「!」

「……こっちだ」

 沐漣さんが、わたしの腕を引いて、戸惑うわたしを誘導してきた。

「急げ!」

「な、にを……」

「逃げるんだろ? こっちのほうが船が近い。兵が来ない内に早く……」

 突然ギュッと沐漣さんが止まったせいで、わたしの鼻がドンッと彼の背中にぶつかった。

「いった……」

「シッ!」

 すぐ傍で、パタパタと足音がした。兵をやり過ごしたのを確認すると、沐漣さんは再び、わたしの手を取り走り出す。

「ちょ、こんなことしたら貴方まで……」

「オレは元々皆に良く思われていない。それにお前は無実なんだろ? だったらこんなの……おかしいじゃないか」

 確かに、第一皇子の割りに、ここでの沐漣さんへの対応はどこかおかしい。それはわたしも薄々感じていた。だからといって、彼まで道連れになっても良いという理由にはならない。そう思って、わたしはなおも抵抗しようとするんだけど、事態はわたしに反論する暇を与えようとはしてくれなかった。

「ともかく船を出せればなんとかなる。それまでに、姉上が見つかれば良いが……」

「ッ! 皇子?」

 廊下の突き当たりで、兵と鉢合わせてしまった。後ろからも声が聞こえる。このままでは挟み撃ちだ。

「くっ!」

 沐漣さんは咄嗟にわたしの手を離して、兵士の人の鳩尾へ峰打ちをお見舞いしてから、今度は近くの階段へとわたしの腕を引いていく。ここを越えれば、彼の船のある甲板へと出られるという。だけど、そう簡単に兵の追跡が止むはずもなくって、兵士の人たちは後から後から追ってきた。

「皇子! その者は危険です、今すぐお手をお放し下さい!」

「何を根拠にそう言い切る!」

「陛下を裏切るおつもりか!」

 続く兵士の人の言葉は無視して、沐漣さんは走り続ける。わたしも、それはもう、必死に走った。多分沐漣さんも、後ろでわたしの息が上がっているのはわかっているんだろうけど、今ここで足を緩める訳にもいかないし、どうにもならなかったんだと思う。

「マズい、このままだと船から遠ざかる……」

 沐漣さんは焦りを覚えつつも、このまま突き進むしかないみたいだった。甲板へ出れば行き止まりだ。そこで待ち伏せている兵士の人たちもいるだろう。頭でわかってても、わたしたちには船を頼るより他に方法が思いつかなくって、そこへ向かう足を止めることはできなかった。

 バンッと甲板への扉を開き、沐漣さんが左右を見渡す。案の定、そこには兵士の人たちが大量に溢れていた。どこかでわたしたちがこっちへ向っているという連絡が繋がったんだろう。

「皇子、その娘をこちらへ!」

 何が、どうしてこんなことになっているのだろう、とわたしは思った。

 何も知らない。 

 何もわからない。

 なのに、その意見は一向に聞き入れてもらえない。

 ジリジリと兵士の人たちが迫る中、急速にわたしの頭の中は冷めてきた。

(そうだ……こんな非日常、ありえる訳ないんだ……だったら、今ここで何したって……平気じゃない?)

 思ってからが速かった。わたしは沐漣さんの腕を振り払って、勢い良く甲板の端へと駆け寄り、ガッと柵を掴んだかと思うと、そのまま足を掛けて身を乗り出した。

「っ、何を……!」

 沐漣さんが気付いた時には遅かった。わたしは歪んだ笑顔で振り返り、飛び降りざまにこう言った。

「さよなら」

 それは沐漣さんへの決別か、夢への別れの意志なのか。ともかくわたしは手を放して、地上に向かって真っ逆さまに落ちていったのだ。

「! おい!」

 ざわめく兵士の人たち以上に、沐漣さんは気が動転したみたいだった。そのままわたしの後を追ってくる。

「お、皇子!」

 衆人環視の中、わたしたち二人は、魔気という名の闇が渦巻く地上へと落ちていった。

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