番外 答え合わせ編

トマトジュースと貴方とあたし

 あたしはさつき。五十嵐颯希(いがらしさつき)。この春から某企業の新入社員。

 今は夜。繁華街。誰もがみんな、お酒を片手に浮かれてる。

 だけど、あたしは一人、文句タラタラだった。

「もー、最悪っ! カナの馬鹿!」

 そう言って口を尖らせながら、あたしは夜の街を彷徨っていた。片手にゴロゴロ転がすのは、少し大きめのキャリーバッグ。就職を機に上京したあたしは、大学時代の友人・近藤カナと、ルームシェアをするはずだった。だというのに、あの子ときたら……。

* * * * *

「はぁっ!? 彼氏と住むことになった?」

「ゴメ~ン! そうなの。だから颯希とは住めない!」

 真昼間のマンション前。信じていた友人に彼氏との同棲を宣言されて、あたしは晴れて宿無しになった。

* * * * *

 こんな時に限って、ホテルはどこも満室状態。もう何件回ったかわからない。溜め息の一つも吐きたくなるというところ。

(しょうがない、こうなったらとりあえず漫喫かな……)

 気を取り直し、店舗がありそうな駅前に戻ろうと踵を返しかけて。

「……?」

 あたしはふと、通りの奥が気になった。

(なんか声がきこえたような……いやいや、都会は危ないことが多いから、無視無視!)

 と、自分に言い聞かせつつも、野次馬根性がうずうずしてくる。

(首を突っ込むのはマズいって……! いやでも、ちょっと見るだけなら……)

 ついつい好奇心が勝ってしまい、あたしは声のしたほうへそろりと近づく。音がするといけないから、キャリーはちょっと持ち上げる。

(うっ、重っ! あたし、何をそんなに荷物入れたっけ……)

 場違いなことを考えつつ、視線をそちらへやってみると……。

「……」

 路地裏で、背の高い男の人が、口元を拭っているところだった。周りには数人、人が倒れている。それだけでも充分驚きだけど、それ以上に驚いたのは……。

「ひ、ひぃっ!」

 思わず口から悲鳴がこぼれて、ペタンとその場に座り込んだ。だって見間違いでなければ、その男の人の口元には血が滴っていた。倒れている人たちの首元も同様に。暗がりでもわかるほどの、紅い色。

「!」

 男の人が、あたしに気付いてこちらを向く。だけどあたしは咄嗟に逃げられない。だってもう、腰が抜けてる。

「……見たな」

 お化けだぞとでも言わんばかりの、ドスのきいた低い声。それにあたしは、更に縮み上がった。

「み、見てません! 聞いてません! ここには誰もいませんでしたっ!」

 両手をバタバタ振り回しながら、必死に言い募る。だけどそんな言い訳が、きき入れられるはずもなく。

「んなもん通用すっかっつの。いいからこっち来い」

 男の人は、あたしが悲鳴を上げた時に倒したキャリーを拾ってしまう。そしてそのまま、いずこかへと向かってゆく。

「ちょ、ちょっと! 返して下さいよ!」

 人質を取られたあたしは慌てて、震える脚に鞭打った。

(このままついていけば、臓器を売られてしまうかもしれない)

(コンクリート詰めにされて、東京湾に沈められちゃうかも)

 そう考えると気は進まないけど、キャリーは返してもらわないと困る! だからあたしは、頑張って彼を追いかけた。

 辿り着いた先は、一見すると普通のアパートの一室。表札には、【七海 杏利】(ななみあんり)と記されていた。その下には不自然な空白がある。まるで、もう一人分空いている、みたいな。

(アンリさん、っていうのかな? 中性的な名前だな……)

 のんびりした感想を抱いている内に、扉が開いていた。

「入れ」

「そ、その前にキャリーを返してほしいなー、なんて……」

「うるせぇ。いいから入れ」

 あたしのお願いは聞いてもらえなかった。ここをくぐったら、二度と生きては出られないかもしれない。いつでも警察に連絡できるように、携帯をポケットの上から握りしめた。

「お、お邪魔しまーす?」

 奇妙な気分で先に入ると、後から入った七海さんは後ろ手にガチャリと鍵をかけた。

(や、やっぱり! 出す気がないんだ!)

