02-02 俺はあの夢のなかでなにをした?

「なんですか?」


 ふと声に出てしまった彼女の名前に、またもや居心地いごこちの悪さのようなものを感じた。


 あの色の薄い世界の夢で、彼女の持ち物から知った霧島千葉きりしまちはという名前。


 夢の中とはいえ現実のような、それでいて映研の世界では知りようのない情報が、この夢の世界の記憶によって補完ほかんされていくことの不気味ぶきみさ。


 いや、落ち着いて考えろ。これは夢だ。

 つまり現実ではないのだから補完などされているはずがない。……のだが、夢の中であるはずなのに確信かくしんを抱いてしまうくらいに説得力のある記憶の裏付うらづけが、俺の頭の中を容赦ようしゃなくかき乱した。


 もう一度少女を目の前にすると、映研での臆病おくびょうな印象と、オカ研での気さくな彼女の記憶の両方がかさなってしまい、二つの記憶が俺の判断をくるわせる。結局どのように接していいのかわからず、しばらくのあいだだまり込んでしまった。


「磯野さん?」


 あどけない笑顔が不思議そうに首をかたむけて俺を見つめてくる。


 心が浄化じょうかされるようだ。


 首をかしげるこの愛らしい仕草しぐさ、ロリコンだったら致命傷ちめいしょうになるほどの破壊力はかいりょくじゃないだろうか。しかし申し訳ないのだが、俺はロリコンではなかった。本当に申し訳ない。それに、夢である以上、さっさと目覚めにぎつけるためにも頭の中にあるこの記憶は跡形あとかたもなく消してしまいたかった。


 ……とはいえ、いま目の前で発生したロリコンどもを殺す仕草だけは名前をつけて保存をしたい衝動しょうどうにかられる。ダメだ、割り切れ磯野。


 ――こっちは、現実じゃないんだ。


「いや、なんでもない。放っておいてくれ」

「?」


 俺のあえてなさをよそおう返事に、ちばちゃんはすこし驚いたようだったが、空気を読んでくれたのか、軽くうなずいて文化棟に向かって歩き出した。


 とてもいい子だけに本当に申し訳ない……。


 そういえば相方あいかたのポニーテールの記憶がないな。青葉綾乃あおばあやのだったか、こっちでは友達じゃないのか? いやいや、いまはそれどころではない。これからどうするよ?


 ――どうやったらこの夢から覚められるのか。


 これが目の前にある問題だ。


 俺がいま、このオカ研世界の夢におちいっているのは、おそらくあの色の薄い世界の夢を見たことが原因だろう。二つの夢に共通点きょうつうてんがあるとするなら、あの色の薄い世界の夢も、いま見ているこの夢も、どちらにも現実感があるってことだ。


 生きてきた二十年のあいたに、こんなリアルな夢を見たことなんて一度もなかった。そもそも夢というのはどこかしら曖昧あいまい脈絡みゃくらくもなく変化して、目覚めたら記憶に残らないものだ。


 だがどうだ。いま見ているこの夢はあきらかに物理法則ぶつりほうそく成立せいりつしている。さらに、場所や人々が、俺の記憶とちゃんとリンクしているくらいに現実味がある。


 まてよ? 俺はこの夢の中で、あの色の薄い世界の夢のことを覚えていた。しかも克明こくめいに。であれば、俺はいまだに色の薄い世界の夢の延長上えんちょうじょうにいるんじゃないのか? 夢から覚めたらまだ夢の中にいたなんてことみたいに、あの色の薄い夢から目覚めていない可能性だってあるんじゃないか? そうだよ『インセプション』とかそんな感じだったろ。するどいな俺。さすがだな俺。


 あの色の薄い世界で見た、ちばちゃんのノートに書かれていた霧島千葉きりしまちはという名前があったからこそ、夢の続きであるこの世界のちばちゃんもまた、霧島千葉きりしまちはとして引きがれているのかもしれない。


 続きにしろなんにしろ、もし夢の中なのだとしたら刃物はもの頸動脈けいどうみゃくを刺すくらいの刺激を与えたら、さすがに目が覚めるんじゃないか? うわぁ……鳥肌とりはだたったわ。ダメだダメ。痛いのはよそう。それに夢の中で死んだら現実でも事切こときれるなんてこともあるかもしれない。


 ともかく、この状況を打開だかいしようと考えたときに一番に浮かぶのはあの色の薄い世界の夢。あの夢の中になにかしらのヒントがあるんじゃないだろうか。


 ――俺はあの夢のなかでなにをした?


 顔をあげると大学の南門みなみもんが目に止まった。そうだ。あのとき、南門の先のくらな空間に足を踏み入れたことでグラウンドへ、そして丘の上の駅へ向かったんだ。そのあと駅のプラットホームで誰かを見つけて、そう髪の長い――


 俺はベンチから腰をあげ、炎天下へと身を晒しながら足早あしばやに南門まで向かった。もしこれが夢ならばあの南門を通ることで一つ前の夢――色の薄い世界の夢に戻れるかもしれない。



 南門の前までたどり着くと自然と足が止まった。


 あのときの記憶がよみがえる。色の薄い世界とつながっているのだとしたなら、一歩踏み出した瞬間しゅんかん、またあのグラウンドに瞬間移動するはずだ。


 けれど、いま人々の生活するこの世界から無人むじんの世界へと戻ってもいいのか? もしあの丘の駅で解決の糸口いとぐちを見つけることができなかったら俺はむんじゃないか?


 それに、あの色の薄い世界の夢からいままでずっと夢が続いているのなら、色の薄い世界へ戻ったところで夢から目覚める確証かくしょうはどこにもない。


 ……それでも、このままここにいたって同じことだ。なにも解決しない。


 よし。


 ひとつ深呼吸しんこきゅうをしたあと、思い切って右足を踏み出そうと――


 ダメだ、足が震えて動かない。


 無人、無音。

 あの世界に再び取り残されてしまうのはえられない。


 俺が冷や汗をかきながら南門の前で棒立ぼうだちになっていると、そんな俺を嘲笑あざわらうかのように本校の学生らしき二人組があっさりと横を通りすぎた。


 俺は、思い切って南門から一歩踏み込む。



 世は、なにごともなく平和だった。



 ……喉が渇いたことだし、コンビニにでも行くか。

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