第12話 (観測不可能な場所での出来事)

 その日、気づけばチタは、見たこともない空間にいた。

 金色と銀色、二本の大樹がそびえるのどかな原野だ。


 空はどこまでもどこまでも果てなく広がる夜の空で、無数の星が瞬いている。


 ここはどこか、死後の世界か?


 意識が途切れる寸前に、りんりんと家敷中の鏡が警報を発していたのは聞いていた。戦争が始まって以来すっかりおなじみになっていた、敵国の攻撃(本当に敵国のもんやったんやろか?)の知らせる警報だった。四方八方を鏡に囲まれた部屋にいたチタはその瞬間まで自分の前世の世界を探していたから、いつものようにあーもううっさいなと舌うちしただけだった。


 その瞬間、全ての鏡がはじけ飛んだ。瞬時に液状になった大量の硝子がチタの頭上にふりそそぐ。続いて衝撃で家敷全体が倒壊した。様々な防護魔法をかけていた家敷があっさりと。


 あ、熱っ。痛っ。


 それがチタの最後の意識だった。


「……」

 

 しかし今自分はこんなおかしな空間にいる。全身どこも痛くもかゆくもないところをみるとどうやら無傷だ。

 ここをどこか調べようと、無意識に空間をスワイプしていた。すると空間にぱっと四角い窓が開く。


「?」

 チタは目をぱちくりさせた。自分の今の姿は、アカデミーにいた頃の少女時代に戻っている。おまけに樹脂でできたような不思議な素材の魔法少女風ドレスを纏っていた。手には杖まである。これは自分ではなく〝エミリ″ではないかとチタは気づいた。


 さらに指をスワイプしていくつもの窓を表示させる。その光景の一つを見るや、チタは一言「うわ」と呻いた。


 目の前にあったのは、なにもかもローラーで押しつぶされたようながれきの平原だ。あちこちに煙が立ち上っている。ひしゃげた鉄骨、くずれたモニュメント、全身にガラスの突き刺さった無数の躯。


 指先を動かした様々な情報を表示させた。それらから判断して今目の前の光景が王都の変わり果てた姿だと理解する。位置、時間、人工精霊たちが記録していた敵国の放った攻撃魔法の詳細。そして反射的に行われた我が国からの報復措置。


 チタは指を動かした。視点の位置を衛星と同程度に設定する。敵国の首都が王都と同じように炎上する様子が見えた。それは連鎖して星の表面を覆いつくす。


 わー……と、他人ごとのようにそれらを見つめながら、チタの頭は勝手にこのままいくとこの世界の人類はあとどれくらいで滅亡するか、少数の人類が生き残ったとしても文明を再建できるのかと高速で計算していることに気づいた。酷い光景に恐怖し、涙するより先にだ。

 

 ていうか、おかしいな。うち、そんな計算できるほど頭おないのに。


 この世界のこの国で、文明が再興できるまで万単位の年数がかかると頭の中で計算結果が出るにまかせながらチタは首を傾げた。



「当たり前でしょ、今計算してるのはあんたじゃない〝エミリ″の脳みそ。バカなあんたにそんな計算できるわけないし」


 金色の木の樹上から声が降ってきた。

 見ると、黒羽根少女が枝に座りぷらぷらと脚をゆらしていた。ツインテールに黒いドレスをまとった、相変わらずの量産萌えキャラのような美少女っぷりだった。


「ああ、あんた生きとったんや。久しぶり」

「まあ、悪魔は不死身だしね。っていうか、ちょっと自分の境遇におどろいたらどう? あんたの本体、全身焼けどで焼けただれた上にがれきの下敷きのこんがりミンチ状態なんだからね。本来あたしとのんきにあいさつなんかできないのよ?」

「う~ん、うちも驚きたいんやけどなんか頭がそうさせてくれへんのやな」


 実際、気もちが完全に凪いでいた。

 以前はあれほど憎んだ黒羽根少女なのに、目の前にしても殺意も何もおきやしない。自分の生まれ育った町や国が酷い惨状だというのにひとかけらの悲しみもわかない。

 あれ、頭がバグってんのかな? チタは結構混乱しているつもりだったが、気もちはやっぱり安定しきっている。なんならこれらを見物しながら、おやつでも食べたいくらいだ。


「ああ、それはきっと同士が〝エミリ″に感情をプログラムしなかったためね。バッカねえ~、感情さえあれば今頃故郷ががれきの山になって半狂乱になっているあんたを見物できたのに」

「ふーん。そら残念やったな」

「ま、いいわよ。これから始まるあんたへの呪いがメインディッシュなんだからアペリティフがなくたっていどうってことないわ」


 よっと、黒羽根少女は地上におりたってチタの隣に立った。 


「〝エミリ″の頭はそこそこ賢いんだから、あんたがどうして今そのナリなのかは記憶を照合すればわかるわよ」

「あーそう、ヒントありがと」


 チタは持っていた杖を一振りした。夜空に開いた窓がすべて消え去り、一枚の大きなスクリーンが浮かび上がる。上映されるのは白黒の古い映画風の映像だ。


 チタの会社の研究室で鏡に向かう技師が、旧式の魔法陣の中心に鏡を据えて何かを唱えている。鏡に宿った人工精霊の素体は、呪文の響きに合わせて見る間に姿を変える。少女時代のチタそっくりに。