 あたしのこめかみを冷や汗が伝う。たじろいでいるあたしを置いて、七海さんはさっさと奥へ行ってしまった。彼はリビングらしき部屋の奥にキャリーを置くと電気を点け、柔らかそうなラグの上に胡坐をかく。あたしにも、自分の前に座るように促してきた。仕方ないから、あたしはそこに正座する。

「まず。言っておくが、誰も死んでないからな」

「へっ?」

「だから警察に連絡したって無駄だ。あいつらも今頃は起きて元気にしてるだろうしな」

 警察に通報しようとしていたことはバレていたみたいだ。あたしは密かに焦る。

「次。かと言って、さっきのことを言いふらされたら困る。だからお前のことは監視する」

「はいっ?」

「お前にはここに住んでもらう」

「えっ?」

「いやー、逆にちょうど良かった! 条件の合うルームメイトがなかなかいなくてさ」

 七海さんは嬉しそうに話を進めているけど、あたしの頭はついていかない。

「あの、条件って?」

 尋ねたあたしの顎を、七海さんは左手の人差し指で持ち上げる。

「さっきの見たならわかってんだろ? 血を貰うんだよ」

 ひそめた声の低さにというより、恐怖にあたしはゾクゾクした。思わず後ずさると、七海さんはカラカラと笑う。

「募集要項に本当のことは書けないから、事故物件って出してんだけどさ。そしたらまぁ人の来ないこと来ないこと」

 そりゃ来ないでしょ、とはつっこめない。ルームシェアはただでさえ、トラブルが起こりやすい。気心の知れた友人同士ならまだしも、見ず知らずの他人ともなるとなおさらだ。

なのにそこへ加えて、更に事故物件だなんて。

「あのー……そんなことしなくたって、さっきみたいにすればいいのでは?」

 余計なことと思いつつ、あたしはおずおずと口を挟む。だってこの人、明らかに回りくどいことしてる。

(要するに、いつでも血を吸える人を、そばに置いておきたいんだよね?)

「あー……あれはダメだ。クソ不味い」

 血にも美味い不味いがあるのか、と、あたしは不思議に思ってしまった。

「吸われてもいい、とか、吸われたい! とか思ってる奴のほうが美味いんだよ」

「それじゃああたしもダメじゃないですか」

「えっ?」

「えっ?」

 当然のことを言ったのに、七海さんはさも意外そうな顔をする。

「お前、吸われたくないのか?」

(何言ってんだこの人?)

 思わずあたしは正気を疑う。

「そりゃあ……まぁ」

「なんで?」

「『なんで』?」

 まさか理由をきかれるとは思わなかった。なんでって、そりゃあ嫌でしょうよ、普通の人間だったら。

「お前、この顔見てなんも思わないの?」

「はぁ……顔、ですか?」

 問われ、あたしは改めてまじまじと七海さんの顔を眺める。暗がりではあまり見えなかったけど、明かりの下ならよくわかる。なるほど確かにかっこいい。テレビに出ていると言われても驚かないほど、彼は整った顔立ちをしていた。

「吸血鬼が美形なのは、それで餌を誘うからってきいたことねぇのか?」

「それは……ありますけど」

 それとこれとは話が違うというか。残念ながらあたしは、かっこいいから吸われたい、とはならなかった。

「す、吸ったからって死んじまう訳じゃねぇんだぞ?」

 どうしたことか、七海さんのほうが焦り出している。

「全部飲んだらヤバいかもしんないけど、その辺は節度守るし!」

「……あの!」

 何故か今優位に立っているらしいあたしは、勇気を振り絞って宣言した。

「自分の顔に自信ある人に、あたしは飲まれたくありません!」

 あたしはナルシストが嫌いだった。

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