ポジティブ・カウント・トエンティワン

天霧朱雀

カウント21



 テーブルに並んだ書類の残骸にひとつの違和感を感じてしまった夜二十一時。


「あれ、振った数字が合ってない? 夕方、ポスト入れてしまったよ」


 おっとやってしまいましたよ、雨宮チヅル。今期最大のミスでございます。なんと腐るほど書いた履歴書の数々をそのままぐちゃぐちゃにシャッフルしたまま貴社に出しまくってしまったらしい。なんてこった、志望動機も書くタイプの履歴書です。とんでもないミスとはまさにこのこと。なんたってウェブのエントリーじゃ心がこもってないわよねって、意気揚々とボールペン一発書きした数多の紙がゴミと消えた今において、さらなる失態。とても冷静沈着、臨機応変を売りにした二十歳の女性とは思えないすっとぼたけミスです。


「ハイヤーやらかしてしまいましたね!」


 うんうん、でも大丈夫。人間誰でもミスはつきもの。次からが本番。残念ながら、求人広告に載っていた十九社は縁が無かったという事で、さよならバイバイしてしまいましょう。履歴書に費やした十八時間につきましては、すこしばかりもったいないとは思ったけれど、これもお高い勉強代として時間的対価を支払おうじゃないの。


「さて、次をいってみよー」


 しょうがないので十七インチのデスクトップパソコンの前で求人検索。どこか私を必要してくれる会社はないかしら。マウスを片手に頬杖をついてスクロール。まるで人生と同じく下方修正と妥協をされていく手取り額と休日日数。下に下げれば下げる程、私のテンションもダダ下がり。マックステンションからゼロ地点に戻って最終形態三百六十度、またハイテンションに戻りきる。


「やってみなきゃわかんないか!」


 たった一度の人生だもの。沢山の仕事をこなしてみなきゃわからない。もしかしたら最低最悪な条件でも私にとっては最高最善の転職かもしれない。かもしれない運転は安全運転の基本中の基本だ。脱輪したまま水路に落ちてもめげずに教鞭をとってくれた教官の言葉が間違っているはずがない。人生の先輩でもある教官の言葉が間違いだとしたら私が信じていた正しいという概念が揺らいでしまう。イコール、私が正しいと思う故に正しいのだ。我思う故に我ありである。


「ふっふー!」


 勢い余ってバナー広告をクリックしてしまった。


「きゃーんっ」


 突然表示された十六個の毛穴に私はひっくり返ってしまった。最近こういう恐怖心を煽った化粧品系の広告が多くみられる。気持ち悪くってしょうがない。安心しなさいメーカー殿。私の肌年齢は十五歳のそれに近い。だから私にそんな汚らしい毛穴の画像で恐怖は煽られないわっと急いで戻るキーをクリックした。あぶないあぶない、私は毛穴パック商品へ課金するためにクレジットカードをつくったわけではないのだ。せっかくつくったクレジットカードは新しく買うお洋服のためにある。覚えておきな、化粧品メーカー。打倒毛穴商品、負けないアイアンハートを持って自力で毛穴の保全を守って見せる。


「さてさて、本題本題」


 私が目を付けたのは十四代続いている老舗の和菓子屋の売り子。ここに入社したら毎日、毎日、まーいにち、売れ残ったおいしい練り切りをつまみ食いできるかもしれない。なんてこった、それなら国道十三号線沿いにあるケーキ屋にだってバイトの求人が出ていたはずだ。練り切りは同じ味だから飽きるけどケーキならフルーツが各種それぞれあるだろう。だったらケーキ屋の求人でバイトから入って正社員を目指す方が策士である。


「んんん、でも受かるかどうかわからないし」


 氷河期時代もさることながら、いくら就職売り手市場とは言っていてもどこの馬の骨かも分からない小娘を雇ってくれるところなど、そうそうなかろう。特に飲食系は闇であると伺った。まてよ、和菓子もケーキ屋も飲みや食べではあるが、製造ではなかろうか。いや、売り子ならばサービス業? よくわからないぞ。一度調べてからの方がいいのだろうか。……いや、悩んでいるうちに誰かが応募するかもしれない。こうしている間に目には見えないライバルが私を出し抜こうとしているかもしれない。