「あれはうちんとこの技術やないな」

 

 技師が聞いたこともない呪文を唱え続けるのを、スクリーンと共に出現させたポップコーンを食べながらチタは呟いた。


「当たり前でしょ、七氏族につたわる門外不出の秘奥義よ。最大の敵を永久に呪い続ける最悪の呪文」

「七氏族? あいつら王子だけやなくうちまで呪ってたんや」

「あんただけじゃない、あの破廉恥なショービズの魔女もよ。あの鏡を作り出して悪用したものはすべて呪いの対象。この世界に鏡を通して災いをもたらしたあんたたちに呪いを、そしてわれら氏族が再び栄華をって呪いよ」


 黒羽根少女もポップコーンをかじりながら言った。


「われらに再び栄華を……って、あいつら全員強制収容所に連れてかれてしもたやん。失敗しとるやん、その呪い」

「まあね~。ま、そりゃ秘奥義ってくらいだからね。いくら魔力があっても名門貴族って出自に甘えてな~んにも魔法の研鑚も努力もしてこなかった連中がお手軽に扱えるような魔法じゃなかったってことよ。やっぱりバカよねえ、いくら同士のことでもそこは庇えないわ」


 映画の中で技師は、チタの髪などから得た生体情報を〝エミリ″に転写している(見ていてあまり気持ちのいい光景ではない)。こうして技師は〝エミリ″が第二のチタになるよう、魔法をかけていたようだった。チタの肉体になにかがあれば、‶エミリ″という鏡の世界を永遠にさすらう悪魔か死霊の身に堕ちるように。


 鏡の世界は邪悪で不吉なよからぬもの達の世界。そう信じるかれらにとってはそれはかなり強烈な呪いだったようだ。


 ポップコーンを食べているチタにはピンとこないが。


 技師は何食わぬ顔でチタの会社で勤めていたが、いずれ七氏族のメンバーが構成したテロ組織のメンバーだと発覚して、逮捕されることになる。チタもその程度のことは記憶しているので、杖を振って夜空のスクリーンを消した。

 

 そしてまた、チタのいた世界の隅々を見守る衛星視点の画面を映し出す。どうやら全地表に生存している人類の総数は千に満たないようだった。


 空には満点の星が浮かんでいる。この世界ではその星と星の間に線が走り、さながら星座図そのもの絵本のように空に浮かんでいるように見える。

 しかしチタより賢い‶エミリ″を解してみると、それらの星々が様々な世界であり、チタが今立っている原野の大木と同質のものであると理解ができた。


 

 あれらも様々な世界であり、その歴史だ。


 自分が今いる場所は、世界とその歴史がこのように可視化される空間だ。本来なら自分たちのような単なる人間が立ち入れないような場所。


 このような世界があると観測されるまで、本来ならあと数世紀かかったかもしれない場所。


 観測できても人間の手で干渉できるようになるまでそれからさらにあと数世紀かかったかもしれない場所。


 だというのに自分たちが作り出した鏡の魔法によって、あっさり可視化されて干渉可能になってしまった場所。



 それに気づいて、チタは小さく「うわ」とつぶやいた。


 

 この期に及んでようやくあの老魔法使いが自分とジウを口汚く罵った理由に思い至った。

 あの老魔法使いは、このことを予見していたのだ。自分たちが数多ある世界やその歴史に干渉してしまえる、過ぎた魔法を手にしようとしているのだと。それがどんな災厄をもたらすかを、きっちり予見していたのだ。


 それに今更ながら気づいて、チタはおお~と感動する。その直後でこうつけたす。


「そやったらそうと、あの時きっちり説明したらええのに」

「ちょっと、あんた一人でさっきからなにぶつぶつ言ってんのよ。気持ち悪い」


 大きな斧を持った黒羽根少女が言った。それを大きく振りかぶる。


「一応あたしもあんたたちへの呪いだってことを忘れちゃ困るんだけ、どっ!」


 声に合わせて黒羽根少女は斧をふるう。チタにむけてではない、金色の大樹の幹へ向けてだ。

 がつん、がつん。黒羽根少女が数回斧をふるっただけで、金色の大樹はメリメリと音をたてて倒れた。


 鏡と共に砕け散った世界はこれで完全に沈黙する。画面がブラックアウトする。せっかく生き延びた千未満の人間の命もここでついえる。

 

 人間も動物も植物も、空も海も大地も、世界の歴史が皆消えた。

 


