第4話 聖暦375 魔法士七氏族会、一般貴族と同身分になる(第一王子暗殺未遂事件に対する措置)。
鏡は順調に普及していった。
「寄席小屋一つにつき一枚の鏡では家に壁がどれだけあってもたりない」
という声には、一枚の鏡で複数の寄席小屋の演目が見られるように開発した。
「自分の好きな芸人の出番だけ見られるようにしてほしい」
という声には小屋側にはたらきかけて芸人の出演時間を知らせる表を作らせ、また鏡にやどらせた魂の知能のレベルを上げた。持ち主のお気に入りの芸人の出番だけ映すように。
「芸人の芸だけではなくお芝居も映してほしい」
という声には名だたる劇場まででかけて放送権を獲得した。
「うちのショーに出ている踊り子たちのレビューを放送して顧客開拓につなげたいんだが」
という夜の社交場の支配人のアイディアを基に、この国初のガールズアイドルグループの立ち上げに深く関わることにもなった。
鏡の開発はチタが担当し、寄席小屋の主や劇場の支配人相手の交渉や営業はジウが請け負った。
新たに雇い入れた自分に足りない魔法や技術について詳しい近代魔法士や技術者たちと昼夜問わず話し合うことも増えて工房に泊まり込む日々が増えたチタ、鏡の購入者を飽きさせないために新たなコンテンツを求めて足を棒にしながら王都のあちこちを移動し大人たちとならんで会議に参加するジウ。二人の毎日は忙しく、せっかくの瀟洒なアパートに戻れない日々が続くのも珍しくなくない。
主がいつ帰ってきてもいいように、優秀なメイドであるセリは部屋を整え、腕のいい料理番のグミは美味しい食事をいつでも用意していた。とはいえ主が帰らないとなると自由時間も増えてゆく。
そんな時は二人でグミが余った食材で作った簡単なお菓子をつまみながら、主が作った鏡を眺めながら笑ってすごすようになる。二人ともギーチとトバコがお気に入りだった。セリはギーチみたいな男の人と所帯をもったらどんなだろうと想像し、グミは自分の息子がトバコみたいだったらよいのにと夢を見る。
そして時々、主が魔法のかかった恐ろしい鏡を作っていると知って震え上がり神様にお祈りする日々だった少し前の自分たちを思い出して、やれやれなんて無知だったのだろうと苦笑した。
目の前にある鏡はなんてことのない不思議で愉快な鏡だ。なんにも怖いことなんてない。
魔力のないただの人間でも使える近代魔法なんてものはずっと胡散臭いまやかしだとしか思えなかったけれど、こうしてみると人間たちの言うこともそれなりに根拠のないことではないのかもしれない。
ひょっとしたら、自分たちが鼻歌を歌うようにひょいひょい使う魔法よりもずっと、近代魔法というものは大したものなのかもしれない。
セリとグミの変化は、この国の異種族の民がチタとジウの作った鏡を受容した態度の典型例と言えるだろう。
当初、妙な魔法のかかった鏡を見ておののき震え上がった異種族の民だが、それが映し出す愉快な芸に魅せられて夢中になった。
多機能になるにつれ鏡も次第に高価になったが、それでも数か月がんばれば庶民にも手が届く価格である(あまり高価にしたくないというチタとジウの企業努力の成果でもある)。
いずれ自分もあの鏡を手に入れるぞと夢見て、この国の庶民たちは働いた。
それと同時に鏡に対する畏れは完全に過去のものになってゆく。
「リキドウザンのショーを見るためにデンキ店に並んだショウワの人々の光景ってこういう感じだったのかな」
久しぶりに遭ったリッツァーはカフェのテラスから鏡屋の店先につめよせる人々を興味深そうに眺める。
「相変わらずあなたは私ですら知らないことに詳しいのね」
チタはそう言ってココアによく似た甘くて温かい飲み物をすすった。
自宅の前に停めた蒸気自動車の後部座席から降りたチタの目の前に、懐かしい顔を見たのはほんの少し前だ。
「チタ⁉ チタじゃないか⁉ 久しぶりだなあ~。元気だったかい?」
本の入ったズタ袋を肩から下げ、ところどころ擦り切れているアカデミーの制服を着ているリッツァーを一目見て、懐かしさが来るよりも先にチタは自分の酷いありさまを意識して後ずさった。新製品開発のために風呂にはロクに入って無いし、数日同じ作業着を着ていたので全身から酷い匂いを放っている自覚があった。こうみえてもチタはアカデミーにいた頃、身だしなみには結構気を使っていたのだ。わざとらしくならない程度に髪をコテで巻いていたしほんの少しだけどお化粧だってしていた。アカデミーにいる転生人の中で一番可愛いのは自分じゃないかと、実はこっそりうぬぼれてもいた。
そんな自分がこんなヨレヨレの時に、よりにもよってアカデミーの中でもさえない部類の少年と出くわすなんて……! しかも高級住宅街なんていう異世界史オタクのリッツァーが本来いるはずもない場所で! まさに「こんなとこにいるはずもないのに」やわ……!
