第7話 聖暦378 劣勢魔法種族分離法案提出。

「いやあ、リッツァー君の開発した鏡があれば我々と異世界の関係に関する研究がはかどりますよ!」

「それはどうも」


 憮然としてチタは答えた。


 リッツァーが作り上げたあの鏡がリッツァーの師匠にあたる教授の目にとまり、そしてそこから王立博物館まで話が伝わってしまう。異世界に関する国内最高の研究施設でもある博物館の館長が、自分のところにも同じ鏡が欲しいと言い出したのだ。

 確かにリッツァーには優秀な人工精霊の搭載した鏡をプレゼントしたが、あれをあそこまでに育てたのはリッツァーの手によるものだ。自分や自分の会社にいる技師たちが作ったものではない。作れと言われても作れない。ゆえにあの鏡は世界に一台しかないもので同じものをあげるなんて不可能だ。

 

 様々な事業で多忙なチタはそれでやんわりと断ったつもりだ。しかし博物館の館長はあの鏡をくれれば持ち主であるリッツァーを研究者として雇い入れると申し出てきたのだ。しかもそれを先に打診されたリッツァーは明らかにウキウキしていた。


「夢みたいだよ。あこがれの博物館で働けるかもしれないなんて。研究しながらお金ももらえるなんてさ!」

「……ふーん、よかったわね」


 ギシギシ全身の筋肉がこわばった体をベッドに横たえたチタは憮然と呟く。


「あなたは私の誕生日プレゼントを他人にあっさりあげちゃうのね。しかもあんな、頬肉のたれさがった犬みたいな外見のおじさんに」

「……チタ、あの人は異世界文化人類学の泰斗なんだよ。とても立派な方なんだ。そんな方が僕のあの鏡があれば研究が進むと言ってくださってるんだよ? とても名誉なことじゃないか」

「名誉でもなんでも、私からのプレゼントをあげちゃうなんて信じられない」


 チタはわけもなく悲しくなって、枕に顔をうずめてぐずぐず泣いた。

 全身は凝ってるし、魔法はなかなかうまくいかないし、「転生人の小娘が作ったあの鏡が悪魔の軍勢を連れてくる」とかなんとか電波めいた予言を吐く妙な新興宗教が生まれるし、ジウはチタの気も知らないで自分の手掛けるタレントたちと豪遊してるし、なんだかもう辛い。


 おまけに最近、鏡の動作不要に対するクレームの声が無数に届けられるようになったのだ。

 映像が突然固まる、音声が突然途切れるなどは序の口で、人工精霊が突然狂ったように笑いだしたり「お前はもうじきこの世からいなくなる」など不吉な予言めいたものを口にしたり、血に染まったような赤い池や幽鬼のようになった人々の列を映し出すなど薄気味悪い言動をとるものがふえてきたとのこと。早速調査をすると、ギーチを殺害したのと似た傾向の魔法の感染が原因だと報告される。

 それをユーザーへ馬鹿正直に報告することはせずとも、開発したばかりの対抗魔法のかけかたを伝える。

 時にはチタ自身が表に出て、自社の鏡の人工精霊があのような事故を起こすことはないし、安全は保障するとアピールしたが、鏡と人工精霊に対する不信感はうっすら社会全体を覆っていた。

 しょせん転生人の小娘という論調で、敵対する勢力はお抱えメディアを使ってチタを叩く(それもまた鏡を経由しているのはおかしな話だが)。


 メディアに叩かれることには慣れていたが、動作不良なんてことは鏡の事業開始以来初めてで、チタはすっかりしょげていたのだ。

 

 

 恋人が疲れていじめられてヨレヨレやのにリッツァーは私のプレゼントをどこの誰とも知らんおっさんに差し出そうとしているやなんて……。冷静になればなんてことないことなのに、チタは悲しくて辛くてぐずぐず泣いた。



「ねえ、チタ。こう考えてくれないかな? 君の鏡のお陰で僕の昔からの夢がかなえられそうなんだって」


 チタをリッツァーはなだめすかす。しかしその声には「自分の夢をどうして応援してくれないのか?」といういら立ちが微かに滲んでいることに気づかないわけにはいかない。いつものリッツァーならチタが甘えてごねるとまるで赤ん坊をそうするように優しくあやしてくれるのに、その日のリッツァーはワガママばかり言う子供を指導する親の口調だ。

 

 チタは不機嫌になり、吐き捨てる。

「だったらリッツァーの好きにして頂戴」


 

 ……そしてリッツァーは言葉通り好きにしたようなのだ。


 博物館の研究棟にうやうやしく設置された鏡を眺める。このところの動作不良問題もあるので、対抗魔法を施す目的でチタは技師をともなってやってきたのだ。



 かつてリッツァーのいる研究室でみた鏡は、何人もの異世界研究の徒や学芸員が行き交う吹き抜けの部屋の中央に鎮座された。金色と銀色の二本の木を眺め、彼らは口々に、おお、へえ、と声をあげたり唸ったりしている。


