかを意図して俺に接触せっしょくしてきたわけではないようだ。そんな勇気ゆうきがあるなら、もうちょっと、そう、あのポニーテールのような勢いがなければおかしい。


「さっきはすまなかった」


 俺のあえて言葉らずではあるが、いろいろな意味をふくんだ謝罪しゃざい


 ちばちゃんはひと口食べたあとのハンバーガーを皿に置くと、うつむいて左手で耳もとの髪をかきあげた。困ったときのくせなんだろうか。


 少女は、そっとささやくようにつぶやく。


「……いえ、わたしこそ……ありがとうございました」

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