「大した歯ごたえもなかったわね~、ま、ほかの木から養分注入されてようやく育つようなひ弱な木だったから当然かも」


 黒羽根少女は倒れた大木を斧を使って解体する。大木と見えたがそれは、様々な蔓でからまり大木のような形を形成したようだった。


 切り倒された切り株の脇から、か細い新芽が生え、それが見る間にすくすくと延び、成長した。まっすぐ健やかな一本の若木になる。

 黒羽根少女に切り倒された金色の木と枝を絡ませていた銀色の木の枝は、それをつながりを絶たれてその枝先を不安そうに震わせていた。金色の若木が成長すると枝先を再び絡ませる。

 するとそれまでまっすぐだった金色の木は、銀色の木と触れ合った瞬間無数に枝分かれして横へ横へと広がった。


 黒羽根少女に切り倒される以前とは全く別の姿形の木に。


「……あ~、この木そのものは消滅できないのか。あのガキんちょの魔法がまだ有効なのね。ま、でもいっか」

 

 もともとの幹を粉々に砕いた後、黒羽根少女は火を放った。チタ達が過ごしたあの世界はぼうぼうと勢いよく燃え上がる。



「どう? あんたの世界がキャンプファイヤーになってるところを見て何か感じる?」

「……特には」

「あーもう! だから‶エミリ″に感情設定しとけっていうのに、ほんとアイツとんバカなんだからまったくもう」



 しょうがないわね、と黒羽根少女は言うなり、ひらりひらりと指先を舞うように動かした。宙に半透明の鍵盤が現れ、黒羽根少女はそれに指をたたきつける。

 

 鐘という鐘を一斉に鳴らしたような、それでいて荘厳なハーモニーが大音響で奏でられる。チタの目にはその響きが夜空のかなたの隅々を揺らしてゆく様子が目に見えるようだった。


 これが黒羽根少女の魔法であり、呪文であることは今のチタには分かっている。


 空に浮かんでいる様々な世界に影響を与える魔法であることも。


「なによ、妨害しないの?」


 演奏を続けながら黒羽根少女はいぶかしんだ。


「あたしは今、ここに存在するすべての世界にあんたを倒せって魔法をかけてんのよ? あんたは世界に災厄をもたらした大魔王だから近づいたら即刻討つべしっていう魔法よ。だからあんたは今からずーっとこの世界と世界のはざまを永遠にさすらわなきゃいけなくなったんだからね。どうよ? 孤独でしょ? 辛いでしょ?」


 ふふん、と黒羽根少女は得意げに鼻で笑ったがチタにとっては「それがどうした」という気分しかなかった。


 自分はずっとここ数年、どの世界にも属せない孤独を味わっていたのだ。それがただ単に延長されたってだけではないか。どや顔で言う割に全く大したことが無い。


 チタは冷めた目で、黒羽根少女を見やり軽く地面を蹴った。コスチュームに付属しているアクリル板でできたような羽根でひゅんっとそのまま宙を飛ぶ。


「あ、ちょっとどこへ行くのよ!」

「うちの前世の世界を探してくる」


 この世界の夜空には無数の星とそれをつないだ木で覆われている。

 きっとその中のどこかに自分がかつていたあの2017年の世界があるはずだ。


「はあ~っ、まだそんなこと言ってんの? バッカじゃない? あったとしてもあんたのその世界は宇宙の果ての果ての果てのそのまた果てまで吹っ飛んでるんだからあんたじゃ全然追いつけないわよ」


 あ、そっか。それもそうか。


 鍵盤を演奏する黒羽根少女の言葉ももっともだと思い、チタは自分の姿を変えた。夜空を猛スピードで駆け抜ける彗星に。


「ちょっとこら、人の話を聞きなさいよ! いいっ、あたしの存在意義はねあんたたちを不幸のどん底に叩き落すことなんだから! ちょっとはほえ面ぐらいかいたらどうなのよっ。あーもうどうして感情を設定しなかったのよあのバカ同士……!」


 黒羽根少女がキーキー喚く声も次第に遠ざかる。‶エミリ″に感情が設定されていたら、それを愉快に感じることができたかもしれへんのにな。チタはその点を少し惜しんだ。



 彗星になったチタが近づいた様々な世界の人々が魔王の到来だと大いに恐れた。チタの体からあふれる余波が周囲にある世界に悪い影響を与えるらしい。

 

 たまに世界の引力圏にとらわれてチタは様々な世界に降臨することもあった。そこの世界の勇者を名乗るもの達に「古より語られし伝説の魔王」として倒されかけた。


 気が向いたら勇者の芝居にのって「おのれ、グワー!」と断末魔をあげてやることもあれば、虫の居所が悪くて世界そのものを亡ぼすこともあり、対応はまちまちだったがとりあえず呪われし魔王としての務めをはたしながら宇宙の果ての果ての果てのそのまた果てを目指して飛んだ。



 自分がいたあの2017年は絶対あるはず、チタはそれだけを信じていた。

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