01-08 この場所から離れてはいけない

 夢。それならすべての不可解なことに説明がつく。


 俺は目の前の、謎のモノリスのような黒を見た。

 もし夢ならこの真っ黒にぶつかってみてもいいんじゃないか? それで目の前のものが物体などではなく奈落ならくのような底無そこなし空間だとしたら、そのまま落ちてしまえばこんな夢からおさらばできるんじゃないだろうか。


 いや、ダメだダメだ。俺は高所恐怖症こうしょきょうふしょうなのだ。けれど目覚めるには、それくらいの強烈きょうれつなショックが必要なんじゃ……まて、ちょっとまって。とりあえず落ち着こう。


 左手に持っている飲みかけのペットボトル。キャップを取り、残りのお茶を飲みす。のどから食道しょくどうをとおってぬるいお茶が胃へ流れ込んでいく感触かんしょくが伝わってきた。やはり現実なんだろうか……。


 そうだ。


 手に持っていたペットボトルを、俺は目の前の黒へ投げ込んだ。

 ペットボトルは黒い壁をすんなりと越え、カランと地面をねる音が聞こえてきた。


 とりあえずがけでも壁でもなく、地面が続いているらしい。

 目の前の黒い空間は、光が当たっていない状態なのか? けれど、光源らしきものが無い時点で、明るい場所と目の前の暗闇くらやみが線を引いたようにわかれて同居どうきょできる意味が解らない。


 そのとき、まるで一斉いっせいにライトアップされたかのように、真っ暗だった空間の先が照らし出された。しかし、実際にあるはずの風景はそこにはなかった。


 目の前にはグラウンド。

 そして思う。このグラウンドを俺は知らない。


 一歩踏み出すべきだろうか。だが、


 ――この場所から離れてはいけない。


 脳裏に浮かんだ予感めいたその言葉に俺は動揺どうようした。

 ここは立ち止まるべきなのだろうか。


 けれど、ほかに行くあてもないなかで俺がやるべきことは、いち早くこの世界から脱け出す方法を見つけ出すことなんじゃないか? そうだよ、このままここにいたってしょうがないじゃないか。


 思い切って俺は一歩踏み出した。


 なにも変わらない。

 まったく……なんの根拠こんきょもない予感なんか――


「え?」


 うしろを振りむくといままであったはずの大学が消えていた。


 あたりを見渡すとまるで瞬間移動しゅんかんいどうでもしたかのように、グラウンドの真ん中に俺は立ち尽くしていた。そして目の前に見える丘には、


 ――まるで『インディペンデンス・デイ』に出てきたUFOのような、巨大建造物が鎮座ちんざしていた。


 なんだ、なんなんだあれは。

 俺は、SF映画の中にでもいるのか?


 五階ほどの高さがあるのだろうか、ドーム型のその建物には何本か高架こうか方々ほうぼうへとびていた。


 なにかの駅なのだろうか? 


 高架は二種類あり、ふだん見るような線路を走らせるものと、建造物からゆっくりと下降するカーブを描いていく、円柱状えんちゅうじょうの――チューブのような形状のもの。どちらにしろ、現実世界では見たことがない。振りかえると、グラウンドの先には中学か高校なのであろう、校舎こうしゃのような建物があった。


 なんというか、深みにハマった感覚がある。

 さっきのという予感は正しかったのだろうか。


 けれど、戻るべき大学への道も無いいま、俺はどうすればいい?

 待てば目が覚めるのだろうか。いや、もし夢にしたって、時間の経過によって、その目覚めるために必要なきっかけを失ってしまうかもしれない。


 とにかく動け。ここから出る方法を見つけるにはそれしかない。


 建物の横を抜け、俺は歩道へと出た。歩道は坂道になっていて、例の巨大建造物へとつづいている。 ふと、この校舎がなんの学校なのか気になり校門こうもんを見た。が、表札にはなにも書かれていなかった。


 ――というより、あるべき場所に文字が無かった。


 校門だけじゃない。目の前の建物の窓や玄関の、文字があったであろう余白よはく。不自然な空欄くうらんのある青看板あおかんばん道路標識どうろひょうしき。文字が書かれているであろうどの場所にも、文字が一つも無かった。




 丘に向かって百メートルちかく歩くと、謎の建造物が見えてきた。

 巨大建造物の周囲には、近未来的な幾何学デザインの建物があり、一つの小さな街のような空間となっていた。


 俺はロータリーと、おそらく駅前広場であろう場所を通り、エントランスに入った。内部は吹き抜けられた広い空間の左右にいくつもショッピングウインドウや通路が連なり、奥には空港ゲートのような、改札口かいさつぐちのようなものが見えた。ここでもあるべき場所に文字は見当たらない。


 俺はおそるおそる改札口を通ってみるが、反応は無かった。


 その先には、左右それぞれにエスカレーターと階段があった。ためしに手近てじかなエスカレーターに足を踏み入れてみたが動かなかった。


 仕方なく階段を上るとプラットホームになっていて、左右それぞれに列車が入ってくる線路のようなスペースがあった。

 奇妙なことに、プラットホームと線路のような空間の境界きょうかいを、筒状つつじょう透明とうめいなガラスのようなもので遮断しゃだんしていて、降車口こうしゃぐちとなるそれぞれの箇所かしょに列車のドアとフィットするようなとびらそなえつけられていた。モノレールかと思ったが、この筒状のガラスで覆われた空間は明らかに別物だ。


 列車は来るんだろうか。


 チューブのガラス越しに線路をのぞき込みながら途方に暮れていると、わずかに空気が動いたような気がした。


 ――うしろ?


 振りかえるともう一方のホームに、新幹線しんかんせんだろうか、白くくつべらのような曲面状の車両しゃりょうがそこにあった。車両のドアはすでにひらいている。


 この世界へ来てはじめて自立して動いているものとの遭遇そうぐう


 誰かいるのか?


 だが、その人物が俺に害意がいいを抱いていないとも限らない。

 それでも――


 俺は車両まで近づいたが、窓の中に乗客は見当たらない。

 ホームを走りひとつひとつ窓をのぞき込んでいく。


 先頭の車両までたどり着いたとき、閉まる扉の向こうに人影が見えたような気がした。


 ――髪が長い。あれは、

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