風呂上りなど、リラックスした時のジウがたまに口ずさむ90年代ヒットナンバーの歌詞を思い返しながら動転するチタの手を、リッツァーは握りしめて上下に振る。
「すごいね、君たちの大活躍はアカデミーでも語り草だよ! 現代によみがえる転生人の伝説って……!」
「え……ああそうなの? そのわりに結局転生人保護法は廃止されたみたいだけど……」
丸眼鏡越しのリッツァーの瞳はきれいな空色だ。いつも文献と首っ引きのくせに白目も澄んでいる。自分の血走った眼とはえらい違いだ。
「あの、あなたどうしてこんなところにいるの?」
「ああ、このあたりに第一転生王の記念碑があるだろ? 今彼がいた時代のことを研究しているから調査しに来たんだ。特に発見はなかったけれどね」
そういえばこの高級住宅街の中央付近に不思議な石碑があったなとチタは思い出した。第一転生王というのはこの国の基礎を作ったとされる転生人の英雄で、妙な魔法の装置から繰り出される不思議な
宗教改革によって一夫多妻制度が廃止されたこの時代であっても「第一転生王の後宮」を基にした好色文芸はこの国で連綿と作り続けられているし、第一転生王といえばこの国では性豪の代名詞でもある。
第一転生王=性豪=エロというこの国の十代特有の連想が働き、リッツァーを見るチタの視線が反射的に険しくなる。それを見てリッツァーは慌てた。
「ち、違う、違うよ! 僕は第一転生王がいたころの異世界の風俗の手がかりを知りたくて……!」
わたわたと慌てるリッツァーを、何を慌ててるんやろという目でもう一度見つめると、彼のお腹からは大きな音が鳴った。おなかの虫が食事を求める鳴き声だった。
みっともない音を聞かれてリッツァーは恥ずかしそうに笑った。
「め、面目ない……」
「あなた、お腹がすいてるの?」
「親父から仕送りが打ち切られてね……」
きまり悪そうにリッツァーは頭をかく。三人息子の末っ子を遊学させる程度には裕福な家の出であるが、家業の助けにならない勉強に現を抜かすリッツァーに対して親御さんはあまりいい顔をしていない。そんな彼の家庭の事情を以前小耳に挟んでいたことを思い出した。
商売につながる勉強をせよと、圧力をかけられているのだろう。
風呂に入って一刻も早く眠りたかったはずなのに、恥ずかしそうな年上の少年の姿を見て何故かチタの心が気まぐれを起こした。
降りたはずの蒸気自動車の後部座席に乗り込み、リッツァーを手招きして招き入れる。
おずおずとリッツァーがチタの隣に座ると、運転手は恭しくドアを閉めた。運転席へ戻った彼に、いつものカフェへ回して頂戴とチタは命じる。
そして、いつもちょっとした食事や商談に利用する馴染みのカフェでチタはリッツアーと差し向いで軽食を食べることになったのだった。
王家とつながりを持つ上得意のチタをカフェのギャルソンは当然のようにテラス席に案内した。今の二人の姿を見て欲しいとチタは苦々しく思う。自分のボロボロさは言わずもがなだし、空腹のリッツアーはハムやチーズを挟んだパンや麺料理をがつがつかきこむ。目抜き通りに面したカフェの客の姿としては落第だろう。
変な気ぃ回すお陰で転生人の小娘が金に物言わせてコキタナイ格好で名門カフェのテラスに陣取ったとかゴシップ誌で叩かれる羽目になるんや……と、チタはギャルソンを恨めしい思いで睨む。こんなことなら学生が行くような貧乏食堂に行けばよかったと後悔したがもう遅い。
チタの後悔を知らず、リッツァーは心行くまでおのれの食欲を満たしていた。周りの視線も何も気にならないようだ。
