奇妙な、感覚がした。視界は鈍色のマーブル模様。変な耳鳴りもする。内臓が身体の中からも外からも圧迫されているような、急激にGがかかっている、みたいな不快感。そう、例えて言うなら、一定の高度から落下する絶叫マシーンに、さらに負荷をかけた状態。吐き気がする……わたしがそう思った、瞬間だった。

 バリッ!

 バリバリッ!

 突然、皮膚が剥がれ落ちるかのような痛みが全身を襲った。ほんの一瞬の出来事だったけど、確かに激痛がした。それで、そのすぐ後には……。

 ゴチッ!

「いっっっっった!」

 さっきの痛みよりはマシだったけど、わたしは思わず涙目になった。漸く浮遊感から解放されたかと思いきや、お次はどうやら床らしき場所に顎から墜落してしまったみたいだった。舌を噛まなかっただけ幸運と、言えるのかも。

(な、何ここ……わたし、死んだんじゃないの?)

 わたしは、自分は死んだものと思っていた。だって、階段、結構高いとこから落ちたし。落ちてく先の横から、車、来るの見えたし。曼珠沙華の生えた川の向こう岸から、兄貴が手を振ってる……のは、見えなかったけど。

 恐る恐る開いたわたしの目に飛び込んできたのは、金属質な壁の部屋のような場所だった。ついさっきまで外にいたにも関わらず、だ。それに、想像が正しければ、わたしはあの後、あのままやってきた車両と激突したはず。そうでなくたって、階段から落っこちた後の衝撃は免れない。なのに、わたしの怪我らしい怪我といえば、さっき床でぶつけた顎以外、目立ったものが見られなかった。いや、女の子なんだから、顔は充分気を付けなきゃいけないんだけど。

 ふと、そばで何かが山積みにされているのに気がついた。何か硬質な石のようなものが集められてる。一つ一つのそれは透き通ってて、薄く淡い光を発していた。その他にも注意深く様子を窺うと、ゴウンゴウンという重い音がその辺りから鳴り響いてて、何かの動力部みたいな印象を受けた。

(綺麗……だけど、何これ?)

 見たこともない石の山に、わたしは思わず近寄った。すると突然、辺り一帯の光が強まる。あまりの眩しさに腕で目を覆う。弱まることのない光に、わたしは次第に恐怖を覚えた。だけどそれは、意外な形で終息した。なんと、光ごと石の一つが、わたしの中に文字通り吸い込まれてしまったのだ。

(え、何これ。どうなってんの?)

 石が一つ減り、山は始めと同じにぼんやりと淡く光を放ち続けた。自分の身に起こったことと、目の前の光景の因果を結ぶことができなくって、わたしは知らず後ずさる。直後、背を向けていた方向から、声が複数聞こえてきて、わたしは驚きに肩を飛び上がらせた。

「本当にここなんだろうな?」

「はい、確かにゴトリと音が致しまして……その後、結晶石のものと思われる光がこう、扉の隙間から漏れ出まして……」

 くぐもった男女の声がだんだんはっきりと聞こえてきて、最後にガチャガチャ、と、鍵の外される音がする。わたしはそこで初めて、この部屋に鍵がかかっていたことを知った。

(マズい、誰か入ってくる!)

 状況的に考えて、わたしは相手にとって不法侵入者間違いなしだ。だけどわたしは、焦って狼狽える以外どうすることもできなかった。石の山は壁に沿ってしっかり積まれてるし、他に隠れられそうな物陰など皆無。唯一の逃げ場と思いついた窓は、残念ながらこの部屋にはなさそうだった。結局、わたしが扉に向き直る以外の行動を起こす前に、無情にも鍵は開いて一人の少年が部屋の中へと入ってきてしまった。そして、その少年が目を見開くと同時に、わたしのほうへ小型ナイフが飛んでくる。完全に想定外だったそれはわたしの鼻先をかすめて、背後の壁をズダンと打ち抜いた。

「その姿……貴様、魔物か?」

(しっつれいな、どこが魔物よ!)

 鼻筋に一つ赤い線を作ったわたしは、恐怖を抱くより先に、反論を心の中で叫んでいた。わたしの姿を認めた途端にナイフを投げつけてきた少年は、険しい眼差しのまま今度はもっと大振りな剣を構えていた。今しがた受けた傷は、痛いというより痒かったんだけど、次にあの剣を向けられれば、間違いなくただでは済まない。だけどわたしだって、自分が何か悪いことをした自覚も無い。確かにどう考えても不法侵入者だけど、このままではあまりに理不尽だ。とりあえず現状打破のため、わたしは誤解を解くことから始めるとした。

「わたし、魔物なんかじゃないです。れっきとした人げ……」

「では竜蹄(りょうてい)の密偵か」

「は? 料亭?」

「鍵のかかった燃料室に忍び込むなど、それ以外考えられない」

 何がなんだかわからなかった。相手は日本人には見えないけど、日本語は通じてるみたい。だけど話が上手くかみ合わない。唯一わかったこと……それはやっぱり、わたしがこの部屋の不法侵入者と見做されているようだってこと。

「あの、よくわかんないですけど……密偵なんかでもないですし、料亭とかも関係ないです。そもそもどうやってここに入ったのかもわからないですし……ここ、死後の世界とかじゃないんですか?」

「死後の……世界、だと?」

「ですから、天国とか地獄とか、そういうあの世といった類の……」

 今度は少年の方が面食らったらしくて、困惑の表情を浮べていた。それもそうだろう、わたし自身、その線は疑い始めていた。もしここが黄泉の国なら、今自分の鼻先に垂れている血は流れないはず。ここは三途の川の向こう岸じゃない。でも、だったらどこなの?

 そうこう言っている間にも、石は一つ、また一つと、光になってはわたしの中へと消えてゆく。痛みも何も感じないけど、奇妙な光景に良い気分はしなかった。

「あの……これも止めてくれません? なんか、気味が悪くて……」

 今度こそ少年は狼狽したのか、訝しむように見すくめられる。わたしはますます居心地が悪くなった。本当に、とんでもない場面に出くわしてしまった気分。

「お前……自分でやってるんじゃないのか?」

「できる訳ないでしょう? だからわたし、普通の人間なんですって……」

 そこでわたしは、急に体を傾がせた。そうだ、わたし、今気持ち悪いんだった……しかも間の悪いことに、だんだん本格的になってきたみたい。するとすかさず、少年が剣を下ろして駆け寄ってきて、わたしの身体を支えてくれた。敵意はヒシヒシと感じられたけど、少なくとも今すぐ斬られるという事態は避けられたみたい。ナイス、わたしの体調。

「よくわからんが……ともかくここから出てくれ。このままそれを吸い続けられると……皆、落ちる」

「へ? 落ちる? どこから? ここ、地上じゃないんですか?」

「? 何を言っている。我々は地上を離れて久しいだろう?」

 わたしが、今自分たちがいる場所が飛空艇という、空飛ぶ船の一室であることを知ったのは、それからすぐのことだった。

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