二つの世界の螺旋カノン

01.八月七日

01-01 なにを見ているんだろう

 太陽が容赦ようしゃなく照りつけるなか、札幌市さっぽろし南区みなみく真駒内まこまないにある自宅から、大学へと向けて平岸街道ひらぎしかいどうを自転車で走らせていく。


「……暑い……つらい……せみうるさい」


 交通費こうつうひを浮かせるための四〇分の通学つうがく

 この苦痛に見合うかどうかについて、今日もまた思考をめぐらしているうちに、大学に到着とうちゃくした。


 日差しがコントラストを作る南門に入ると、白い五階建ての建物たてものが見える。


 文化棟ぶんかとう

 この建物には、この大学の五〇近くある文化系サークルの部室が入っていた。俺が所属する映画研究会は、この建物の三階中央にあった。


 だがしかし、俺がここにきたのは部活動をするためでは無い。

 世間の熱中症ねっちゅうしょう対策たいさくにあやかり、この建物にもクーラーなるものが設置されたのだ。自宅に扇風機せんぷうきしか無い俺にとって、まさにオアシスだった。


 横にある自転車置き場から文化棟正面へと戻ると、見覚えのあるシルエットが、陽炎かげろうでゆらゆらと揺れていた。


 千代田ちよだれい。おなじ映画研究会の部員である。

 薄手うすでの半袖ジャケットに、七部丈しちぶだけのパンツルックのスレンダー。その容姿ようしは、だまっていればそれなりに可愛かわいいのだが、内面うちづら外面そとづらのギャップが天と地のごときありさまであることを知る俺にとって、こいつはてきでしかなかった。


 そして胸がい。


「よう」


 へんじがない。ただのしかばねのようだ。

 前方の敵は、俺を視界しかいとらえているはずなのになんのリアクションも見せようとしない。千代田怜の顔を見ると、死体のようにげんなりしている。死んでるのか? 歩きながら死んでいるのか? ウォーキング・デッドなのか? ……正確には、ウォーカーとかバイターとか言われるのだが……って、もしや、この顔は――


「なんでFXで有り金全部溶かした人の顔してんだ?」

「ふぇ?」

「ふぇ? じゃねえよ」

「……磯野いそのじゃない。なにしてるの」

「は?」


 ちなみに磯野とは俺のことだ。

 某国民的ぼうこくみんてきアニメのせいで、本名ほんみょうなのにあだ名のようなあつかいを受ける。磯野家の末裔まつえいとして雨森あめのもり赤尾あかおなどの友達がいれば、すこしは自分の苗字みょうじが戦国武将寄りのあつかいになっていたんだろうが、生憎あいにくそんな苗字の友達はいなかった。


「いやだから、なんでFXで有り金全部溶かした――」

「ちょっと……それシャレになってないから」

「怜、お前まさか本当にFXで有り金全部――」

「いやいやいや、FXには手は出してないから」

「じゃあ、なにが原因でがね全部かしたんだよ」

「全部は……! 全部は溶かしてないから……」


 こいつ、涙目なみだめになってないか? ていうか、声かけた俺が悪いみたいじゃねーか。……うーむ、仮想通貨かそうつうかとかだろうか。よくわからない。が、なんだか追及するのが気の毒になってきた。


「……あのね、奨学金しょうがくきん借金しゃっきん返すには今のうちからいろいろやっておかないといけないの」

「いろいろって、まさか体を売る方向で――」


 空手チョップがとんできた。


「んなわけあるか馬鹿ばか


 文化棟へ向きなおると、さきほどまで誰もいなかったはずの玄関前に、キャスケット帽をかぶった一人の女性を見とめた。


 その女性は文化棟を見上げていた。

 胸もとに淡いピンクのリボンがついた白のブラウスに、薄手うすでのカーディガンを羽織はおっている。右手には服に隠れてはいるが杖のようなものが見えた。


 なにを見ているんだろう。

 彼女の横顔は、帽子に隠れてはっきりとは見えない。しかし、帽子の下からのぞく白い肌とすっと通った鼻梁びりょう。そのたたずまいは、まるで楚々そそとした一輪いちりんの花のようだった。


 突然、既視感きしかんおそわれる。

 穏やかな陽射ひざしとひらひらと舞う桜の花びらが目の前の景色に重なって見えた。


 そうか。これが、既視感デジャヴュか。



 *****


 一年前の入学式。

 新入生とサークル勧誘かんゆう在校生ざいこうせいでごったがえす文化棟玄関前に、俺は建物を見上げる彼女の姿を見とめていた。


 キャスケット帽に隠れた彼女の髪は、さらに短かった。

 そして、車椅子くるまいす姿。


 りんとしたその姿に、俺はただただ見蕩みとれてしまう。


 ――そう、それは、一目惚ひとめぼれだった。


 *****



 文化棟ぶんかとうには、他の大学棟には設置せっちされているエレベーターがなかった。サークル棟ということもあって予算が出ないのだろう。バリアフリーとは縁遠えんどおい建物だった。

 車椅子の彼女がこの文化棟に足を踏み入れたとしても、二階以降にある部室フロアにたどり着くのは難しかったはずだ。

 サークルに所属しょぞくすることなどできなかっただろう。


 歩けるくらいまで良くなったんだろうか。

 杖をつきながらも一人立つ彼女の姿に、俺は嬉しくなった。


「磯野、なにぼーっとしてるの」


 千代田怜の声で我に返った。

 

 キャスケットの子をしばらく見つめていたらしい。

 ひさびさに見かけて嬉しかったわけだが、こいつの前でにやけづらとかしていなかったよな?

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