そして鏡屋の人だかりを目にして、空色の瞳をキラキラ輝かせている。きっと自分の研究している異世界の様子を頭に思い浮かべているのだろう。
小さな子供の用にカップを両手で添えて持ちながら、チタはリッツァーの無垢さを羨んだ。
「やれやれ、この国もずいぶん汚らしく下品になったものだ。あの鏡のお陰で」
チタの耳に客の声が飛び込んでくる。
声のした方角から、どの客が発したものかあたりをつけた。自分の斜め後ろの席にいる紳士風の初老の男だ。飲み物の入ったカップを差し出すギャルソンに話しかける風にして、明らかにチタへねちねちと嫌味を吐く。
「王子も切れ者かもしれないが、転生人の小娘の事業に肩入れした結果、まともな人間が減り阿呆が増えるばかりだ。自分のどんな有様なのかを知らずカフェのテラスに陣取るような。一体この国をどうするおつもりなんだろうな」
ギャルソンに手渡された新聞を広げて紳士は顔を隠す。ちらっと胸元に見えた銀色の徽章は名門魔法使い氏族で構成される団体のものだった。高度な魔法を扱える人間が稀少だった時代に国に貢献して爵位を授けられた一族の子孫でありこの国ではかなりのおセレブ様であることを示しているが、しょせんは時代の潮流に乗りそこなった斜陽一族のメンバーである。祖先とはちがいロクな魔法だって使えないし恐れることはない。チタは己にそう言い聞かせてつとめてなんでもないふりをする。
「っさい文句あんねやったら直接こっち見て言え」
前世の言葉でそうつぶやくのだけは自分に許した。
チタとジウに関する雑費は王子のポケットマネーから出ることになっていたが、鏡の製造と販売に関わる商売が大成功を収めていることもあって二人は大変な富豪になっていた。二人分の飲食代を支払うことなど造作もない。自分をあの席に通したのではない別のギャルソンにチップをはずむ。
目抜き通りからしばらく歩けば、乗り合いの蒸気バスの停留所まですぐだ。
なのでチタはカフェの前で別れるつもりだったが、なぜかリッツァーは「ちょっと待って!」というなり駈け出していく。
数分後に帰ってきた彼の手には、空色の花を束ねた小さなブーケがあった。
「はいこれ、今日のお礼に」
笑顔でリッツァーはそれをチタに手渡す。チタは眉間にしわを寄せた。
「リッツァー、あなた、お金はどうしたの?」
「本を買うためにためていた金があったんだけど、どうしても君に渡したくなったんだ。まあ、もうしばらくすれば翻訳のアルバイト代が入るからさ」
リッツアーははにかむ。
チタは混乱した。大いに混乱した。
混乱のあまり前世の言葉で怒鳴った。
「こんなん買うお金があるんやったらまずご飯食べえや! アホか!」
「?」
異世界の事象には詳しいのに、異世界の言語を解さない少年は戸惑ったように目を丸くする。
「……あの、迷惑だった?」
「いえ。花を買う余裕があるならパンを買いなさいって思っただけよ」
唇を尖らせてしまったけれど、リッツァーの澄んだ目を見ていると意地を張っている自分がみっともなく思えてきて、最後は素直に礼を伝えた。
「その、ありがとう」
「どういたしまして」
リッツァーはお芝居の騎士のように一礼をしてから、蒸気バスの停留所へ歩いてゆく。ヒョロヒョロの体形にぴょこぴょこ頭が上下する、どうにも格好悪い歩き方だ。ブーケを手にしたチタはその姿をじっと見送る。
リッツァーにもらったブーケはセリが用意してくれた小さな花瓶に活け、窓辺に飾った。
切り花の命は儚く、数日経つと花びらが散り始める。
