4
――……ぃちゃん
――お兄ちゃん
――助けて
――苦しいよ
――おに……
「咲枝?」
聞こえてきた男の人の声に、ハッとする。混濁する意識の海から、わたしは必死に這い上がった。気付けばわたしは、紅さんの船の居住区にある寝台で横にされていた。わたしの手は、天井に向けて伸ばされていた。何かを掴もうとするその手を力なく下ろして――その【何か】が、何であるのかに思い至った時、わたしは愕然としてしまった。わたし、まだ、こんなにも【あの人】に大きく依存していたんだ、って……。
「咲枝?」
聞こえてきた声の主は、レンだった。再度名前を呼ばれて、漸くわたしは、重い身体を苦労して起こす。レンはいつぞやのように、わたしが寝かされていた寝台の横で椅子に腰掛けていた。
「喘息なんて久しぶり……」
「ゼンソク、というのか? 気管支の異常だと思ったから、姉上に呼吸器系に効く薬を施して頂いたのだが、合っていたようだな」
「薬? 紅さんって薬剤師だったの?」
「ヤクザイシ? 薬師のことか? 違う、姉上は魔術師だ。今もお前のために予防薬を調合して下さっている」
「魔術……そっか、この世界にはそんなメルヘンなものも実在するのね」
「めるへんとはなんだ」
わたしはレンのその質問は無視した。レンは怪訝そうな顔をしているけど、説明するのが億劫だった。
「紅さんには悪いことしたなぁ」
「……持病があるのか?」
「まぁ、ね。でももう何年も出てなかったんだけどなぁ。急に環境が変わったせいかも」
わたしはその昔、お医者さんから「急激な環境の変化は発作の誘因となる」と聞いたことがあるのを思い出した。夜の上空の風の中っていう、空気の冷たい中にいたことが、発作を誘発したのかもしれない。わたしが久しぶりの感覚にどこか懐かしさも抱いていると、傍らに座っていたレンがカタンと音を立てて椅子から立ち上がった。
「その様子だともう平気そうだな。今何か飲むものを持ってくる」
「あ……レン」
寝台のある部屋から出て行こうとしていたレンを、わたしは言葉で引き止めた。
「なんだ」
「あの……わたし、何か言ってた? その、寝言、みたいなのとか」
「……いや? 酷くうなされてはいたがな」
そう言って、今度こそレンは姿を消した。レンがいなくなったことで自分一人になった部屋で、わたしは細く細く息を吐いた。そうして、誰に言うともなくポツリとこぼす。
「【お兄ちゃん】なんて呼んでたの、もう随分前のことなんだけどな」
吐き出された言葉は、自嘲するわたし以外の耳に入ることはなかったのだった。
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