 彼ら彼女らの手があの鏡の表面を撫でまわすのが、チタには不快で仕方がない。さっさと帰りたいが、技師が対抗魔法をかけ終わるまでこの部屋からはでられない。

 


 対抗魔法といえば……チタはそれにまつわる数日前の忌々しい思い出を反芻していた。


 呪いの魔法から鏡をまもるために開発した対抗魔法のプロトタイプは、‶エミリ″と仮称されることになった。少女時代のチタの姿をベースにした人工精霊に搭載されることになっているためだ。

 

 タブレットに映し出されたそれは、妙な魔法の杖を持った女の子の姿をしてをり、チタは辟易した。まるで少女時代の自分が魔法少女のコスプレをしているようだ。しかも仮称が自分の前世ネーム。どういうつもりだ。


「……なんなんこれ?」

 思わず技師に確認する。異世界方言を理解しない筈の技師なのに、チタの声のニュアンスで言いたいことをしっかり汲み取ったようだ。


「申し訳ありません。デザイナーが勝手にこのような画像を設定しておりまして……。変更しますか?」

「そうしたいのは山々だけど、時間がもうないでしょう? デザイナーには私から直接注意をします」


 チタはプロトタイプの‶エミリ″をタブレットに入れて、アパートに帰った。

 

 久しぶりの我が家だが、セリもグミも相変わらずよく働いてくれているようで居心地がいい。

 ベッドに寝転ぶと、チタは‶エミリ″を浮かび上がらせた。コスプレした少女時代のような自分の姿の人工精霊を見るのは恥ずかしくてたまらないが、チタには総責任者としてやらねばならない仕事がある。


 例の事件以降、またあのような事件が起きた時のために、人工精霊の行動を強制的に機能停止、場合によっては消滅させる呪文を設定することにしていたのだ。それは社のトップであるチタが入力・設定することになっていた。


「なんそれ、バルスでええんちゃうん? そんなん」

 

 その仕組みを以前説明した時、ジウはそう訊き返してきたな、チタはふと思い返す。オタクっぽいものは毛嫌いするくせにジブリはセーフという扱いになってるらしいジウのジャッジにちょっとカチンとしたことを、チタは思い出した。


 なぜかこのところ、ジウにイライラすることが多いのだ。

 チタが鏡の魔法の対策に振り回されている間に、自分はライブを企画したり新しい番組を手掛けたり、オーディション番組の審査員になって若い挑戦者を毒舌で泣かせたり、あーあーご活躍中でありますね! と妙に恨みっぽい気持ちになってしまう。


 それもこれも疲れているせいだとあたまを振り払い、‶エミリ″に話しかける。


「今からあんたへ呪文を入れるから、ちゃんと聞いてや」

 

 承知しました、というように‶エミリ″はうなずいた。

 へえ、とチタは感心した。前世の方言を理解してくれんのかいな。この子、賢いな。

 ……ここでチタが、異世界研究者でも完璧に聞き取れないチタやジウの使う異世界一部地域の方言をたかだ人工精霊が理解することができたのか、疑問に感じることができればその後の惨事もまた様子をかえたのかもしれない。が、チタはあまりに疲れていてまとも判断ができなかった(疲れていなかったとしても判断できなかった可能性は高い。なにしろチタもジウも物事を深く考えないタチである)。


 ともあれ話を進める。


 チタは空ゼキをしてから、小さな声で歌いだす。


 

  いつでも捜しているよ どっかに君の姿を

  向かいのホーム 路地裏の窓

  こんなとこにいるはずもないのに



 ‶エミリ″はもう一度頷いた。手順としては三回この動作を繰り返すことになっている。


 リッツァーを思ってこの歌を口ずさんでいるうちにすっかりお気に入りになってしまい、チタはこの歌詞をパスワードとして使いまわしていた。

 これが前世の世界のネットだったならIDや個人情報を盗まれて深刻な被害を被っていたかもしれないが、ここには前世の文化を知るものは数少ない。故に安心しきっていた。


 チタはあと二回、同じ個所を口ずさむつもりだった。しかし、日ごろの疲れがずうんと背中にのしかかる。

 気づけば意識がチタはどうしようもない睡魔に押しつぶされていた。



 ざああああ……。

 寝室に隣接するバスルームから派手な水音が聞こえてくるのを夢うつつの状態でチタは聞いていた。どうやらジウが帰ってきたのだろう。うっさいなー、なんでいっつも静かにできひんのやろ……と思った瞬間意識はまたも沈んでゆく。