アパートに帰ってきたジウがこの花の存在に気づいたのはそのころだ。
「何この花、どうしたん? こんなんあったっけ?」
「こないだたまたまリッツァーに遭ってん。その時にくれた」
久しぶりにアパートで顔を合わせたジウにチタはそう説明した。
「へーっ、あいつそんな気ぃきくようなタイプに見えへんだけどなあ……」
ジウは身にまとっていた特注のボディコンシャスなドレスを脱ぎ捨て、派手な化粧を落とす。
ジウ曰く、偉そうなおっさんと交渉するときは攻撃的な衣装で臨んだ方が舐めてかかられず成功率があがるのだそうだ。その時の衣装の参考にしたのがジウに強い印象をもたらしたお立ち台で扇子をもって踊るお姉さんたちのコスチュームだったらしい。ジウのファッションは90年代後半から90年代前半から中ごろに逆行していた。
むっちりした体つきにぴったり張り付くようなドレス、扇情的かつ攻撃的なメイク。この世界のこの国にとっては裸も同然ないでたちで、ジウはこの世界のこの国の商工業を取り仕切るおじさん達と渡り合う。
王子がバックについているとはいえ、たかだがバカな転生人の小娘が立ち上げた事業ということで涙を飲まされる面も多々あったジウは試行錯誤のすえにこのスタイルで落ち着いた。このいでたちにおっさんたちが度肝をぬかれた隙に次々と交渉を進めるのである。保守的な層からずいぶん批判されたが、寄席ではなく鏡で放送するための番組を作る専用の会社を立ち上げたり、優れた芸人やタレントをを発掘したり、ジウの手掛けたプロジェクトは必ず成功を収めたので支持者もぐんと増える。
それ以前に、裾が極端に短く体にぴったり張り付いたドレスで夜の繁華街を取り巻きを引き連れて堂々と歩くジウの姿は強いインパクトをもたらした。特に夜の巷で働くお姉さんたちへの影響力は大きかった。
ジウのドレスと似たような恰好をするお姉さんたちが増え、それがじわじわと流行の兆しを見せる。
当然保守的なマスメディアはその流行を嘆かわしいものとして断罪し、ついでに転生人の小娘である二人とそのバックに控える王子のネガティブキャンペーンを展開した。
しかしそれを伝えるのも、街頭のあちこちに設置された鏡が映すニュース番組だった。
二人が鏡を開発して数年、予想よりも早く鏡は国中に普及している。
チタは王都の商業地に掲げる大型の鏡の開発に取り組むことになっていた。
お昼休みはウキウキウォッチン……♪と、大型の街頭ビジョンを提案したジウは、無数の取り巻きたちを引き連れて工場に様子を見に来た時に気楽に例のテーマ曲を口ずさんでいた。
鏡そのものの強度や美しい映像を飛ばすために必要な魔力など、鏡の設計に頭を悩ませては喧々諤々の議論を戦わせているチタたちはそんなジウ達にちょっと苛立つ。
その番組もう終わってんで、と告げたらジウはまた「嘘や! 信じひん!」って言うかな……。
チタは一瞬意地悪い思いにとらわれた。
バッシングされる王子もそのころ積極的に鏡に顔を出して気さくな人柄と斬新な政策をアピールする傍らで、敵対する保守勢力の貴族たちの権限を上手に奪ってゆく。
チタはその後何度かあのカフェを利用したが、あの時に嫌味を吐かれた紳士には二度と出会わなかった。
彼は一族が代々暮らしていた土地と家屋敷を手放していたのだが、そんなことを預かりしらぬチタは呑気に快適になったことを喜んでいた。
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