「就活はじめて十二週目、うかうかもしてられない」


 妊娠だったら十二週目はエコー検診が始まる時期である。授かっていない子宮には、誰もいないけど私の就活という大器晩成はそろそろ授かって欲しいところであるのが率直な感想だ。

 考えあぐねて変な声を出して唸っていると、見知った下二けたが十一の電話番号。晴山スズ子の番号だ。通話ボタンをタップすると聞きなれた同世代の女の声。


「雨ちゃん就活の調子はどうかい?」


 いつも明るい声で語りかけてくるセリフに嫌味なんてひとつもない。それなのに彼女が羨ましいと思っているのは、下流を流れる小石のごとく角が取れて牙を剥かれた私自身の問題だろう。


「ダメぽよっぽい」


 しぶしぶ晴ちゃんに告白すると、「珍しいね、ポジティブモンスターがダメとか言うなんて」と不思議そうな声色だ。


「んんん、せめて十月末までには就職先が決まってないと真面目にやばい」

「そりゃさいで」


 ゆるっとした語り口は彼女のクセだった。私はむむむと奥歯を噛んだのち、「晴ちゃんはどうなのよ」とつっけんどんに質問した。


「あたしは雨ちゃんと違って九社から内定」

「九社!? ひとつくらい分けてよ!」

「むりでーす」


 カーッこんなに待遇が違うなんて。私も専門学校じゃなくて短期大学に行っていた方がよかったのだろうか。


「はぁん、世の中不公平」


 あんなに苦労して手に入れた学力も、簡単に裏切られてしまう不条理を目にした。


「雨ちゃんのいいところはポジティブなところなんだから、もっとアピールしなきゃ」

「といってもねぇ、扱ぎ付けた面接八回、お祈りメールに変わってしまったらねぇ」


 みなまで言わずともって感じですたい、と使い慣れない遠い方言が出てきてしまうレベルの話である。


「元気だしーな。こんど焼き肉食べにいこ。それでチャラ」

「わかった。じゃあね、」

「おやすみ」


 バッドタイミングで私のテンションを下げる要因であることに、彼女は気が付いていないのだろう。もごもごしゃべり足りない気持ちを込めて、近くにあったクッションを七回打った。


「ああーむしゃくしゃする」


 こうなったら夜の帝王、カップラーメンをむしゃむしゃするしかない。六個パックの袋めんと、買いためた五個のカップラーメンシーフド味。四分でお湯を沸かして三分間を待つ。もくもくと夜食の支度をはじめていた。億劫で互い違いの菜箸、棒切れ二本あれば箸になる。日本文化は素晴らしい食器を使っていると常日頃、こういうズボラな事をできるたびに感心する。


「さーて、いただきます」


 ずずっとすすると香ばしい海の味。人工的につくりあげたとはいえ、海の幸をハムスターの頬袋のように頬張った。背徳的なカップラーメンの味に勝る夜のデブ活は無いだろう。少なくとも、私はこの一杯のために一日の総カロリーオーバーを覚悟している。わかっているのだ、この行為が月末のダイエット体重測定のメモリに大打撃を与える渾身の一撃である事を。誰よりも私が知っている。


「ぷはぁー」


 それでもおいしいものはおいしいのだ。

 罪深い、食欲という三大欲求の一つ。これはもう避けられない事実。


「ラストの一は、一杯と一つ、か」


 失礼、メタな発言だった。


 ずずっと残りの汁を飲みきって、今日はもう二十一までカウントしてしまったから、あきらめて寝るしかないと自覚する。それに自語りするのもほとほと疲れた。明日こそ、内定メールをいただくのだ。そのための努力は惜しまないつもりではあるけれど、ポジティブゲージは既にマイナス。お休みして回復するほかあるまい。

 空になったカップラーメンを片付けてから、いそいそと部屋に戻る。パソコンの電源を落とそうとマウスに手を掛けると、電子メールに一通の通知のマーク。どうせゲームアプリの通知だと思い、手を掛けたら。


「な、内定通知だぁああああああああああ!」


 おめでとう私。ありがとう私。今先ほどカップラーメンを食べたおかげで、世界への総面積がすこし増えた私は、新たに増えた体重と共に全身全霊で喜んだ。本日最後の一は、一通のいちだった。飛び跳ねて、喜んで、ふと思う。二十四時の頃合いに、どうして手打ちのメールが届くかって? その事に気が付いて、これから黒色の企業をカウントするのはまた後日。






閑話休題。(了)

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