 レム睡眠のノンレム睡眠の間をチタの意識は行き来する。その時、ジウが自慢の声を張り上げてなんだか妙な歌を気持ちよさそうに歌い上げていた。


 ジウには歌唱力という取り柄があった。プロ顔負けの声量を誇り、どんな歌でも巧みに歌いこなす。チタも以前はジウが口ずさむ前世のヒットソングにしみじみ聴き入ったものだ。もともと「こんなとこにいるはずもないのに」の歌だって、ジウがよく歌うから自然と覚えてしまったのだし。


 しかし今歌っている歌は、あの歌とはまるきり趣が違う。なんだかしんきくさくて暗くて意味不明な歌だ。「僕が死んでも誰も泣かない」とか、「明日に何かならなきゃいいのに」とか、なんやこの歌……? こんなアホみたいな歌を気持ちよさそうに歌うやなんて、ジウはまた酒飲んで帰ってきたな……。


 またノンレム睡眠に陥りかけたジウはすんでのところで覚醒した。自分は呪文を入力中にねむってしまったことを思い出したのだ。

 

「あ、おはよう、チタ~。あんたよう寝てたな」

 ガバっと跳ね起きたチタに、全裸にタオルを巻き付けただけのジウが呼びかけた。

 チタはそれどころではない。いつのまにかスリープ状態になっていたタブレットを叩いて‶エミリ″を呼び出した。


「じゅ、呪文の入力! もう一回するで」

 

 しかし‶エミリ″人工的な声で淡々と告げた。


「呪文はもう決定しました。旧呪文を無効化しますか?」

「する、するやろそんなん!」

「でしたら旧呪文を唱えてください」

「はああ⁉」


 チタは‶エミリ″に挑みかかった。あわてて背後の鏡を叩いて変更を試みようとするが、やはり古い呪文を唱えて解除するよりほかならないようだ。


「なんで、うち寝落ちしてしもたのに誰が呪文を設定して……」

 

 パニックになったチタは呟いてから、はっと気づいた。‶エミリ″の機能停止呪文、そしてジウが気持ちよさそうに歌っていたあの妙な歌詞の歌……!

 すべての謎がとけて、チタは他人事のような顔をしているジウにいどみかかった。


「ジウのアホー! あんたのせいでえらいことになったやないか。はよ今のうたもっかい歌え!」

「は? ちょお待って? 何ゆってんのか全然わからへんにゃけど」

「ええから、さっき歌ってたうた全部歌え! 三回繰り返して歌え! 早く!」


 ジウはまだ酔いが抜けきらないような顔で、同じ歌の同じようなフレーズを繰り返した。イライラしている時に耳にすると余計に血管がきれそうになる戯れ歌だった。

 しかもジウはわざとなのか、ふざけているのか、微妙に歌詞を間違える。何度かトライとエラーが繰り返された結果、‶エミリ″はあきらめたように目を閉じた。


「呪文の再設定に失敗しました。日付変更後挑戦してください」

「あ、ちょ、まって……!」


 ふっと‶エミリ″は姿を消す。

 呆然としたチタにジウは笑いながら言った。


「ちょ、何いまの人工精霊。昔のあんたそっくりやったけど? どんだけナルなん?」


 カッとしたチタはジウの横っ面をひっぱたいていた。

 仮にも友達に手をあげたのはこの時が初めてだ。ジウも驚いた顔になり、瞬時に叩き返す。あとはもう髪の引っ張り合いにたたき合いに引っかきあいだ。

 ケンカに気づいたセリがとめに入るまで、二人はつかみ合いのケンカを続けていた。



 結局、ジウがそうとは知らずに入力した呪文がまだ不明なままだ。そんな不完全な状態の‶エミリ″が、技師の手によってチタがプレゼントしたあの鏡に移植されている。

 

 一度、虚像になり空中に浮かび上がった‶エミリ″は二本の木を浮かび上がらせる大きな鏡へ向けて魔法の杖を一振りする。鏡は水面のようにたわみ、そこへするんと自分の姿を滑り込ませた。

 ばいばい、というように手を振ると‶エミリ″の姿は鏡の中に溶けるように消えた。それ自体がちょっとした魔法ショーで、研究者や学芸員たちが拍手する。


「これで鏡が動作不良をおこすことはありません」


 チタはそ知らぬ顔で宣言した。

 今までに解明している呪いの魔法への対抗魔法は‶エミリ″に搭載されている。実際効果が出ていることは明らかだ。対抗魔法が拡散して以降、鏡の動作不良に関するクレームは激減している。


 問題は‶エミリ″自身が呪いに感染してしまった場合だ。自分はまだジウが無意識に解明した呪文を解き明かせていない。


 

 このことが誰かに嗅ぎつけられる前に、早くそれを見つけないと……! 

 

 チタは冷たい汗を浮かべていた

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る